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⭐︎かほの日記⭐︎

 
20代のとき、50代である母親が若年性認知症に。
大好きな母のために介護をしたい、
仕事を続けたい、
自分の家族をつくりたい、
という "どうしましょうライフ" の日記です。

介護日記 / 仕事日記 / 生活日記

前回の①はこちら。

 

前回、ある男の子のイヤイヤ期について

触れました。

 

自分のイヤイヤの内容を
彼自身が説明します、と書きましたが、
具体的にどういうことを言うのかを
紹介したいと思います。
 
 
クラスでは、一つしかないおもちゃを
2人以上の子たちが使いたくなった場合、
「順番に使う」というルールがあります。
 
奪い合いが始まった時、
そのルールを思い出させる声かけを
職員がすると、ほとんどの場合、
子どもたちはきちんと守ります。
 
しかし、
機嫌がマックスに悪いと
数人がルールを守らず、
おもちゃの引っ張り合いや
さらに相手への暴力行為をはじめるので、
職員は怒った顔を見せながら
おもちゃを取り上げます。
 
子どもたちは
そのルールをよく分かっており、
取り上げられた瞬間、
大抵は逆ギレせずに
「しまった」という顔をします。
 
 
そして、例の男の子の話です。
 
その日、
その男の子を含めた3人の子たちが
一つのおもちゃを取り合い、
私が声かけした後も
我が物にしようと激しい奪い合いを
続けていたので、
私がニュッとおもちゃに手を
伸ばそうとしたその瞬間、
彼は大声で叫びました。
 
「イヤーッ、
いっしょに
あそぼうって
◯◯くん
いったーっ」
 
(◯◯は男の子の名前)
 
自分ははじめにきちんと
ルールのことをいったのに
他の二人が聞いてくれなかった、
という訴えです。
 
しかし、私が公平に
無理矢理奪おうとすると 
 
いま、
◯◯くんが
しようとしてるのに
なんでとるのーっ」
 
と強く糾弾してきました。
 
そして、
なおもおもちゃを離さない男の子に
私が怒った顔を見せると
最後にトドメに
 
「おこったら
だめなのっ
(こんなことで)
 
 
と言って器の小ささを指摘。
 
子どもの養育に関わる人でしたら、
男の子がこの年齢で発した
これらの言葉の高度さが
理解できると思います。
 
私は内心、
「君、本当に1歳か」
とツッコまずにはおれませんでした。
 
 
 
 
 
 
 






生まれたばかりの子たちでさえ

性格が皆違うように、
イヤイヤ期の行動も
一人ひとり千差万別です。
 
 
顔をしかめる子
泣き叫ぶ子
のけぞって暴れる子
意地でも動かない子
 
 
一人ひとりの性格が良く現れる時期です。
 
 
そんな大勢の子たちの中で、
私が衝撃を受けた、
ある男の子のイヤイヤ期があります。
 
 
その子、
 
素晴らしいことに、
 
イヤイヤの内容を
 
全部
説明してくれる。
 
 
もともと、
職員や他の保護者の人たちを驚かせるほど、
言葉の発達が速い子でした。
 
ですので、
脳の発達過程として
言葉の爆発的な上達後にイヤイヤ期が
来たのか、もしくは同時に来たのかは
定かではありませんが、
自分がどうしてイヤなのか、
自分が今抱いている感情が
どういったものなのか、
本人が説明をします。
 
イヤイヤ期の子どもたちより
幾多の洗礼を受けてきた私にとっては、
なんとも不思議な、
ですが有難い状況です。
 
 
ある時、その子のお母さんに
言葉の訓練など特別なことを
何かしているのか、
と尋ねたことがありますが、
「何もしていない」
という答えでした。
 
ただ、よくよく話を聞くと
 
お母さん
歳の離れたお姉ちゃん
おばあちゃん
ひいおばあちゃん
 
皆おしゃべり好きらしく、
毎日その男の子は
四方から言葉のシャワーを
浴びているそうで、
「女性陣パワー」の凄さを感じました。
 
 
 
 
 
 
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​​​​​介護をしている私ですが、

長い間、

自分とは無縁だ

と思っていたことがあります。

 

 

それは「共依存」です。

 

 

介護や医療、子どもの養育に

携わる人はよく聞く言葉だと

思います。

 

 

共依存;

 病気などの問題を抱える人の

 世話を続けるうちに、

 相手に必要とされることに

 安心感や自分の価値を見い出して

 その関係に依存してしまう

 状態のこと。

 

 

私は共依存になる人を

「献身的に尽くす人」

と勝手にイメージしており、

自分には

介護の他にも

仕事や交遊など好きな諸活動が

あるので、

母と依存関係には

ならないだろう

と思い込んでいました。

 

 

しかし、

ある夏の日の真夜中、

嚥下が難しくなっていた母が

就寝中に

痰を大量に絡ませて

窒息を起こし、

急遽

救急車で病院に運ばれました。

 

 

その後、

回復した母は

自宅に戻って来ましたが、

就寝中

呼吸に異変があった時、

すぐに確認ができるように、

その日から、

私は母のベッドの真横で

一緒に眠ることにしました。

 

