末法万年の仏法(36)
日蓮大聖人御書(大石寺)《弘安二年十月十二日、一閻浮提総与、本門戒壇の大御本尊建立》【三世諸仏総勘文教相廃立】弘安二年十月、五十八歳 法華経に云はく「如是相、如是性、如是体」此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し、十方法界を心性と為し、十方法界を相好と為す。是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり、法界に周遍して一仏の徳用なれば一切の法は仏法なりと説き給ひし時、法華経の座に列なりし十界の諸の四衆八部、畜生、修羅一人も漏れず悉く本覚の現に還って皆仏道を成ず、此を即身成仏とも平等大慧とも無分別法とも云ふ。十界の外に仏無し、身土不二なり、故に一仏の身体を以て寂光土と云ふ。此の故に生滅無常の相(生死)を離るるが故に無相と云ふなり、是即ち法性の淵底玄宗の極地なり。 此の三如是より後の七如是出でて十如是と為る、此の十如是は十法界なり、此の十法界は百界にも千如にも三世間にも成り、八万四千の法門と為る、三世の諸仏の総勘文にして御判慥かに印たる正本の文書なり。十法界の依報、正報は法身の仏、一体三身の徳なりと知りて、一切の法は皆仏法なりと通達し解了する、是を名字即と名づく。名字即の位にて即身成仏する故に円頓の教には次位の次第なし。釈迦如来、妙法五字の当体蓮華を証得して能証所証の本理を顕はし給へり、不退の菩薩と極果の二乗とは少分も知らざる法門なり、然るを円頓の凡夫は初心より即ち之を知る、故に即身成仏するなり、金剛不壊の体なり。 此の五大種は、過去、現在、未来三世の替はると雖も、妙法五字の五大種は替はること無し、本有常住なり。釈迦如来五百塵点劫の当初凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開き給ひき、後に化他の為世々番々に出世成道し衆生を誘引す、在々処々に八相作仏し其の後方便の諸の経教を捨て正直の妙法の五智如来の種子の理を説き顕はして、三世の諸仏の説法の儀式作法には、唯同じ御言に時を示したる末代の譲り状なれば、只一向に後五百歳をさして此の妙法蓮華経を以て成仏すべき時なりと、譲り状の面に載せたる手継ぎの証文なり。〈本地自行久遠元初の無作三身、本因妙(境智行位)の自受用身〉五百塵点劫の当初ーー久遠元初ーー本地釈尊凡夫の御時ーーー名字凡夫位ー所居の処ー戒壇我が身は地水火風空ー所成の境ーー無作法身ー法身の徳ー妙体ー本尊知ろしめすーーーーー能成の智ーー無作報身ー般若の徳ー妙宗ー題目境智冥合ーーーーーー起用の行ーー無作応身ー解脱の徳ー妙用ー唱題即座に悟りを開くーー本果妙 本地難思の境智冥合、本有無作の当体蓮華。境に就くを法身と為し、智に就くを報身と為し、起用を応身と為す。無作三身とは即ち自受用報身一体三身の徳なり、是を以て此の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり。本尊とは所縁の境なり、境能く智を発し智亦行を導く、行は所居の位、即ち戒壇なり、智は題目なり。如来は如実に三界の相を知見す、我が身の五大は即ち法界の五大なり、地水火風空は即ち妙法の五字なり。釈尊凡夫の御時とは当体を示す、則ち本因本果は本門の当体蓮華なり。釈尊久遠五百塵点劫の当初、此の妙法の当体蓮華を証得す。総の三諦は三身即一の本覚の如来なり、三世の諸仏と一心に和合し我等衆生、妙法蓮華経を修行して障り無く開悟すべし。「三大秘法」実相証得の肝要とは本尊、題目、戒壇の三大秘法の御本尊なり。一に、寿量品肝心の本尊は五百塵点劫の当初より已来、此土有縁深厚本有無作三身の本因妙の教主釈尊なり、此久遠元初の自受用身なり。二に、末法は自行化他に亘りて南無妙法蓮華経と唱ふる題目なり、是即ち名体宗用教の五重玄なり。三に、王臣一同に本門の三秘密の法をたもちて末法濁悪の未来に移さん時、霊山浄土に似たらん(四神相応の)最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべきものなり、事の戒法と申すは是なり。此の三大秘法は霊山二千余年の当初、地涌大千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せし三大事なり、実相の印たる御判の三世の諸仏の総勘文なり。弘安二年十月、 日蓮 花押ー御書一部抜粋ー以上、大聖人御書四百五編のうちの極僅かでありますが今回を以って末法万年の下種仏法を全て終了します。