アーシングエブリナイト -28ページ目

アーシングエブリナイト

10年間、夜は導電性シートを使ってアーシングをしながら寝ています。目覚めた時、ゼロボルトの脳とカラダは純正の私そのもの。紡ぐ言葉も私そのものでありたい。

随分前のことだ。

私がガラケーからスマホに変えたと聞きつけた遠方の知人が、

ラインを始めてくれ、と言った。

アーシング生活のお陰で、電磁波に耐性ができ、

スマホも長くいじれるようになっていたので了解した。

知人はEメールで事細かに指示を出し、その通りにやってみるが、

アプリをダウンロードして、個人情報を入力していると、気持ちが悪くなってきた。

(電波状況がよくなかったかも?)

通信のやり取りで、脳が強い高周波を浴びているからで、

私は、もうやりたくない、と半べそでメールを送った。

が、知人は、頼むからもう少し頑張って、と譲らなっかった。

知人に憎しみすら感じながら、もう少しで吐くかと思うくらいのダメージの中、やり遂げた。

私はこの時のダメージを高周波から身を守るボーダーラインと位置付けている。

スマホ通話も、じりじりとこのボーダーラインに近づくと、

出先なら、家から家電でかけ直す、と相手に言う。

スマホでチケット予約する時も、要領を得ずにもたもたしてダメージばかりが膨らむときは、

すべてをあきらめて、電源を切る。

体がスーッと楽になると、体より大事なものはない、と素直に思える。

 

高周波と言えば。

Dさん(電磁波測定器を持つ電気工事士)が言っていた。

電磁波過敏症の人でも、パソコンのWIFI機能を知らない人がいる、と。

我が家のように家で無線を飛ばさず、パソコンを有線で繋いでいるのに、体調が優れない人がいて、

Dさんが、パソコンのWIFI機能をオフにしているかと尋ねたら、オンだったので、

オフにしたら、体調が戻った、という話だ。

自分の身は自分で守る。

難しいようで、知れば(知識があれば)簡単、ということもある。

 

クリスマスが近づくと、なんとなく付けたくなるピアスがある。

ふっと思い付いて、二つのピアスをくっ付けた手作り(?)ピアスだ。

先日、友人に会った時、可愛いでしょ、と自慢すると、

「うん、可愛い。キラキラが肌のくすみをカバーしてる」と言った。

なるほど!TVで女子アナがレフ板(反射板)を使って綺麗に映るアレか!

顔の横でキラキラするピアス、お薦めです。

 

 

 

 

 

庭の畑に作ったホウレン草を抜こうとして、根っこから抜けず葉がちぎれた。

雨が降らず、地面が乾燥していた。

ついつい、朝露で湿った地面の表面を見て油断して、水遣りを怠る。

言い訳はこの辺にして。

 

なぜこの話をしたかと言うと。

電磁波過敏症の知人が、庭に五寸釘を打ち込んでパソコンのアースを取っていたが、

近頃測定すると、電場の値が高かった、つまりアースが効いていなかった、という話を聞いたからだ。

畑の畝が乾燥する季節。

おそらく、知人の使った五寸釘は畝の高さより短いだろう。

この話には前段がある。

知人は近頃住まいが変わり、体調が優れない、とDさん(電磁波測定器を持つ電気工事士)にメールを入れていた。

Dさんは、知人が以前の住まいでは、部屋のアース端子でパソコンのアースを取っていたのを知っていたので、今の住まいではどうしているかと訊くと、庭があるので、五寸釘を打ち込んでアースを取っていると返答があった。

Dさんは、即座にそれは効いていないかもしれない、地中深くアース棒を打ち込んだ方がいい、地面が乾いたら、水を撒くといい、とアドバイスした。

そこで知人がパソコンの電場測定をし、Dさんの予測通りだったというわけだ。

知人は家でパソコンを使った在宅ワークで生計を立てている。

既にホームセンターでアース棒を調達し、改めて、パソコン周りの環境を整えているだろう。

でも、Dさんは楽観はしていない。

住まいが変わって、体調不良を訴える人は多い、

一つ一つ疑わしいものを精査して原因を見つけた方がいい、と言う。

原因が分れば、すべてを疑わなくて済む。

これは心の解放であり、生活を楽しむことにも繋がると思う。

 

自分の身は自分で守る。

この精神は裏返せば、他人は当てにするな、ということだろう。

そう聞けば、世知辛いし薄ら寒くもある。

でも、この精神の持ち主が他人をどうでもいいと思っているわけではないと思う。

自分の身は自分で守る。

この精神に至る途中、人は自身を心と体の両面から見つめ直しているわけで、

心の不思議、体の不思議に気付くと、同じ構造を持つ生命体(他人)に対して、

いい加減な気持ちで向き合えなくなる。

私の場合だけど。善人ぶるつもりはないけれど。

でも。

こういう人はたくさんいる、と思っている。

 

