地元自治会の役員OBから、震災被災地を廻ろうという声がかかり、
5人のメンバーで具体化することになった。
金曜の深夜から、運転を交代しながら土日の丸2日を使う計画で、
6月14日(金)24時に山梨を出発しました。
中央道→圏央道→関越道→北関東道→東北道経由で、
以前お世話になった七ヶ浜町に着いたのが朝7時前。
最初、七ヶ浜の海岸沿いの被災箇所と多聞山を廻った。
菖蒲田海岸では、防波堤の嵩上げの計画高さが表示されており、
ここの松林は、震災直後健全だったものは残し、
津波で倒された松だけを数か月かけてボランティアで整理したのですが、
ここで残念だったのは、健全だったはずの海岸近くの松が、
ほとんど枯れて来ていることでした。(写真参照)
おそらく、地盤沈下(約1m)のために、
海岸近くの地下水には海水が混じってきているのだろう。
地盤沈下の影響がここにも現れているようだ。
8時半過ぎに、七ヶ浜ボランティアセンターに挨拶に行った。
ここで少し引け目を感じたのは、この時期になっても、
なんと200人近くのボランティアがここのボラセンに結集しているのに、
我々は顔を出すことしか計画していなかったことだ。
でも、星センター長など多くの人が歓迎してくれ、
マッチングの場で話をする場面まで設定していただいた。
この写真は、星さんの200名近くのボランティアへのマッチングの模様です。
9時半にボラセンを後にし、一路三陸海岸に向かう。
三陸道を北上し、ホテル観洋で志津川海岸を一望したのち、
志津川中学から、廃墟となってしまった南三陸町の中心地を確認した。
画面中央左にある、防災対策庁舎にもその後行ってみた。
ここは、みんなの記憶にあるように、
津波避難を防災無線で呼びかけながら、
自ら津波に飲まれてしまった女性職員の建物だ。
次が、気仙沼。(午後1時半着)
5万人規模の町全体が、まったく何も残っていない、
骨組みだけ残された建物も、行くたびに解体され更地になっている。
いや、更地でも無い、満潮時には海になっているのだ、地盤沈下で。
先のことを考えると言葉にならない、どう復興すればいいというのだ?
第十八共徳丸も解体の予定と聞くが、空しく残っている。
次の、陸前高田の惨状も同様だ。
今回は満潮では無かったので、一昨年秋に行った時の写真だが、
奇跡の一本松は、きれいに復元されていた。
この松が流されなかったのは、
画面の奥にある建物がバリケードになってくれたと思われる。
この後、大槌町にある“おらが大槌夢広場”の震災復興館に、
アポイントをいただいていたので、先を急いだ。
大船渡・釜石は、比較的復興が順調に思えるので、
停車することなく通過し、4時前に震災復興資料館に着いた。
昨年秋に突然伺った時に親切に対応していただいた、
事務局スタッフの小向千晶さんが待っていてくれた。
ここは、大槌町内に、“おらが大槌復興食堂”と併設している、
仮設の復興資料館だ。
館内での説明の後、城山公園という小高い山まで案内していただいた。
写真には、町長自らが命を落とされた役場施設が、画面左に写っている。
以上でこの日の予定が終了し、4時半過ぎに小川旅館に着いた。
ここは、大槌町内で被災し、
近くに土地を借りて仮設で営業を再開した旅館です。
http://re-tohoku.jp/movie/13205
明日は、ここ小川旅館のことから、以北のことを書きます。、