久しぶりのブログ更新です。


今日、山梨県早川町の赤沢地区に行ってきました。

ここは重要伝統的建物群保存地区に選定されており、

今週9月1日まで、選定20周年記念イベントが行われている。

http://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/akasawa-ver3.pdf



あまりにものどかで、時を忘れる佇まいに満ちており、

ぜひ足を運んでみたい場所だ。


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お茶処(喫茶店)の二階からの絶景

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身延~七面山の信仰の道にあり、

数十軒の集落に、以前は5~6軒の宿で栄えていたそうで、

現在は1軒だけが営業している。


ここはそのうちの1軒、大黒屋で、写真展の会場。

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さらに別の宿、清水屋では、書宿展(水墨展)が行われている。

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現大河ドラマ“八重の桜”や

次回の大河ドラマ“黒田官兵衛”に採用された作品などが展示

(撮影禁止)


集落の中央に、見事な石畳の歩道があり、風情の幹だ。

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妙福寺の巨大サルスベリが満開。

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集落唯一の、そば処“武蔵屋”への入り口。

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手打ちの二八そばが、掛け値なしに絶品。

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1時間程度の滞在予定が、あっという間に3時間を超えるという、

本当に時間を忘れる風情を満喫してきた。


二日目の6月16日(日)は、大槌町から山田・宮古・田老と続きます。


小川旅館は、大槌町内に土地を借りて仮設の宿舎を作り、

昨年営業を再開しました。

http://re-tohoku.jp/movie/13205

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食堂です。

内部は無駄なスペースが無く、仮設とは思えない造りです。

被災地巡りの際の、お勧め宿泊施設です。

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女将と一緒に、玄関で記念撮影。
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この時期、朝が早いので、6時半の朝食の前に、

大槌町内を一巡りしてきました。


NHKアニメ“ひょっこりひょうたん島”のモデルとなった、蓬莱島です。

前回修復中だった灯台は、きれいに完成している。

陸地から100mほど離れた島への通路は、津波で無くなってしまいました。

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その後、廃線となった三陸鉄道大槌駅と、

その周辺に従来から出ている、自然の恵みの湧水を見に行った。


廃墟となった大槌駅のホーム跡です。

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近くの山からの地下水が、

この周辺で湧水となり、自然の恵みとなっていました。

今は使われることのないまま、自噴水となっています。

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朝食後、7時に小川旅館を後にし、山田町に向かう。

山田町も大槌と同じく、津波後の火災という重複被害が甚大だ。

海岸沿いに残っている機能は何もない。


次に向かった宮古市では、市役所に伺い、

市役所の海に面した窓から放映された、

津波の生々しい動画の撮影場所に立ってみたかった。

あいにく日曜日で閉まっていたのだが、

お願いして見せてもらえることになった。


6階のベランダからの海岸の眺め。
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目の前の防波堤を軽々乗り越えた津波と一緒に、

自動車や船が手前の道路部分に流れ込んで来る映像が、

昨日のことのように思い出される。
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三陸海岸最後の目的地は、宮古市街地から約15分の田老地区だ。

万里の長城と言われた、高さ10mを超える防波堤も、

今回の津波は防ぐことが出来なかった。


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上に立ってみると、二重防壁だったはずの堤防の両側共、

地上には何も残っていない。

防波堤があれば被害の軽減が期待できるのだが、

今回の場合は10m程度の高さでは意味がなかったのだ。
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今回の北上計画はここまでなので、ここで引き返し、

宮古への途中、浄土ヶ浜に立ち寄ったのだが、

海岸はガスにかかっていて、この程度の見通ししかなかった。


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その後、宮古市内の魚采センターで買い物をして、東北道に向かった。

