一般社団法人体力メンテナンス協会

指導士養成講師

バランスボールインストラクター/体力指導士/産後指導士

岐阜東支部 支部長

Shiny park 長瀬 友美です。








少しずつ私が今の仕事に辿り着くまでの事

私自身のプロフィール的なものを書き綴っています



前回まで👇🏻


◎私が【産後ケア】を届けたい理由① 過去の私 





ではその続き 第2弾です!♡




私の転機の1つである

今の旦那さんとの出会いがあり

結婚をする事になったわけですが・・・





一緒にいる時間が増える中で

少しずつ「私」の事を話せるようになったのが

この時期です。




でもね、

決して会話が得意になったとか

人見知りが無くなったとか

そんな訳じゃなかったんです。




楽しいなぁ。

って思う私の中で会話をする事や

「私」を出す事で何かが離れてしまわないかという

不安は常にいた気がします。

絶対それは相手に見せなかったけどね!!




結婚し、子供を授り出産

【家族】としての私がスタートしました♡




ですが!
順調ではなかった。



1人目妊娠中はギリギリまで
私は外に出てお仕事してたんです。
産休に入り少しした頃
それなりにマタニティライフを満喫しながら
過ごしていた私でしたが
妊婦でディズニーにも行ったし温泉も行った(笑)



まさか、まさかの予定日よりも1ヶ月半早く
出産する事になるのです( ˙_˙ )!



我慢強さはこんな時にも出てしまって

陣痛を陣痛と気づかないくらい

トイレに閉じこもってました(笑)ポーン




それがまさか陣痛で(笑)

緊急出産になるだなんて!




そう。

私は母になる準備がまだ整ってないのに

急にお母さんになってしまった!!



産まれた我が子を見て嬉しくて泣いた私

だけど抱っこできずすぐ保育器へ




しばらくは

身体を休めていたんですが

病室に戻ってふと1人になった時

さっきとは違う感情で泣いた私




早く産んでしまってごめんね。

私が動き回っていたからかな。

 

と私自身を責め始めてしまいます。




保育器に入り新生児室でお世話になるわが子

小さいながらに頑張ってました✨

それがまた泣けて




泣いてる暇もないくらい

これからの説明を聞かなきゃで

障害が出るかもしれないとか

〇〇キロが山になるとか




私はまだ産後すぐなのに

車椅子で連れて行かれ

身体もしんどければ気持ちも追いつかない

そんな感じでした




退院してからも休む暇はなく

母乳配達をしに病院と家を往復

毎日のように動いていました





当時頂いていたノート


ここに毎日赤ちゃんの様子を書いてくれていて
私達夫婦も面会行けば記録して帰宅



無事に退院を迎えられてまた泣く私



自宅での
赤ちゃんと過ごす時間

嬉しいと思っていたし待ち望んでいたはずなのに
想像とは全然違ってました。



何もわからず手探りだし
私は里帰りもできなかったから
本当に1人で子供と向き合っていく事に・・・


抱っこしなきゃ泣くし。
寝かせてあげたい。


けど私も眠い。


1日パジャマでノーメイク
抱っこしながらソファーで過ごす日もある。


腰痛い

肩が凝る



偏頭痛もたまにある


あちこち不調だらけ


多分この写真も必死な2ショットです♡笑



新生児期
そしてそこから私たち夫婦の心配を
跳ね返してくれるくらい我が子は
スクスク育ってくれました。


めちゃくちゃマメに毎日書いて
記録していた育児日記・・・


歩き出すのとか
何かを始めるのがゆっくりで
親として思い悩む事もいっぱいだったけど
私も気分転換に外に出てみたり
支援センターに行ってみたりもしてました


でも。
忘れてはいけなかった・・・
私は話す事に抵抗があるんだって事を。


外出すればするだけどっと疲れ
周りにも気を遣い

私やっぱり家にいた方が楽かも。


なんて少しずつ外出を控えるようになるのでした。



長くなったので続きはまた描きます!
次回は【私の産後 2人目出産編】です。





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