四日目
本社のチョウです。
TVで見てどんな状況だかすごく知りたかったです。
こちらに実際来て、言葉で表せない状況を見たらすごく胸が痛かったです。
ここで私が一日一日努力して最善尽くし自分自身が変わって行く姿にとても喜びを感じます。
小さな力でも手伝えることが出来、一日一日がとても楽しくやりがいを感じる事が出来、とてもいい時間となっています。本当にきてよかった。
三日目
筋肉痛になりながらも無事三日目を終える事が出来ました。
三日目の今日も昨日と同じく肉体労働 。
泥かきに、津波でつかえなくなった家具とかゴミを玄関まで運びました。
普段使わない筋肉使ってるから筋肉痛です(泣)
でもこんなに一生懸命に人の為に働いたの始めて。お風呂はいれないし、汗いっぱいかくけど、すごい一日一日が充実してて本当にきて良かった。 今日も会ったおじいさんとおばあさんは、津波がきた時、二階に非難して助かったらしいです。 三日間何も飲み食いもなくて出来なくて、四日目におにぎりをもらってたべたら美味しくて感謝したって。 最近ではテレビではもう報道されなくなってしまったけど、現地ではまだまだ人手が足りないみたい。東京で何一つ不自由なしに暮らしていた自分がなんだか申し訳ない。
でもここにいる間はとにかく筋肉痛とか関係なしに、自分が今出来る事に最善を尽くしたいと思う。
ソニ、fighting!
ボランティア二日目!
今回のメンバーは本部長に南リーダー趙さんに韓国から来られた李へよんさんと私の韓国人メンバーで、昨日からボランティア活動に来ています。昨日更新しようとしましたが、初日早々体調を崩し、ボランティアから帰って来て18時から寝てしまいました^^;
まず昨日は写真の整理。津波で流された泥だらけの写真を洗い流し並べる。
その泥だらけの写真を見たとき、
被害に合った家族がどうか写真だけでも出会えますよにと願いながら陳列しました。
そして12時間爆睡し、体調回復した今日は朝からゴミ出しに泥かき。
初めての肉体労働で疲れたけれど、気持ちはとても清々しかった。こんな自分でも人の為に役立つ事が出来て本当に嬉しくやりがいを感じました。
ボランティアに行く前に友達や知人からすごい!!偉いね!!と言われたけど、
全然すごい事でも偉い事でもないんだなと実際来て見て感じました。
そして、困った時に助け合う事は当たり前だけれども本当に行動にうつせる環境を作ってくださったLifestudioに感謝しきれません。
最後に初めて社長達がとても逞しくかっこよく見えたボランティア二日目の李からでした^^
iPhoneからの投稿
強風
強風で眠れない...
テント村の何個かのテントは壊れた。
連休で日本各地から多くの多くの方がテント村でテントをはっているが、ここは時時強い風に、おわれる事が多いので、テントや物を固定させる物がテントを買った時についている物よりもっと強力な物が必要です。
野外撮影イベント開始のお知らせ★
所沢店スタッフ田中です
100本の木プロジェクト盛り上げるために野外撮影イベントを企画しました!お知らせさせていただきます
どうぞ、よろしくお願いいたします!
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おかあさんの言葉。
centerの矢川です。
昨日ボランティアをいったん終えて東京に帰ってきました。
昨日行ったお家では、庭にある泥を外に運び出す作業。
おかあさんと一緒に作業しながら、元気いっぱいのお母さんを見ていると私のほうが元気をもらいました。
おかあさん曰く、
「ものに執着しててはだめだ」
「今までの思い出とかは流されてしまったけど、またこうして新たに出会えて新しい思い出が作れる」
とずーずー弁で言われ、すごくたくましいお母さんでした。
謙虚というよりももうそれがお母さんそのもので、本当にこんな風に元気に生きることが周りの人にどれだけの力を与えることができるんだと、そんなお母さんみたいになりたいなって気持ちになりました。
「私は脳がないから、こうやってうごくことしかできね。」
「地震のときは、田んぼの前にいで、田んぼの水がさらさらきて、なんだかへんだべ、ととっさに家に帰ってきたらそしたら水が押し寄せてきて、家の柱に捕まって流れてきたタンスに乗っかってなんとか2階に行けた、1歳半の孫もなんとか必死におぶってさ」
本当にに九死に一生を得るってこういうことなんだろうなって感じたり…
まだまだ自分たちがやれることはたくさんある。
また戻ってきてお手伝いしたいそんなきもちです。。
そしてまたお母さんに会いにいきます。
ボランティア
こんにちは。
成城店の八山です。
一週間、行ってきました。
今回ボランティアに参加しようと思った理由とか
