ジョニーです☀️
今日が「夜長姫と耳男」製作秘話の最終回!(笑)
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初演の「夜長姫と耳男」は19歳の時。
前回書いたように、その頃のジョニーは耳男のごとき未熟で、社会性に乏しく、感情的で、頭もさほど良くなく、ちっぽけな自尊心を大事にまもりながら、そのくせ臆病者であり。
「夜長姫と耳男」を読んでも、耳男自身に起こる激しい感情を「愛」として読解できず、耳男と同じように「恐怖」や「怒り」として理解するしかありませんでした。
本当は、役者は、
まず役を俯瞰で眺めて分析して理解して、
役になりきるのはその後だと思うのですが、
ジョニーはおバカだったので、俯瞰でみるとかできなくて、すぐに耳男に直感で同化しにいってました。
演出家のほあしさんが頼もしいので、間違った方向へはいかなかったと思いますが、今思うと無謀でした。
蛇を捕まえるシーンとか、稽古の時点では本当にいま目の前にみえた蛇に飛びかかるイメージでやっちゃってたので、壁にぶつかるわ、人にぶつかるわ、怪我のもとでした。
すっごく怒られました。
「役者は演じている間、夢中でなりきっている自分と、冷静に眺めている自分、同時にいないとダメなんだよー!」
羊飼いほあしさんの愛のムチでした。
役者はバランスが必要なのです。
ただ、ほあしさんは、私に役の理解を深めさせるにあたって安易な「愛」というワードは一回も使いませんでした。
激しい感情を、適当な言語に当てはめて静かにさせたらもったいなかったんでしょうか?
耳男そのものに近づくため、あえてジョニーのカオスをそのまま舞台に乗せようとしたんでしょうか?
耳男は、感情も激しいわ、やってることも凄惨だわ、エネルギーも強いわ、惚れた相手はこの世のものではないほど美しく残酷な少女だわで、演じるともなれば大変です。
しかも、その様が、この作品の見せ場です。
本気でないと自分もお客さんも白けてしまいます。
蛇を捕まえたり、歯を食い縛ったり、仏像にノミを打ち付けたり、ということで手も足も色んなとこがアザだらけでした。
今はもうそんな風に演じられないかも?
痛いの嫌なので、本気で演じつつも痛くないように工夫すると思います。
(それでも、最終的に痛い思いしないといけないかもしれませんが。)
でも当時は、工夫の余地もなくそれが精一杯だったようです。
若い感じがしますね。
安穏と生かされている自分の日常生活では体験できない状態になるわけで、
しかも、本番の舞台に毎回必ずその状態にならなければならないので、
ある程度、本番前に時間をいただいて心の準備を行っていました。
当時はこの準備にすごく時間がかかって、丸一日かかったり、わりとすぐ準備ができたかと思ったらすぐ空っぽになってしまったり、
もー、難しい。

今では、稽古がはじまってから本番までの間に徐々に高めて、本番の時に少しでもパッとなりきれるように取り組もうとしています。
あ、でも、明るく気楽な役の時は、普段の状態に近いのでここまでの準備はいらないかも?
ただ、なぜか人の命をいただく役を演じる機会が多く、
この時の耳男の経験が、今後にとても役に立っていくことになるわけなのです。
これが私の生涯の宝である、一人芝居「耳男」との出会いでした。
終