よぱめぐです。
ブログにおこしくださり、ありがとうございます。
ご縁に感謝
2023年3月に、10年間勤務した某県庁を退職しました。
10年間のうち、3年間は新型コロナウイルス対応業務をしていました。コロナ業務を通して、組織のゴタゴタに巻き込まれ、行政という組織の構造的な問題を垣間見る中で、定年延長で65歳までこの働き方をするのか…。と思ったときに、もう少し違う働き方ができないかな、家族を大切にした人生が送りたい、と模索し始めたことが、退職を考えるきっかけでした。
現在は、【農学部&栄養学部卒 管理栄養士】の経歴で、フリーランスという形で資格を活かしながら、ぼちぼちと働いています。
公務員辞めた理由。の1つ。
第一子が小学校に入学。
越えられなかった『小1の壁』。
令和5年4月から小学校に入学したわが子。
ネット記事でよく目にしていた、『小1の壁』。
私も壁を越えられなかった、ワーママの一人です。
越えられなかった理由
1 子供が学童に入ることを嫌がった
2 1年生の帰宅時間は幼稚園より早い
3 夏休みなどの長期休みが対応できない
4 業務多忙で思考停止。もう休みたい。
5 母の私が、子育てに後悔したくない!
1 子供が学童に入ることを嫌がった
これが一番の理由ですね。公務員だったころは、幼稚園の預かり保育をマックス利用していたのですが、自由にやりたい子だったので、みんなで同じことをする、時には園長の趣味で小学校受験のプリントを解かされていたらしい。(田舎だから受験する私立小学校がないのにw)幼稚園の預かり保育が嫌になってしまったことがありました。いざ、学童、となったときに、本人が嫌がったことで学童をあきらめました。
補足しますと、田舎なので民間学堂は近くになく、車で30分くらい走れば民間学堂はあります。つまり、わが家は、小学校の敷地内の公設学童に行くか、行かないか、という選択肢しかかありませんでした。
2 1年生の帰宅時間は幼稚園より早い
学童に入れない決断をしたことで、次に壁になったのは、私の勤務時間。公務員なので、育児中の職員だと育児短時間勤務制度や部分休業制度が利用できます。一番短い時間だと1日3時間55分+会計年度任用職員さんをつけてもらう。っていう働き方がありました。時間だけみればなんとなく回せそうな気もしますが、ここに落とし穴がありました。
勤務時間を減らしても仕事の量は減らない。
7時間45分働いても、3時間55分働いても、仕事の量は変わらない。責任も同じ。ちょっと無理かな。って心が折れました。
3 夏休みなどの長期休みが対応できない
なんとか頑張ってもやってくる夏休み。夫の両親は遠方で、病気療養中。実両親もフルタイム勤務。今は60歳で定年しても再雇用で働く時代ですからね。
夏休み、毎日元気いっぱいの子どもたちをお願いね~。ということができず。学童を使わないとなると、夏休みはもう、どうにも回らない。
4 業務多忙で思考停止。もう休みたい。
某県庁職員だった時は、保健所でコロナ対応業務をやっていました。コロナが始まってからだから、3年間でしょうかね。超絶忙しいときは、夜23時まで残業していました。当時3歳4歳を抱えた育児中の職員だったのに。(えげつない人事ですよねw)土日、GW、年末年始も子供を預けて出勤してました。年末年始は帰る頃に車に雪が積もってたな。コロナ業務で心身ともに疲れてしまって、もう、休みたい。これ以上続けたら自分の心が壊れて、もう戻ってこられなくなる。と思ったことも理由の一つ。
5 母の私が、子育てに後悔したくない!
最後の理由は、私のわがままです。
こどもたちとの時間を大切にしたい。今しか作れない家族の思い出を作りたい。あの時、こうしていればよかった。戻れない時間を後悔したくない。毎月支払われていた給与の30万円を手放すことは、最後まで私の心に引っかかっていたけれど。
人生一度なので、仕事も子育ても私は後悔したくない!
今大切にしたいもの、今大切にしなければならないもの、
今を大切に、生きていきたい。
小1の壁は、越えられなかったのではなく、
❝越えなかった❞
そう言える日がきっと来ると信じて。
また、ぼちぼち書いていきたいと思っています。
お付き合いいただければと思います。
最後まで、読んでくださり、ありがとうございました
過去の記事はこちら。
私が県庁をやめた理由
県庁を退職するために準備したこと
県庁をやめるために準備した3つのこと~株編~