⭐︎かほの日記⭐︎ -18ページ目

⭐︎かほの日記⭐︎

 
20代のとき、50代である母親が若年性認知症に。
大好きな母のために介護をしたい、
仕事を続けたい、
自分の家族をつくりたい、
という "どうしましょうライフ" の日記です。

介護日記 / 仕事日記 / 生活日記

今日は、物語を創りました。

 

 

 

 

 昔々、ある所に、

 一人の婦人がおりました。

 

 そして彼女の側には、

 婦人を愛する、

 彼女の夫と

 二人の間にできた三人の子どもが

 おりました。

 

 

 ある時、婦人は魔法にかかり、

 周りの物の名前を

 どんどん忘れていきました。

 

 これからも婦人が色々な物や人のことを

 忘れていくことを知った四人

 誰が婦人に一番長く覚えられているか

 競うことにしました。

 

 

 

 まず、長子(姉)が言いました。

 

 お母さん 

 「お母さんは私のことを

 一番長く覚えていると思う。

 お母さんにとって

 はじめての出産で、

 はじめての子育てで、

 思い出がたくさんあるだろうから」

 

 

 次に、次子(私)は言いました。

 

 ニヤリ

 「お母さんは私のことを

 一番長く覚えているに決まっている。

 食事の用意からオムツ替えまで、

 お母さんに日々尽くして

 ずっと側にいるのだから」

 

 

 三番目に、末子(弟)が言いました。

 

 お父さん

 「お母さんは僕のことを

 一番長く覚えているだろう。

 僕のことを常に気にかけていたし、

 やはり末っ子が一番かわいいと思う」

 

 

 最後に、夫(父)言い張りました。

 

 真顔

 「間違いなく、一番長く

 覚えられているのはお父さんだ。

 お父さんとお母さんは

 『ハート』で繋がっているのだよ

 (たとえ何もしなくても)」

 

 

 

 ある日、 

 婦人は長子のことを忘れました。

 

 その数ヶ月後、

 婦人は次子のことを忘れました。

 

 そのまた数ヶ月後、

 婦人は末子のことを忘れました。

 

 

 

 そして

 婦人は

 夫のことだけ

 いつまでも忘れませんでした。

 

 

 

 今も婦人の魔法はとけていません。

 

 しかし、どう言う訳か、

 婦人は夫のことを覚えています。

 

 理由は誰にも分かりません。

 

 

 

 

 

 めでたし、

 めでたしじゃないっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 










                 

 

 

 

認知症が進んだ母が

今会話をすることは

ほとんどありませんが、

数ヶ月に一回、

こちらがびっくりするほど

はっきりとした一文を

発話することがあります。

 

 

私も含めて家族全員、

母に反応して欲しくて、

母によくちょっかいを

かけてしまうのですが、

それが母は嫌なようで、

怒ったように

いつも叫びます。

 


今日も

車椅子に座って

テレビを見ていた母に

父がちょっかいをかけていると

母が激怒。

 


父に向かって、

 

「あなた、

2、3年前だけどー!!」

 

と叫びました。

 

 

家族で協議。

 


父が母に2、3年前にして

今でも母が

恨んでいそうなこととは。

 


お母さん、

一体どのことでしょう。

 

 

思い浮かばないのではなく、

あり過ぎて分からないです。

 

 

 

 

 

 






知人の中に、

一人で

在宅介護をしている人や

一人で

父母両方の介護を行っている人が

いますが、

いつも尊敬の気持ちを

持たずにはおれません。

 


私も母の介護をしていますが、

一人で行っているわけでは

ないからです

 


家では、

母が若年性認知症を

発症した当時、

自分達が

自由に活動できる

年齢でしたので、

互いに生活を

調整し合いながら、

家族の中でいつの間にか

自然と

担当」

できていました。

 

 

以下、

各々の担当を

会社風に表しました。

 

 

 

ニコニコ 私:ケア担当及び渉外担当

     (母の日常の世話と

      福祉や医療関係者との

      打ち合わせ等を行う)

 

 

お母さん 姉:在庫管理担当

     (店舗やネットで

      調査を行い、

      安価な介護用品を

      購入して

      補充・管理する)

 

 

お父さん 弟:代行担当

     (海外に住んでいる

      ため不在。

      帰国時に

      他の担当者の労を

      ねぎらい、

      代行する)

 

 

真顔 父:監視担当

     (基本見ている)

   

 

 