 

小学校の3年生くらいだったと思う。家から少し離れた商店街の通りにペットショップがオープンした。同じ軒には花屋や本屋があって、こじんまりした店構えだったように思う。当時は今ほど、ペットブームではなく、店のガラス越しに見えるゲージには、柴犬などの子犬がほとんどで、家の中で飼う小型犬ではマルチーズがいたくらいしか記憶にない。小さな顔にくるくる動く大きな目が可愛くて、私は子犬たちに夢中になった。母の言いつけでひとり買い物に行く途中、必ず、立ち寄って子犬たちを眺めた。買うつもりがないので、店の中に入るのは憚られたが、ガラス越しにゲージの子犬たちを眺めるだけで楽しかった。

ある日、いつものように、ガラスにへばりついて子犬を眺めていると、店の中から男性が出てきた。「いつも見てるね。中に入ってごらんよ」男性には、小学生の私がドキリとする若さがあった。すらりとして、声が優しかった。私が黙っていると、笑いながら「見るだけでもいいから」と、こちらの心を読むようなことを言った。店の中は薄暗く、青く光る水槽がたくさん並んでいた。見たこともない魚がたくさんいた。大きなカメもいた。

店の中にも子犬がいると思っていた私はがっかりした。男性はまた笑って言った。「シェパードがいるよ」店の隅のゲージに一匹の黒くて大きなシェパード犬が座ってこちらを見ていた。「かっこいいでしょう」男性は怯えた私にお構いなしで、ゲージに近寄ると、すり寄ってきた黒い犬の頭を撫でた。「大人しくていい子だよ」犬のことを言っているのだと気付くまで間があって、その間に、男性は店の奥のカウンターに入ってしまった。そして所在なくもじもじしている私に「またおいで」と言った。

私はペットショップに行くと、ゲージの子犬たちを一通り眺めてから、シェパードを見たい素振りで店の中に入るようになった。カウンター越しの男性は、私を見るといつもにっこり笑った。それだけの日もあれば、何年生?とか、どこに住んでるの?とか訊かれて、一言二言話す日もあった。私は男性の優しい声が好きだった。青光りの薄気味の悪い店内も、男性の声が響くと、安心な場所に感じられた。

シェパードは店の片隅で、男性の執事のようにいつも凛と座っていた。

ある日。男性がカウンターで小さなテレビを見ていた。初めて見る小さなテレビで、小さいね、と驚いて言うと、男性は「欲しい?」と訊いてきた。返答に困っていると「3000円で売ってあげるよ」と言った。それでも黙っている私に少し苛ついたようで「お母さんに聞いてみて」と言い、顔をテレビに戻すと、男性はそれきりこちらを向かなかった。

家に帰ると、母にテレビのことを話した。母は、持ち運び自由の3000円のコンパクトテレビに興味が湧いたようで、買っていいと言った。私は翌日、学校から帰ると勇んでペットショップに向かった。真っすぐ店に入り男性にテレビのことを言いかけて、カウンターにテレビがないのに気付いた。テレビは?と訊くと「売れちゃったよ」と男性は事も無げに言った。驚く私にいつもの笑顔を向けると、せわし気に帳面のようなものに目を通し始めた。シェパードが店の隅からこちらを見ていた。執事は、御用は済みましたか、と言っていた。

ペットショップから足が遠のいて、しばらく経ったある日。

母が言った。ペットショップが夜逃げのようにして店を閉めた、テレビを売りつけようとしたのも、資金繰りの足しにしようとしたに違いない、店の前に置かれたダストボックスに、死んだ大きな犬が捨てられていた、随分痩せていたらしい、と。

傍で聞いていた父が、大きな犬は邪魔になって、始末して捨てたんだろう、と言った。

私は、男性の優しい声のことや、男性がよそよそしくなって悲しかったことより、ダストボックスに捨てられたシェパードのことを考えるようになった。町の至る所に置かれたオレンジ色のダストボックスを見ると、見たはずもないのに、生ごみの上にのせられた、あばら骨の見える黒光りしたシェパードの遺骸が頭に浮かんだ。悲しげで無残な姿は、当時、夢の中にも現れた。

それからも、シェパードの最期の姿は、出先やTVで、シェパードを見た時、動物園で黒光りした動物の皮膚を見た時など、ふっと脳裏に浮かぶことがあった。

でも、歳を追うごとに、思い浮かぶシェパードに悲壮感を感じなくなった。

これまで、私なりに大切な人を見送って思うのは、その人の生きた時間の輝きをその人の記憶として思い留めることの大切さだ。それは生きている人間が強く生きるための知恵であり術であると思う。

