道の駅“さんりく”を、朝7時前に出発。
近くの湾から順に、越喜来湾・吉浜湾・唐丹湾と向かう。
最初の湾は過酷な被害だが、
吉浜湾は、道の駅のレストランで聞いていた通り、海岸に家がない。
少しの平地はあるのだが、畑になっていたようだ。
聞くところによると、過去の津波の経験を生かして、
住居を海岸から遠ざけているようだ。
よって、ここの被害は最小限だ。
平地の部分は畑になっていたようで、住居は海岸にない。
次に向かったのが釜石市。
ここの被害も甚大だが、復旧は進んでいるようだ。
ボラセンに行ってみたが、仮設の事務所だけだ。
出てきた人に聞いてみると、
行政指導の影響のようで、ボラセンの活動が制限されており、
出来るだけ業者に仕事を回しているようだ。
津波の後の火災で、町全体が重複災害を受けている。
幸いに、七ヶ浜ボランティアセンターの遠藤さんの紹介で、
ここの状況を詳しく聞くことができた。
この地域は、“遠野まごころネット”と
“おらが大槌夢広場”が活動している。
http://www.oraga-otsuchi.jp/
前者はボランティア活動を、社協のボラセンと作業をすみわけながら、
後者は、震災の教訓を今後に生かす活動をしている。
“おらが大槌夢広場”は、被災現場に、
ここに写っている“イトヨ”という魚は、
淡水に生まれて海に下り、産卵で川に戻るのが普通だが、
ここのイトヨだけは、淡水に住み着いているのが特徴との事。
また、海岸近くの海抜ゼロメートル地域にもかかわらず、
町の一部は真水の湧水が出ている。
付近の山からの地下水だそうだ。
周りは津波で更地になっている。
津波の後の火災で、町のほとんどが焼けてしまったが、
三陸鉄道の大槌駅の廃ホーム
その中に、“きらり駅”という休憩所があり、
前述の“遠野まごころネット”が運営している。
次に訪れたのが山田町。
ここも津波と同時に火災の被害。
ボラセンは、廃病院の3階の一角を使っていた。
ここは、NPOなどの民間団体の支援なしに、週7日運営している。
しかし活動の規模は、週末で20~30人程度。
がれき処理の依頼はほとんどなくて、仮設の支援中心との事。
3階のボラセンから見た町の景色
次が宮古市だが、ここはかなり復興していた。
市役所の窓からの、生々しい津波の映像が嘘のようだ。
最後に行ったのが田老町。
10mほどの高さの、“万里の長城”が残念ながら役に立たなかった町。
海側から見た“万里の長城”
山側から見た“万里の長城”
全く何も残っていない。
田老町を最後に、3時前に帰路に付き、
宮古市・盛岡市・東北道のルートで、8時前に七ヶ浜に戻った。
テント村では、鈴木完司さんが加わり4人での夕食となった。