今回は、ちょっと真面目な話です。
4/8(日)には、SKEツアーの高知公演に行きました。
4/11(火)には、SKE劇場でチームE公演に行きました。
どちらの公演も楽しかったです。
ですが、自分の中に
また新しいものが生まれてきて、消化できずにいます。
ファンという存在は切ないなぁ、と、改めて思います。
私は今、SKEでは 高畑 結希 というメンバーを推しています。
(高は正しくはハシゴ高です)
このブログを見るほとんどの方は彼女をよく知らないと思いますが、知らなくて普通です。知っていたらかなりのSKE推しだと思います。
どこがいいの?と言われると、返答に窮します。
(あ、ここから先、本人には失礼な物言いが度々あると思いますので本人に謝っておきます、ごめんなさい)
ルックスだけで言ったらもっと可愛い子がいるのかもしれません。
パフォーマンスだけで言ったらもっと踊れる子がいるのかもしれません。
ここは「圏外」推しのファンの人なら共感してもらえるかもしれないのですが、メジャーなメンバーの推しの人にはわかりにくいかもしれません。
どこが?って言われると本当に難しくて、純粋に「応援したいと感じる」というのがその理由です。
彼女を初めて見たのは去年の総選挙直前に行ったSKE劇場の研究生公演。
そこで初めて当時の7D2研究生を見ました。
動きや表情の作り方など、そのパフォーマンスから個人的に気に入った3人のメンバーをピックアップしたその中に彼女はいました。
2016年6月16日に投稿した記事にその内容が書かれています。
その後、7D2研究生公演には10回ほど通いましたが、3回目くらいで推しを高畑に絞ったことが別の投稿の中に書いてありました。
この、「推す」という感覚は一体何なのか、自分の中でどこから湧いてくるものなのか、という部分は正直に言ってよくわかっていません。
ただ単に、応援したい。 自分の中には本当にそれしか見当たらないからです。
もっと、個人的に仲良くなりたい親密になりたい、などの感覚があれば自分の行動の選択も簡単です。
それはもう握手会に通うしかありません。
そうやって彼女と会う回数を増やし、距離を詰めて行く。
ですが、AKBのメンバーと距離を詰めることの無意味さを理解していますから、自分がその方向に進むことはないと思います。
私は、もう充分過ぎるほどに彼女からの認知を受けていると感じています。
コンサートでも、劇場公演でも、会場で見つけてくれれば彼女は私に向かって笑顔を見せ、お見送りでは彼女から声をかけてくれます。
私にとって、これ以上に望むものは何もありません。
アイドルとファン という彼女と私の関係において、
ファンの側からそれ以上に距離を詰めようとすることは、お互いにとって不幸な結果を導いてしまいます。
私と彼女、ファンとアイドル、という関係性においては、本当に充分以上のものが出来上がっていると思います。
そうです。
それはわかっているのですが。
「君のことが好きだから」の歌詞の主人公のように、「人混みに紛れて気づかなくてもいい」と言い切れれば格好いいと思います。
でも、今の私は、彼女が私を見て笑顔を見せてくれれば嬉しいです。
私を指差してくれれば本当に嬉しい。
実際に、そう感じてしまうんです。
その、嬉しい、という感情は止めることができません。
そうして欲しいと願ってしまう自分が、実際にここにいます。
それが恐ろしいのです。
それがいつ、越えてはいけない一線を越えようとする狂った感情に変わってしまうのかがわからない。
狂った、というのは過ぎた言い方に聞こえるかもしれません。
ですが、劇場で団扇を高く挙げて我を失って推しメンの名を叫ぶ人も、影アナで「後方の方の視界を妨げる行為」を禁止すると言われている時には、それを冷静に理解していると思うんです。
しかし、公演中にそれをやってしまう。
冷静な時には理解していることを忘れ、自制心を失う。
熱狂、という狂気。
そうして、自制を失って行き着く先は、
プレゼントを断られて刃物で本人をメッタ刺しにする、という姿なのかもしれません。
それは、「越えてはいけない一線」を自分がどこに引くか、というだけの差でしかないからです。
総選挙に費やす金額が、1万円なのか10万円なのか100万円なのか1000万円なのか。
それと全く同じことです。
どこまでが正気でどこからが狂気なのか。
それはその人がどう感じ、どこに線を引くか、ということでしかありません。
私は狂った人にはなりたくないと思っています。
だから、私は今の自分が恐ろしいです。
新潟や栄の劇場に通い、コンサートツアーや総選挙などの交通費。
