Have a Good Day! -64ページ目

デジカメ

いやいや、実はですね、先週デジカメのデータをPCに移そうとしていました。

で、実験してる途中だったので、机の引き出し(座ってすぐ正面にある文房具とか入れる薄い引き出しね)に、無造作に入れてしまったわけです。

で、夕方にデジカメを取り出そうとすると、引っかかって引き出しが開かない!!!

ピーンチ!!!

めちゃ焦る。


引き出しの中には、他に、ボールペンとかポストイットとかUSBメモリーとかしか入ってないけど。

でも、デジカメー!!!

押しても引いても、うんともすんとも言わない。

デジカメが引っかかっていることは明らか。


机の下から奥をのぞいて、ネジとかで引き出しを外す??とか思ったけど、そんなネジもなさげ。

ちょっと諦めてました。


そうしたら、先週実験してる時に、実験道具を探すために実験室のいろんな引き出しを開けていると、ひとつに工具が入っている所を発見。

マイナスドライバーがありました。

で、ちょっと思ったわけです。

マイナスドライバーを引き出しの隙間に挟みこんで、てこの原理(?)ではないけど、机の引き出しを下に押しつけたら開かないか・・・と。


で、やってみたわけです。

すると、ちゃらーん、開けゴマ!!!

引き出しが開きました。(ほっ)

案外あっさりと開いた、もっと早くに気づけばよかった・・・。

無事にデジカメも救出。

データ移動して、少しづつ日記に写真を載せていきます。


Have A Good Day!

てなわけで、これが私のOfficeです。(Lab=実験スペース、はまた別にあります)

白いPCがあるほうが私の机。

向かいは、同じLabで実験しているインド人のS君の机です。


今後デジカメは、薄い引き出しに入れないようにしましょう。(教訓)

細胞たち、それからPCR

実験は、まあまあ順調に行っているのでしょうか。

私自身もわかりません・・・。

BossのDr.Sも、「この実験は、初めての試みなので、何がどうなるんだかわからない」的な発言。

大丈夫なのか・・・。謎


細胞は、比較的元気ではありそうです。

どんどん増えていくので、当然、培養していると容器がどんどん増えていきます。

だんだんメンテナンスが大変になってきています。

この辺でちょっと、増やすのを待ったほうがよさそうな気もしないではないけど。

こればかりは、今のところすべてBossの采配。


具体的にどういう実験をしているかというのは、企業秘密(?)なので、ここでは細かには書けません。

ざっくりと簡単に説明すると、細胞が分化するかどうかというのを見ています。

Bossがもともと持っている細胞株が、どうも分化能力がありそうということで、じゃあ、具体的にいくつかの臓器をターゲットに再生できるかどうかやってみようと。


文献を参考に、細胞分化させるmediumを作って、細胞を育てていきます。

先週から始めて、約10日くらい経つのですが、どうもBossが知っている今までの分化の形態と違うと。

なので、新しく何かに分化している可能性がある、とちょっとだけいい知らせ。

ただ、何に分化しているのかというのがわからないので、これまた闇の中を探るような感じではあるけど・・・。

来週はこれらの細胞が何なのかを調べるために、染色をしていく予定。

何かわかればいいけど。


それとは別に、昨日からPCRをしています。

日本では、PCR苦手だったんだよね。

てか、ただ試薬を混ぜて、機械に入れるだけなんだけど。

試薬の分量が少ないせいか、私の主義が悪いせいか、取ってきたRNAの精度が良くないせいか、原因はわからないだけど、なぜか、上手くいかない事が多かった。

なので、ちょっと心配していたんです。


RT-PCRを始める前に、機械の設定とか、反応の設定(サイクルとか温度とか)をやっていてました。

だいたいはわかったんだけど一部不明な所があって、同じLabのS君に聞きました。

ほとんど解決したけど、やっぱりひとつだけなんとなく不明。

このままやってもし上手くいかなかったら、時間も試薬も無駄になるから、Technical supportに問い合わせたほうがいいかも、という結論に達しました。

で、電話で問い合わせ。

アメリカのcustomer serviceは時間がかかると覚悟していたけど、思ったよりあっさりと電話がつながって、不明な部分もさらっと解決。

しっかりと確認して、PCR開始。


PCRの結果は、結構うまくいってるっぽい。

positive controlが3つ設定してあるんだけど、サイクル数が3つピタッと一致してる。

うーん、感激。

あとは、結果のinterpritationが必要。

これは、Bossに相談です。(笑)


そんな感じで、今週はちょっとだけいい結果が出たようで、少し前に進んでいるような気がしてきました。

日々の小さな進歩の積み重ねで、大きな飛躍になるように、頑張っていきます。

Chinese New Year

昨日、2月2日は旧暦の新年でした。

日本で言う所の、立春ですね。

中国では、旧暦の新年を盛大にお祝いするようで、今日はLabでpartyがありました。


みんなでいろいろな料理を持ち寄って、バイキング形式。

アメリカ以外から来ている人も多いので、各国の料理も見られました。

メインは中華料理、それ以外にも、韓国風、日本風の料理とか、ポーランド料理とかも。

デザートは、アメリカ風がメインでした。(やっぱり?)

