NHKみんなのうた「さっさか大阪」の現在地を訪ねる | れぽれろのブログ

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NHK教育テレビでお馴染みの「みんなのうた」は古くから続いている番組です。60年代後半から70年代前半にかけて、「みんなのうた」では「お国めぐりシリーズ」ということで、日本の各地方の様子を歌にするシリーズが放送されていたようです。
今回はその中の大阪をテーマにした楽曲、1969年に放送された「さっさか大阪」を取り上げます。


・さっさか大阪

 

 

この動画はここ最近に再放送されたものと思われます。
動画の前半が今回取り上げる「さっさか大阪」です。
後半には80年代の森昌子さんの名曲「海へ来て」が取り上げられており、80年代後半から90年代にかけて放送されたこの「海へ来て」は自分がリアルタイムで鑑賞していた楽曲で、個人的にはこちらの方が非常に思い出深いですが、本記事の主題は前半の「さっさか大阪」です。(「さっさか大阪」の方は自分はリアルタイムでは知りません。)
(ちなみに、「海へ来て」については、みんなのうたマイベスト8ということでこちらの記事で取り上げたことがあります。 → [懐かしい「みんなのうた」 (80年代編)]

「さっさか大阪」は1969年(今から51年前)の放送、翌年に大阪万博が予定されており、ちょうど高度成長の最終局面であった、そんな時代に制作された作品。
作曲は南安雄、作詞は阪田寛夫となっています。
阪田寛夫さんは大阪出身の作家で、童謡「サッちゃん」の作詞者としても有名、大阪に関する文芸作品も制作されていた方。その阪田さんによって、この時代の大阪の風景・地名・食べ物などが描写されています。

1番では梅新(梅田新道)、上六(上本町六丁目)と言った地名が取り上げられ、2番ではイチゴ水、まむし(うなぎ)、きつねうどんと言った食べ物が登場、3番では上町台地西側の坂とその坂の上からの風景が歌われています。
歌われているのは阪田さんなりの当時の大阪の特徴だと思いますが、現在の大阪の特徴とはずいぶん異なります。
現在も地名に残る「梅新」はまだしも、「上六」という言い方はあまりされなくなった(上六界隈は現在はだいたい単に「上本町」と呼ばれる)し、「まむし」という言い方もあまり使いません(唯一残っている言葉が「ひつまむし」)。イチゴ水がなぜ大阪の特徴なのかもちょっとよく分かりません。石油のパイプや煙突が肯定的に描かれるのも高度成長期ならではのように思います。

映像では当時の大阪の風景が取り上げられていますが、これも現在の大阪のランドマークとはかなり異なります。
大阪城や通天閣は現在でも大阪の重要なランドマークですが、冒頭の堂島川沿いの阪神高速などは現在の視点から見ると「これを取り上げるか?」という感触。高度成長期の当時は高速道路は力強い成長のシンボルだったのかも。(現在はとくに東横堀川沿いの高速道路など、景観の邪魔者でしかありません 笑。)
太陽の塔、USJ、あべのハルカスなどは当然まだありません。
その他、法善寺横丁や道頓堀は有名ですが、旧大阪市庁舎や日銀大阪支店、地蔵坂や一心寺というチョイスはなかなか渋く、このあたりは個人的に気に入りました。



ということで、ここからが本題。
「さっさか大阪」に登場する映像の現在地を訪れ、写真を撮ってきましたので、以下に写真を並べてみます。
映像の引用→現在地の写真、という順に並べ、比較してコメントしてみます。
51年前と現在とで景観がどうかわっているのか?、という観点で見ても面白いと思います。


・堂島川と阪神高速(1)





上が動画上の映像、下が自分が撮影した現在の風景です。
映像の冒頭の映るのが堂島川上の大江橋で、カメラは大江橋から船に乗って西へ進んでいきます。
左側の道路が阪神高速1号環状線、右側が阪神高速11号池田線です。高速道路の様子はほぼ変わりませんが、周辺のビルは現在の方が高くなっています。



・堂島川と阪神高速(2)





こちらは現在の中之島ガーデンブリッジの周辺です。(動画は船からの映像ですので、同じ角度で撮影するのは難しい。)
映像の方の画面右側の建物は新朝日ビルディングで、かつて朝日放送(ABC)本社であった場所、現在は中之島フェスティバルタワーとなっています。



・梅田新道交差点から見る阪急百貨店





続いては梅田新道交差点の様子。映像ではカメラは交差点のど真ん中で撮影していますが、自分はやや右寄りの道路脇から撮影しています。
梅田新道交差点は大阪の道路交通上の要所で、国道1号線と2号線が合流する交差点ですので、交通量は当時も今も多いです。
奥に見えるのは阪急百貨店で、現在は建物の形状は変わっています。
その手前に小さく見える梅田換気塔は、当時も現在も同じ形をしていることが分かります。
なお、上にも書きましたが、「梅新」という略称は現在はあまり使いません。「上六」も同じで、これはおそらく市電(路面電車)の停留所がなくなったことが大きいのではないかと思います。
奇しくも市電が全廃されたのが1969年で、このころから「梅新」「上六」といういい方は廃れ始めたのではと推測します。その一方、地下鉄の駅のある天六(天神橋筋六丁目)、谷四(谷町四丁目)、谷六(谷町六丁目)、谷九(谷町九丁目)、がもよん(蒲生四丁目)などの略称は、現在でも自分も使います。



・(場所不明)



次のバイクのおっちゃん(シャツ一でカメラに向かってウインクする姿は本動画の映像のハイライトです 笑)のシーンは場所が特定できませんでした。
(なんとなく天王寺駅前商店街のアーケードの雰囲気に近いかな?とも思いますが、よく分かりません。)