店の片隅でいつも穏やかで気高く美しかったシェパード。私は今や、彼の(もしくは彼女の)輝きばかりを思い出すようになっている。

 

 

Dさん(電磁波測定器を持つ電気工事士)に、不眠に悩む男性から電話があった。

近くに携帯電話基地局が建っていて、それが原因ではないか、子供の健康も心配だ、とのこと。

Dさんは、まずは、自宅の電磁波を測って下さい、測定器は貸します、使い方も教えます、

と男性に言って電話を切った。

私が男性の住所が近いので、測定してあげれば?と言うと、

基地局からの電波は、朝と夜でも、平日と休日でも違う、当然家の部屋でも違う、

そこに住む人間が、しっかり測定しなきゃ駄目だ、とDさんは言った。

そして、測定値の値の高い部屋について、対策を練ればいい、とも言った。

件の男性が眠れないのなら、寝室の環境に問題があるのかもしれない。

誰もが電磁波に慣れた暮らしをしている。

自宅を測定したなら、家から発生している電磁波の測定値の高さにも驚くだろう。

私は、人は一日の終わりに質の良い睡眠をとれたら、

そこそこ健康な暮らしができると思っている。

寝室の環境を整えて、就寝しながらのアーシングを勧める理由です。

 

余談だが、基地局からの電磁波は、天気によっても違う。

基地局問題で、住民側の立ち合いのもと、電磁波を測定する日を、

企業側が予報で雨の日を選ぶことが多い。

電磁波が雨(水)に吸収され、弱くなるからだ。

 

以前、人は死の瞬間、幸福感に包まれる、という研究結果がある、というNHKの特集番組を見た。

人類は永い歴史の中で、死に対する恐怖が普遍的なテーマであり、

その恐怖を克服するために人類が成し遂げた叡智として、

死の瞬間、脳が、お花畑にいるような幸福感に包まれる、と、ざっくりそんな感じだった気がする。

永い時間の流れの中で次から次に生まれては死んでいく人の命というものは、

ぶつりぶつり途切れているのに、

誰もが持ち続けた強烈で濃密な思い、願望が受け継がれた結果、叡智を生む。

スピリチュアルのようであり、きちんとした科学に違いない。

そこがすごい。魂と脳のすごさだ。

友人にこの話をしたら、

「幸福感に包まれる条件として、死を受け入れないとダメなんじゃない?死にたくない!ってあがいたらその恩恵にはあやかれないんじゃないの?」と言った。

この友人らしくて、なるほどね、と感心したが、

死に対する恐怖ありきで生まれた叡智なら、

そういう人にこそ、美しいお花畑が見えるのかもしれない、という気もする。

 

 

 

 

 

 

 

 

半月ほど前から、パソコン作業時、マウスを持つ右手と、ただ机にのせている左手も、

しびれるような、痛だるいような感じがしていた。

私が、手をさすったり、振ったりしているのを見た友人が、腱鞘炎?と心配した。

庭仕事もしていないし、謎だった。

で。

一昨日、温泉旅行で家を空けるので、パソコンのプラグを抜くと、

なんと、プラグに付いたアース線も一緒に外れた。

つまり。ずっとアース端子から外れたままだった。

(プラグにアース線の付いたDELLのノートパソコンを使用)

手の異常は、電場の曝露が原因だった。

実は、以前のパソコンでも、パソコンの金属部分をアースして電場をカットし、

手のしびれや痛だるさから回避した経験がある。

今回も、当時を思い起こせば、すぐ確認作業が出来たはずだった。

マウスを持つ右手だけでなく、左手も異常があったのは、電場は伝播するので、

パソコンから机に伝播した電場が左手にも伝播したということだ。

パソコン作業時。

手がしびれたり、痛だるさのある人は、電場が悪さをしているので、電場カットを勧めます。

家のアース端子から長いアース線を引いてでも、、試して下さい。

(『パソコンの電磁波カット』参照)

プラグのアース線をアース端子に接続する前に測定した。

ノートパソコンに対し、ほぼ体の位置に測定器を置いて、マウスの傍で、電場の値は70V/m.。

(メーカーによって違いはあるかも)

安全基準は、50cm離れて25V/m.。(ノートパソコンは、50cm離れて使うことはない)

もちろん。

アースを取れば、測定値はほぼゼロ。

 

温泉旅館では、無料WiFiが飛んでいた。

私は高周波の中ではよく眠れない。周りが静かでも、頭の中がしんとしない。

アーシングセットを持ち込んで、アーシングに成功したものの、

ぐっすり深い眠りには程遠かった。

それでも、街中のホテルよりはうんと楽かな、と思う。