順調に2時間弱で盛岡インターへ。


東北道の途中、平泉の中尊寺・金色堂を1時間ほど見学した後、

来たのと同じ道を走り、夜11時に無事山梨に帰着した。

本当に突貫の計画だったが、予定のすべてに伺うことが出来、

充実した2日間だった。

参加した5人、全員がそれぞれのものを得て来たことと思う。


参考までに、昨年秋と一昨年秋に訪れた時の模様を添付します。

時期によって進行したことと、変わらない事とが読みとれればと思います。


2011/10/23 陸前高田→気仙沼→南三陸

http://ameblo.jp/0826ys/entry-11059846385.html


2012/10/31 気仙沼→大船渡

http://ameblo.jp/0826ys/entry-11393315931.html


2012/11/01 釜石→大槌→山田→宮古→田老

http://ameblo.jp/0826ys/entry-11394371284.html



地元自治会の役員OBから、震災被災地を廻ろうという声がかかり、

5人のメンバーで具体化することになった。


金曜の深夜から、運転を交代しながら土日の丸2日を使う計画で、

6月14日(金)24時に山梨を出発しました。


中央道→圏央道→関越道→北関東道→東北道経由で、

以前お世話になった七ヶ浜町に着いたのが朝7時前。

最初、七ヶ浜の海岸沿いの被災箇所と多聞山を廻った。


菖蒲田海岸では、防波堤の嵩上げの計画高さが表示されており、

現状(画面右端)の倍以上の高さになるようです。
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ここの松林は、震災直後健全だったものは残し、

津波で倒された松だけを数か月かけてボランティアで整理したのですが、

ここで残念だったのは、健全だったはずの海岸近くの松が、

ほとんど枯れて来ていることでした。(写真参照)

おそらく、地盤沈下(約1m)のために、

海岸近くの地下水には海水が混じってきているのだろう。

地盤沈下の影響がここにも現れているようだ。

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8時半過ぎに、七ヶ浜ボランティアセンターに挨拶に行った。

ここで少し引け目を感じたのは、この時期になっても、

なんと200人近くのボランティアがここのボラセンに結集しているのに、

我々は顔を出すことしか計画していなかったことだ。


でも、星センター長など多くの人が歓迎してくれ、

マッチングの場で話をする場面まで設定していただいた。

この写真は、星さんの200名近くのボランティアへのマッチングの模様です。

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毎朝行っている、全員での“おらほのラジオ体操”
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9時半にボラセンを後にし、一路三陸海岸に向かう。

三陸道を北上し、ホテル観洋で志津川海岸を一望したのち、

志津川中学から、廃墟となってしまった南三陸町の中心地を確認した。

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画面中央左にある、防災対策庁舎にもその後行ってみた。

ここは、みんなの記憶にあるように、

津波避難を防災無線で呼びかけながら、

自ら津波に飲まれてしまった女性職員の建物だ。

多くの花がたむけられている。
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次が、気仙沼。(午後1時半着)

5万人規模の町全体が、まったく何も残っていない、

骨組みだけ残された建物も、行くたびに解体され更地になっている。

いや、更地でも無い、満潮時には海になっているのだ、地盤沈下で。

先のことを考えると言葉にならない、どう復興すればいいというのだ?


第十八共徳丸も解体の予定と聞くが、空しく残っている。

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次の、陸前高田の惨状も同様だ。

今回は満潮では無かったので、一昨年秋に行った時の写真だが、

市街地だった場所が満潮時には、このように海となってしまう。
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奇跡の一本松は、きれいに復元されていた。

この松が流されなかったのは、

画面の奥にある建物がバリケードになってくれたと思われる。
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この後、大槌町にある“おらが大槌夢広場”の震災復興館に、

アポイントをいただいていたので、先を急いだ。

大船渡・釜石は、比較的復興が順調に思えるので、

停車することなく通過し、4時前に震災復興資料館に着いた。

http://www.oraga-otsuchi.jp/


昨年秋に突然伺った時に親切に対応していただいた、

事務局スタッフの小向千晶さんが待っていてくれた。

ここは、大槌町内に、“おらが大槌復興食堂”と併設している、

仮設の復興資料館だ。

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館内での説明の後、城山公園という小高い山まで案内していただいた。

写真には、町長自らが命を落とされた役場施設が、画面左に写っている。
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阪神淡路大震災から引き継がれている“希望の灯”
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以上でこの日の予定が終了し、4時半過ぎに小川旅館に着いた。

ここは、大槌町内で被災し、

近くに土地を借りて仮設で営業を再開した旅館です。

http://re-tohoku.jp/movie/13205



明日は、ここ小川旅館のことから、以北のことを書きます。、