平泉から黒石寺を経て、陸前高田に入ったのが午後3時ごろ。

日没まであまり時間が無いので、車窓からが多かったが、

ポイントを絞り書き込みます。


何しろ、三陸海岸を目の当たりにすると、

“復興” とか“がんばろう”とかのイメージがわいてこない。

“復興”には、そのための土地が必要だが、これまでの土地が消滅している。

海水が引かないのだ、干潮のときはまだしも、

満潮時にはこれまでの街が海水に浸かる。

市街地で低めの部分は、青みどろ(藻)の泥水のままだ。

これでは最低限必要な道路もつくれない。

どうしても必要な部分は盛り土して仮設している。

それ以外は施しようがない。

旧気仙沼市(海岸の平地部分)だけでも、人口は5万人を超えている。

そのほとんどがこの状態だ。

この状態で、どこから“復興”のイメージを湧かせればいいのか?

何を頑張ればいいのか?

この4月以降、目の当たりにした最大の悲惨状況だ。


以下、走った経路順に写真を付けます。



陸前高田市の平地部分。水が引かない、池の状態。
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陸前高田“奇跡の一本松”

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以前は、海辺の約2キロ区間に7万本の松が植えられた海岸名勝地だった。

しかし、奇跡のこの1本も、地震で砂浜が削られ、

松と海の距離はわずか10メートルに近づいている。

波と土壌の塩気があまりにも強く、

すぐにも枯死するかもしれない危機に直面している。

このため、残った松の枝を5センチほど切り、他の松への接木を試みたそうだ。

しかし、もともと接木に最も適した時期は3月頃で、やや遅い感があるうえ、

樹齢があるので成功するかどうかは分からないとのこと。

どうして、この1本に奇跡が起きたかについては、

グーグルの航空写真を見て考えると、

この場所が目の前のユースホステルの陰になっており、

バリケードの役目をしてもらったと思われる。

類似の免れかたは各所で見られる。

目の前の大きなものが壊れないと、その陰のものの被害は少ない。

代表的な例では、松島町の沿岸商店街は

松島湾の200以上の島々に守られて、被害が少なかった。

 

市立陸前中学校の校舎。3階まで完全に、のみ込まれている。
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車の窓から撮影したこの船、第18共徳丸は330トンの巻き網漁船。
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気仙沼漁港 から北約500メートルのJR鹿折唐桑駅前まで された。
現状のまま保存して、「復興記念公園」にすることが検討されているとのこと。

 

この船も放置されている。やはり、周りの水が引かない。

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気仙沼市の街中の様子。 3階まで被災し、周りの水が引かない。
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宮城県気仙沼合同庁舎もそのままだ。

改修は可能と思われるが、周辺が壊滅しているのでのでどうにもならない。
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この後、南三陸町経由で海岸沿いを南下したが、
日没で詳細は確認できなかったものの、
陸前高田市・気仙沼市と同様と思われる。


この半年で、最大の衝撃を受けて帰ってきた。
“頑張ってください”が、ここでは如何に空しい声かけになるかということを。