・づぼらやのフグと通天閣





続いては新世界。
通天閣は当時も今も大阪のランドマークです。
づぼらやの巨大なフグの看板はつい最近まで存在していましたが、閉店に伴いついに撤去され、小さなフグの看板のみが残っていました。
づぼらやはつい先日、9月15日に正式に閉店となりました。



・法善寺 水掛不動尊の提灯





法善寺の水掛不動「不動明王」と記載の提灯です。
こちらは当時も今も同じ提灯でした。



・法善寺横丁





その横の法善寺横丁の様子の比較。
動画の映像ではカメラは高所から撮影しています。自分は地上から撮影。
今も昔も変わらず飲食店の看板が目立ちます。右側の水掛不動尊の屋根の形状は今と昔で変わっているようです。



・道頓堀商店街のネオン





ミナミの歓楽街のネオン。
これも今も昔も大きく雰囲気は変わっていませんが、看板の多くは筆書体の日本語から横文字に変化しています。
海外観光客向けの中国語(?)の表示があるのが現在の特徴かもしれません。



・道頓堀と戎橋界隈





御堂筋に架かる道頓堀の橋上から東に向かって撮影した戎橋付近の様子です。
動画の映像では少し隠れてしまって「グ」しか見えませんが、右側にあるのが有名なグリコの看板。
グリコのサイン以外の様子は大きく変わっており、右側に大きく見える日東紅茶はアサヒビールに、左側の宝塚歌劇の表示はサロンパスの看板に変わってしまっています。アサヒビールはまだしも、宝塚がサロンパスに変わってしまうのは悲しいものがあり、思わず「ここは渋谷か」と思ってしまいます 笑。



・御堂筋(場所不明)



次のシーンは街路樹の形状から御堂筋と思われますが、細かい場所までは特定できませんでした。
なお、御堂筋といえば南向きの一方通行ですが、この映像の当時は一通ではなかったことが分かります。御堂筋は1970年に一方通行化したとのことですので、この映像の翌年から一方通行になったようです。



・専修院 頬焼地蔵尊





続いてはかなり渋いチョイス。
谷町筋脇にある専修院というお寺の中のお地蔵さまが登場。
お堂とお地蔵さまの様子は現在は少し変わっていますが、動画の映像の中心にみえる「頬焼地蔵」の石塔は、現在もお堂の奥に残っていました。



・地蔵坂





その次のシーンが専修院のすぐ横にある坂、地蔵坂と谷町8丁目交差点の様子です。
大阪には坂がない、とうことが歌われていますが、その通り、大阪市の中心は平坦な地形で、坂はほとんどありません。唯一坂があるのが上町台地の西側の段差で、口縄坂などが有名だと思いますが、「さっさか大阪」では地蔵坂が取り上げられています。そんなに長く大きな坂ではなく、歌われている通り大阪ならぬ「坂は坂でも小阪」です。
谷町8丁目交差点の奥(東側)に小さく見える妙法寺というお寺は現在も存在しています。
なお、歌では上町台地の高台から見渡せる風景について歌われていますが、現在はビルが大きくなり台地上の高台から一望できる風景というのも少なくなっています。かつては高津宮や夕陽丘から市街が見渡せたようです。



・一心寺(1)





続いては天王寺公園の北東側にあるお寺、一心寺。
映像では高所からいい感じに通天閣とのセットで撮影されていますが、地上からこのカットは撮影できません。
一心寺の本堂は今と昔でほとんど変わりがありませんが、本堂周辺の建物には少し変化があるようです。



・一心寺(2)





夕日とのコントラストがきれいなシーン。自分も同じ角度で撮影してみましたが、夕日の時間ではなかったので印象は全然違います 笑。
現在の写真の手前に見える手洗い場の建物や、右側に見える建物は、69年当時はなかったようです。



・大阪市庁舎・日本銀行大阪支店





続いては中之島のレトロ建築群を遠方の高台から撮影したシーンで、映像では遠くに見える大阪城まで映っていますが、この角度では撮影不可能。自分は中之島ガーデンブリッジ上から撮影しました。
中央に大きく見える大阪市庁舎は現在は建て替えられて形が変わっていますが、昔の市庁舎の方が趣きがありますね。
手前の日銀大阪支店は現在も建物は変わっておらず、100年以上の歴史を持つレトロ建築として存続しています。



・桜宮橋





ラストシーンは大川にかかる桜宮橋からみる大阪城です。
桜宮橋は69年当時は片側1車線で橋は1つしかありませんでしが、現在は北側(この写真の手前側)に新しい橋ができており、片側2車線の道路になっています。自分は手前の新しい橋(新桜宮橋)から桜宮橋を撮影。



・大川からみる大阪城





桜宮橋の南、大川の向こうに小さく大阪城が見えます。
69年当時はビルも少なくしっかりと大阪城のシルエットが確認できますが、現在は高いビルがたくさん増えていることが分かります。



・大坂城





ラスト、大阪城のアップ。
現在は同じ方向だと、建物が写り込んでしまいます 笑。



ということで、51年前と現在の風景を比較してみました。
変わってしまっている部分もありますが、意外と変化していない点も多く、都市景観はそれなりに維持されており、これは大阪人の保守性の表れなのかもしれません。(昨年発表された大阪地下鉄の各駅舎の大胆な改装案についても市民から大反対を受け、結局元の形状を維持ししたまま補修することになったことからも分かるように、大阪人は意外と保守的です。個人的にはレトロな建築物が維持されるのは良いことだと思います。)

「みんなのうた」のお国めぐりシリーズは他の都道府県のものもありますので、YouTubeなどで探してみると他の歌も見つかるかもしれません。
歌は時代を越えて伝えられるもの、これらの曲から各地の50年前の様子に思いを馳せてみるのも、また面白いと思います。