このように、

家族で

母の介護を行っています。

父も母に話しかけたり、

マッサージをしたり、

本人曰く脳の刺激」に

なるようなことを

頑張っています)

 


余裕がなくなると

衝突してしまうことが

ありますが、

理想は

母を中心に、

常に皆仲良く

生活することです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 









職場で上司や同僚から、

時々

「保護者対応が上手ね」
と言われることがあります。
 

ですが、
胸中は複雑な気持ちに。
 

褒められて
素直に嬉しく思う感情と
でもそれが
天性の能力ではなく
刷り込まれたものである
という意識が
混じっているからです。
 
 
前職が
英会話講師だったことを
以前述べましたが、
それよりも前、
つまり新卒のときに
私は東京で、
あるサービス業の会社に
勤めていました。
 

 

その企業の社風は
少々ブラックで、
一緒に入社した
約150名の同期が
みるみる減っていき、
2年経つ頃には
約10名に。
 

そんな会社に
私のような箱入り娘が
入ってしまったのですから
「悲惨」と言うしか
ありません。
 
 
その時に叩き込まれたのが
女性顧客に対する
対応術でした。
今の仕事で
役に立っているため
ある意味、
それが唯一その会社で
働いて良かった
と思っていることです。
 

しかし、
その時に経験したことが
少々トラウマに
なっているようで、
保護者対応(厳密に言えば、
かつての仕事の対象は
「女性」に限定されていたので、
お父さんたちへの対応は
含まれていない
と思いますが)を
褒められると
今でも、
毎晩泣くほど辛かった日々が
走馬灯のように蘇ります。
 
 
東京の会社には
4年ほど勤め、
母親が病気を患ったことを機に
地元に帰ろう、
と決めて辞めることに。
 

退職日、
慕っていた一人の上司が
「人生経験が長い私から一言。
ここで生きてこれたということは
これから先、
どんな会社で働くことに
なったとしても大丈夫だから」と。
 

当初、
その言葉の意味を
よく分かっていませんでしたが、
今では理解しています。
 

誰しも仕事をしていると
多かれ少なかれ
職場について思うことが
あるものです。
 

ですが、
私は職場環境に関して
不満を感じることが
あまりありません。
 

なぜかというと、
どんな場所も
 
「ここは天国か」
 
と思えてしまうからです。
 
 
毎朝一時間の無償掃除も
 
長時間残業を隠す
定時打刻のルールも
 
ノルマを達成しなかったときの
罰則も
 
叩かれることや
物を投げつけられることも
 
土下座さえも
 
 
全く無いのですから
 
 
 
 
 
 
 
 
 








若年性認知症になった母に

会いにくる親戚や母の友人達は

母のことを
「かわいそうに」
と言って涙を流します。
 

では、母の介護をしている私は
どう思っているかというと
不思議に思われるかも
しれませんが、
母を不幸だと思ったことが
ありません。
 

「人は誰しも
生老病死からは逃れられない。
皆どこかしら病気になり、
母の場合、それが脳神経だった」
と考えているからかもしれません。
 

ただ、
不幸だとは
思っていなかったのですが、
幸福だとも思っていませんでした。
 

しかし、最近
「もしかして母は幸せかもしれない」
と思うことがあります。
 

なぜかと言うと
母がまた、笑顔を
見せるようになったからです。
 
 
認知症初期の頃、
母はいつも不安顔でした。
 
中期の頃は
怒り顔。
 
末期に入ると
無表情。
 

ですので、
このままずっと無表情が続く
と思っていたのですが、
ある時、転機が訪れました。
 
 
認知症の他に別の病気を
複数併発したことで、
薬の種類が多くなったことを
憂慮した担当医が
今まで使っていた
薬の整理を行いました。
 

今まで飲んでいた薬を
いくつかやめたことで、
薬の副作用として
出ていた症状が緩和。
 

足や手がよく動くようになり、
顔に表情が戻りました。
 
 
目を合わせることが
できるようになり、
 
声をかけると
にこにこ
 
歌を歌うと
にこにこ
 
面白い動きを見せると
にこにこ
 
体調が優れない日以外は、
よく笑います。
 
 
母が笑うようになると
家の中の雰囲気も一変しました。
 

正直私は今まで、
笑顔というものが人の生活に
これほど大きな影響を
与えるものだとは
知りませんでした。
 
 
母が幸せかどうかは
母自身が決めることです。
 

ですが、
母が笑っているとき、
少なくとも、
私はとても幸せです。