ブラウニーとかアップルパイ、ホイップクリームたっぷりのパンプキンパイ、など。

私は食べる専門でしたが。(笑)


そこで、中国の山東省から来ている研究者の人と知り合いました。

以前、日本に5年間住んでいて、徳島大学で研究していたとのこと。

日本語はカタコトだけどまあまあできて、いろいろ話をしました。

90%英語、残りが日本語くらい。

すると、彼以外にも、ここに来る前に日本に住んだことのある人が結構(4-5人)いて、彼らもまあそれなりに日本語が話せるようです。

みんな、やっぱり日本の研究施設とか大学とかで研究していたらしい。


今いるLab全体には、私以外の日本人がもう一人しかいなくて、思いのほか日本人が少ないことに驚いていました。

以前にボストンに居た時は、留学生の約半分は日本人っていうくらいだったから。

その当時も今と同じ円高で、1ドル80円くらいの円高だったことも理由だったと思います。

現在日本から海外に留学して、勉強や研究をする人って、10年ちょっと前(1990年後半~2000年)に比べると半分以下に減ってしまったらしいですね。

場所によっては、ピーク時の1-2割まで減っているということも聞きました。


まあ、今は日本に居るととりあえずなんでも揃うし、不自由しないし。

日本も科学技術やテクノロジー、その他の多くの分野でほぼトップに位置しているわけで。

わざわざ外国に行ってまで、っていう考えも理解できなくはない。

ただそれだけじゃーね、って思うところもある。

みんな全員に留学しなさいと強制するわけではないけど、留学もいいよと教えてあげたい。

確かに日本で生活するより、大変なことも多いし、不自由することも多いけど、それ以上に得るものはたくさんある。

人脈であったり、経験であったり、もっともっと。


そう考えると中国人って、今も昔も、世界中のいろんな所でで活躍しているよね。

世界中どこに行っても、中華料理のレストランがあって、Chinatownもたくさんあるし。

中国人のネットワークってすごいなーって思う。


逆に、日本人はそういった意味では、個人がその土地になじんでしまうのかもしれません。

大きな都市に行けば、日本人のお店が集まっている所もあるし、日本料理のレストランもいろいろな場所で見られるようになってはいるけれど、中国人ほど集まってcommunityを作る傾向は少ない気がする。

そこが日本人の良いところでもあるのでしょう。

(少なくともこれは、私から見た日本人のイメージです。日本人全員にこれがあてはまるわけではないと思いますので、あしからず)


日本人も多くの場所で活躍できるように、旧暦の新年をお祝いしましょう。

いつか私もその一人になれますように。(笑)

cell division

今朝、Labに来てからいつものように細胞を見ていました。

今日はいつもよりちょっと早く来たので、ゆっくり細胞でも見てやろうと、腰を据えて(?)顕微鏡を覗いていました。


ある一つの細胞株をもらって培養を続けているのですが、比較的早く育つ細胞のようです。

じーっと見ていると、どうも細胞分裂しているっぽいのがたくさんある。


最初に丸っこい細胞が、ちょっと楕円形になってきたと思ったら、中に核(染色体?のほうが正しい表現なのかな)のが凝縮したのが見えてきて2つにわかれる。

そうすると、楕円形だった細胞の中央にくびれができてきて、雪だるまみたいになってくる。

雪だるまといっても、上下が均等な大きさね。

で、その雪だるまのくびれが徐々に強くなってきます。

じーっと見ていると、なかなか変化に気づかないけど、その間、Hoodの掃除をしたりトイレに行ったり(笑)して5分とか経つと、ほとんど分裂している感じ。

最終的に分裂が終わるまで10分とかそのくらいなのかな。


いやー、じーっと見ていても飽きません。

生命の神秘といいますか、なんというか。

私の体もこういう細胞が何兆も集まってできているんだ・・・とか思うと、本当に言葉では表現できない。

多分、他の人にとってみたら、なんのこっちゃ?って感じかもしれませんが。(笑)


私が初めて細胞分裂を見たのは、中学生の時だったかな。

1980年後半から1990年くらいでしょうか。

ちょうどその頃、NHKの特集で生命だかなんだかの番組がシリーズであっていて、その当時のscienceのトップストーリをグラフィック化したもので、結構話題だったよう。

細胞が分裂する様子を、顕微鏡で撮影して早回ししたものを見た時、本当に衝撃でした。

Scienceってすごいって。

それから、その番組では、受精卵ができる所を顕微鏡で撮影していたり。

今からすると、本当に何でもない(というと語弊があるけど)、ネットでもTVでも簡単にこういう映像が見れるし手に入るけど、その当時ではかなり大きな話題だったと思う。(遠い記憶なので曖昧)