行く前からいろんな人たちと話してみたけど、これ!というのは思い浮かばなかった。
なぜか、感覚的に行こうと決まっていたのだけれど。
でもその感覚はあっていたと思う。
現地にいったら、まだまだ手つかずのところも多く愕然…
終わりの見えない暗いトンネルを手探りで歩いている、、、そんな感じでしょうか。
だけど、ボランティアで伺った家の皆さんはパワフルで、私は元気をたくさんたくさんもらった。
少しずつ、でも着実に前に進んでいる。
現地の人のパワーが何よりの薬になる。
だから大丈夫。
私も一緒に前に進もう。
お父さん、お母さんがいる全ての人へ
人は何処から来て、何処へ行くのか。
私たちは、大人だ。自分で靴がはけるし、ご飯だって箸を使って食べる。
悲しくても涙を我慢する。うれしくも無いのに、笑う。
私がこの世に生を受けた時、果たしてそうだっただろうか。
肺呼吸をするために泣き、母親に抱かれ、父親に抱かれ、
食べさせてもらい、抱っこで移動をし、靴を履かせてもらい、歩くようになった。
危ないものからは守られ、悲しいときは泣き、うれしい時は笑い、安心して過ごしていたんじゃないか。
それをさせてくれたのは、誰だったろうか。
この震災で、私の友人のお父様の行方がわからなくなった。現在もまだわからない。
その話を打ち明けてくれたとき、感じたことが先に書いたことだ。
人は何処から来て、何処へ行くのか。
大人になった私もかつては一人の子どもで、両親に守られて育ったのだ。
肉体的に大人になり、ひとりの子どもの親になった私は、世間ではお母さんと呼ばれる。
職場では店長と呼ばれ、まりさんと呼ばれ、保育園ではお母さんと呼ばれる。
税金を払い、選挙に行き、車を運転する。
何となく、なんでも一人でできるような気がして、何となく一人で大きくなった気がする。
しかし、そうではない。
友人が私に話してくれた。父親が居たから、自分が居たことに、今気がついた、と。
友人が、宝物のように見せてくれた、お父さんと一緒に写った写真が忘れられない。
子どもを生み、育てた私は、人の誕生を知った。人は、母親から生まれるのだ。
今どんな境遇に居ても、一人で生まれた人は居ない。
毎日出会う幸せな家族の笑顔を見ながら、「私はいいんです、子どもを撮ってください」何度もお母さんにそういわれてきた。
「私はいいです。恥ずかしいので写りません。」そういうお父さんも居た。
今は、そばに居る。
でも、今は一瞬後に過去になる。
今、家族がそばに居ることを、どうか残させてください。
ある時から私は撮影の際に、ご夫婦、パパとお子さん、ママとお子さん、ママひとり、パパひとりの写真を撮影させてもらえないかとお願いするようになった。
お子さんの写真を残すことは、お子さんの今を残すことになってお子さんのためになる。
けれど、一人の写真だけではなくて、両親の姿、お母さんと二人、お父さんと二人、今一緒に集まったこの家族の美しさを残すことが、私に出来るたった一つのことのように思える。
家族のアルバムに、私の母がほとんど居ないのは、母がいつも私たちの写真を撮ってくれていたからだ。
それがお父さんの役割である家庭もあるだろう。
誰かが居ない、それはそこにファインダーをのぞき、愛を込めてシャッターを押した人がいるからだ。
お母さん、お父さんは美しい。
その美しさは、笑った時にできるしわや、大きな手や、子どもを愛し育てた指の節、お母さんのあかぎれ、お父さんの白髪…
世間の言うモデルを讃える"美しさ"とは違うかもしれない。
しかし、それでも私はお父さん、お母さんの美しさを叫びたい。
一枚の写真が、その美しさに気付くきっかけにはならないだろうか。
私の能力で、それが叶うか解らない。
けれど、人を生み育てた一人の母親として、カメラを持つものとして、私に出来るたった一つのことだと考える。
アルバムに写らない誰かのかわりに、私に写真を撮らせてください。
私は、初めてライフスタジオで息子と二人の写真を撮影してもらった時のことを鮮明に覚えている。
恥ずかしさ、照れくささ、息子の喜んだ顔、写真に写った自分の表情、自分の手、息子の手…
そこに写っていた私は、紛れも無く、母性がある「お母さん」だった。
今でもその写真を宝物にしている。私が、自分が母親であることを誇りに思った最初の一枚だったから。
お母さんであることは美しい。お父さんであることは美しい。
家族がそろう奇跡を感じて欲しい。
人は何処から来て、何処へ行くのか。
お母さんとお父さんから生まれ、そしておじいちゃんになりおばあちゃんになり…
私は、お父さんお母さんの写真を残す。その美しさに気付いてもらうために。
幸せだな、と一枚の写真をみて感じてもらえる日が来ることを夢見て。
名古屋店 店長 MariYoshizu