各公演のチケット代、CDやDVDなど。
年間で100万円に届きそうな金額を消費している自分は、完全に狂った側に属するでしょう。
客観的に見て、私はそういう人間なのです。
今はただDDとして公演やコンサートに行く、という方向にだけ狂っているので他人には迷惑をかけず害はないのかもしれません。
しかし、その狂気がメンバー本人に向かった時にどうなるのか。
わからないです。
恐ろしいです。
私は狂ったひとになりたくない。
そう実感するのには理由があり、
最近になってそれらとは少し意味合いは異なりますが、
今までには感じたことのない欲求が私の中に現れ始めました。
伝えたい。 聞いてみたい。
自分の言葉でメンバーに伝え、彼女の言葉で聞いてみたい。
そういう気持ちがある、というのは正直なところです。
それに意味がないこともわかっています。
ただ単なる自己満足に過ぎません。
ですが、その気持ちは自分の中に実際にあるのです。
例えば、
今、峰岸みなみ と話がしたいです。
彼女に、
例の坊主になった問題以降、自分が彼女のアンチであったことを伝え、
あれを反省しているかを聞きたい。
そして、後輩に背中を見せるために立候補することが本心なのかを聞きたい。
峰岸本人の口から直接、「はい」という言葉を聞きたい。
そして峰岸を心から応援したい。
今年は峰岸に投票したい。
そのために峰岸と話がしたいです。
ですが、今から買える握手券は7月以降のもので、総選挙には間に合いません。
だから買わないというだけで、総選挙に間に合う劇場盤が売っていたら峰岸の券を20枚買うと思います。
峰岸本人の口からは100%の確率で「はい」という言葉が出るはずです。
わかっています。
それは単なる自己満足。
わかっていますが、確かめたい。
自分の耳で、峰岸本人から発せられる言葉を直接聞いて納得したい。
そういう、メンバー本人と直接コンタクトしたい、といういままでになかった感情が今の私にはあります。
その感情がいつ、推しメンに向かっていくのかがわかりません。
握手券を100枚まとめ出しする自分は、きっとすぐそこにいるのだと思います。
それが怖いのです。
応援したい。
今は本当にそれだけです。
手をつなぎたいとは思いません。
独占したいとも思いません。
今はそれも本当です。
でも、それは今の自分がそこに線を引いているだけなのです。
以前には行くことに抵抗のあった秋葉原ドンキの8階に、今は通いたいと感じています。
人間には、慣れによる麻痺と、意識による感覚の遮断、があります。
どちらも、「おかしい」と感じていたものをそう感じなくしてしまいます。
私は以前はAKBが嫌いでした。
ウザいと思っていました。
嫌悪感がありました。
アイドルグループの中での人気投票なんでどうでもいい、と思いました。
同じ曲のCDを何種類も出してオタクに買わせ売り上げを稼ぐ売り方に嫌悪感を感じました。
今もその感覚は失われてはいませんが、麻痺しています。
「まあね、確かにね。興味のない人にはそうでしょうね。」という感覚になっています。
既に、以前には「狂っている」と感じた人間に、
今、私はなっています。
今の自分が「狂っている」と感じることも、これから先に自分がそうならないと言い切れません。
いえ、このままの流れではそうなってしまうのでしょう。
そしてその先には、明らかな狂人としての奇行に対しても抵抗がなくなっている自分があるのです。
自分はAKBのメンバーを殺すかもしれません。
そこへ行ってしまうかもしれません。
それがとてつもなく恐ろしい。
それが「絶対にない」とは言い切れない自分が恐ろしい。
自分は、既に狂ってしまっているからです。
ただのファンでいいんだ。
メンバーに接触したいわけじゃないんだ。
もちろん顔も重要だけど、推しメンってそういう問題じゃない。
その子自身に人としての魅力があるかどうかが真のパフォーマンスなんだ。
それが見えるからその子を応援したいと感じるんだ。
自分は、いつまでこの自分でいられるのでしょうか。
頑張っている子を見て、応援したいと感じる。
この純粋な気持ちのまま、AKBファンを続けていけるのでしょうか。
今はここを超えてはいけないと思っています。
今は意識してはいませんが、
近い将来に、
自分がAKBのファンでいるために、自分と闘う、という時が来るのかもしれません。
それは、自分自身が破滅に向かわないための正気。
コンサートや公演を、楽しいと感じれば感じるほどに。
推しメンの魅力を感じれば感じるほどに。
切ないものだなぁ、と思います。