今日は自分の目で、顕微鏡で、細胞分裂を見ました。

興味のない話題だったかもしれませんが・・・。

researcherとしての経歴

先週からの細胞たちですが、なんだかいまいち調子がよくないようです。

macrophageの分画を取り出したつもりが、いまいち精製されてないような。

私の技術のせいなのか、他に原因があるのか・・・。

BossのDr. Sは、「この実験は自分たちにとっても全く新規の実験なので、何が起こるか分からない」とか「細胞培養の条件が、論文に十分に説明されていないことや、試行錯誤の部分もあるから」とか言ってくれますが。


もう一つ別の実験系は、少しづつ上手くいっている印象です。

なので、まあ全滅ではないことがせめてもの救いでしょうか。


私が初めて実験というものに接したのは、最初の大学(アメリカ)を卒業してから。

大学時代は、卒業後のことなんてなーんにも考えてなくて。

アメリカの大学に居たからってのが理由になるのかわからないけど、私はいまいち就職に関して積極的に行動してなかった。

将来をちゃんと考えていた人は、ちゃんと就職活動してたような気もするけど。

ただ、私のまわりの日本人は、どちらかというと日本に帰ってすぐに仕事がなくてもいいや的な考え方をした人が多くて(いい所のお嬢さんだとかね)、良くも悪くもそういうのに影響されていたのかもしれません。

思い返すと、よくもまあ就職難の時期にのほほんとしてたよなーと。(笑)

一応形だけの(?)就職活動的なことはしましたが、面接まで行って、自分から断ったし。

今考えたら、ありえんーって感じだけど。


大学卒業して日本に帰ってきて、たまたま知り合いがいた某O大学の研究室で実験させてもらえることになりました。

研究生というポジションで、お金(学費)を払って研究していたのです。

お父さんお母さんご、長いこと脛かじって、ごめんね。

その頃の私は、実験なんて大学の授業の一環でちょっとやっただけ。

DNAとかRNAとかproteinとか、知識はあるけど、実際にそれが何なのかあんまりよくわかってなかった。

実験してみたら、すごく面白くて、楽しかった。

最初のうちは、教えてもらって手取り足とりだったけど、少しずつ自分でできることも多くなってきます。

毎日実験するのが楽しくて、上手くいかないこともあったけど、いい結果(予想した結果)が出ると嬉しい。

なんとなく実験をする生活が、私に合っていたのかもしれません。

その日にすることを予定・計画して、実験を進めていくこととか、自分のペースで実験をこなす事とか。

そんな感じで1年が過ぎるころ、ひとつ転機が来て、そのラボを去ることになりました。(これについての詳細はいつか、書きましょう)


再び学生として生活をして(また両親の脛をかじっていた)、在学中も大学のある教室で1-2年くらい実験をさせてもらっていました。

なんとなく、実験をするという環境が好きだったのかもしれません。

授業が終わってからの限られた時間で、自分の実験というよりもお手伝い程度でしたが。


卒業後は一応(?)社会人として働くようになりました。

最初の2年間は初期研修というのがあります。

その頃は、当然ながら100%臨床だけで・・・、当直も週2回あったし、当直は基本的に眠れないし。

かなり辛かったです。肉体的にも。精神的にも。

その時、常に心のどこかで「実験したいなー」って思っていました。

私は臨床より、むしろ実験のほうが好きかも、って。

臨床にもいい所はありますが、自分のペースで仕事や時間を組み建てられる実験生活のほうが、私にとってはストレスが少ないのかも。


2年の研修を終えて、仕事を辞めて暫く旅に出ようと思っていました。(爆)

ちょうどそのタイミングで、卒業大学の先生から声がかかりそちらへ行くことにしました。

大学院生として、研究の新しいテーマをもらって、自分が知らないことを少しづつ実験して、勉強して。

新しい環境では、最初のうちは実験ばかりできるわけでなくて、いろいろ大変ではありましたが・・・。

多くの人の助けを得て、昨年夏に学位申請を終えて、その後アメリカに来たわけです。


アメリカでの実験は、これまでやっていた実験とはかなり分野の異なる実験です。

ほとんどゼロからとまでは行かなくても、10段階の1-2くらいしか私が知っていることはないくらい。

細胞培養、PCR、western blot、immnunohistochemistryなどの一般的なことはできるけど、それ以外はなにも。

最初は多分みんなそんなもんなのかもね。


今はすべてが自分にとっては新しく、すべてが勉強。

大変だけど、でも、臨床100%の生活の時よりも、ずっと楽しいです。

そして、自分らしく生きている感じがします。

これから先、自分がどうなって行くのか、日本に帰ってからの仕事とかも具体的にはっきりわからないけど、少しでも実験・研究に携わって行けたらいいなと思います。