 

その数ヶ月後、

今度は別の症状で

再び入院。

 


母が再入院した翌日の朝、

自宅で目を覚ました私は

いつも通り

「お母さんのオムツを替えなくちゃ」

と無意識に思い、

体を起こして横に目を向けると

母がいません。

 


後から

「あぁ、

お母さんは入院したんだった」

と理解しました。

 


誰もいないベッドを見ていた

その時、

突如、

私はどう表現すればよいのか

分からないほどの空虚感に

襲われました。

 


まるで

自分の存在意義を一瞬で

失ってしまったかのような

感覚でした。

 

 

私は医師ではないので、

それが

「共依存」というものかどうか、

実際のところ、

分かりません。

 

 

しかし、

自分の精神衛生上の危機を

感じた私は一人思案。



そして、

「名案」を思い付きました。

 


母が再び退院した夜、

私は

母と自分との間の間隔を

二人分ほど

大きく空けて

寝ることに。

 


その様式で、

今も眠っています。

 


空いたスペースを眺めながら、

家族は

それで本当に効果があるのか、

と訝しげですが。

 

 

 

 

 

 

 










 

今の仕事を始めたばかりの頃、

私には一つの疑問がありました。

 

おもちゃ等を片付けさせる時に

子どもたちに使う、

「『ないない』しようね」の

「ないない」とは

どこから来たものなのか、と。

 

子どもの養育に携わる人の多くは

知っていることだと思いますが、

新人の私には、

全く分かりませんでした。

 

なぜ

片付けの「カタカタ」ではないのかしら

 

なぜ

棚に置くという「オクオク」では

ダメなのかしら

 

とあまり重要ではなさそうなことを

ずっと考えていました。

 

同じく、その頃新人だった同僚に

質問してみましたが、

その同僚も知らず、

答えは長い間分からずじまいでした。

 

 

ですが、ある人から

私はその「ないない」の起源を

教わることになります。

 

 

その日も、

子どもたちと一緒に片付けをしながら、

「どうして『ないない』っていうのかなぁ」

と心の声が知らず知らずのらうちに

外に漏れていました。

 

私の側には、よちよち歩きで、

一語文を話し始めたばかりの子が

いました。

 

片付けをその子と一緒に行い、

全てのおもちゃを片付け終えた後、

その子が何も無くなったキレイな床を

パンパン、と叩きながら、

『ないない』と言いました。

 

私はその瞬間、まさに、

かのヘレンケラーが

サリバン先生の、水を使った指導中に

物に名前があることを生まれて初めて

知った時に自身に走った

稲妻のような衝撃(少々大袈裟に

言っています)と同じようなものを

感じました。

 

 

そうかっ、 

「ないない」は「無い無い」で、

「何も無い状態にすること」なのかっ。

 

 

長く考えていた疑問がスッキリ晴れ、

合点がいった私は

その可愛らしい、小さな教授に

密かに感謝しました。

 

 

 

 

 

 

 

 









整理整頓が上手な人に憧れます。

 

 

職場では、

用意された個人の箱に

保護者が子どもの持ち物を入れて

常に補充していきます。

 

日中、着替え等をさせるために

私がその子の箱を開けた時、

ぴっちり隙間なく、

まるで芸術品かのように

衣類や日用品が入れられているのを見る

その保護者に

「整頓術講座」のスクールを開いてもらって

自分が通いたくなる気持ちになります。

 

子どもたちにも、

片付けなどに関して

ルールが設けられていますが、

年齢が上にいけばいくほど、

きちんと指導されていきます。

 

 

ある時、

年上の女の子たちが年下のクラスに

遊びにきました。

 

部屋の状態はというと、

私から見ると

「子どもたちは落ち着いて遊べているし、

少しおもちゃは散らかっているけど、

注意するほどではないだろう」

と思えるようなものでした。

 

遊びに来た女の子達は、

好きなことを選んで遊び始めましたが、

30分ほどするとその中の一人の子が

落ち着かないのか、

そわそわし始めました。

 

そして、こちらに歩いて来て

私に言いました。

 

あのね、おもちゃはね、

一人一つにして新しいおもちゃを

使いたくなったら、

ちゃんと片付けてから出すの。

もっと小さい子が使う時、

おもちゃが迷子になってたら、

無くてかわいそうでしょ。

こんなに部屋が

ぐちゃぐちゃだったら、私いやなの。

いい気持ちがしなくて

やっぱり5分ほど続く)」

 

長く、的を得た説教に、思わず

「その通りです」

と言っていました。

 

 

その子の偉いところは

自分の話を終えた後、口だけではなく、

ため息をつきながら、

自分が使ったわけでもない、

放置されているおもちゃを一つ一つ、

一人で片付け始めたことです。

 

慌てて一緒に片付けながら、

おそらく大人たちに言われたことを

きちんと守っているのだろうけれど、

大人の目を気にして

言っているわけではなく、

自分の気持ちとしっかり合わせて

言葉に出せているんだな、

と感心しました。

 

 

とりあえず、

キレイになった部屋を見て、

その子の方が正しいということが、

はっきりと分かりました。