東京を歌う-地名から考える昭和歌謡いろいろ | れぽれろのブログ

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以前に大阪がテーマの音楽を並べてみたことがありました。

・大阪を歌う ポピュラーミュージックいろいろ
https://ameblo.jp/0-leporello/entry-12554241771.html


今回は東京編です。
東京は近代日本の文化の中心地、大阪などと比べると、東京をテーマとする音楽は膨大な数になります。今回は昭和歌謡の中から東京の地名がたくさん登場する曲をチョイスし、並べてみることにします。
割と有名な曲(たぶん)を並べますので、ご存じの方も多い曲が登場します。
昭和の歌謡曲を並べることにより昭和史を思うことができるのと同時に、登場する地名の変遷が文化の変遷と関連している様子もうかがうことができます。

以下、5曲の昭和歌謡曲を昭和の歴史と合わせてコメントしてみます。
(最後におまけとして、平成の曲を1曲取り上げます。)



・東京音頭/小唄勝太郎&三島一声 (※動画の歌唱は原田直之)
  作曲:中山晋平、作詞:西條八十、1933年(昭和8年)

 


1931年(昭和6年)に満州事変が勃発、1932年(昭和7年)には五一五事件、1933年(昭和8年)には国際連盟脱退と、このころはきな臭い動きが重なる時代ですが、この時代は戦間期日本のレコード文化が大きく盛り上がった時代でもあります。
1925年(大正14年)に日本でラジオ放送が開始し、1928年(昭和3年)ごろには民謡ブームが巻き起こります。その流れの中で1933年(昭和8年)に日本で大流行したのがこの「東京音頭」です。
作曲は中山晋平、作詞は西條八十で、いずれも当時の人気作家。オリジナルは小唄勝太郎と三島一声という当時の人気歌手が歌っていたようですが、この動画では別の方がカバーされています。
「東京音頭」が流行したこの夏には日本各地の空き地にやぐらが組まれ、スピーカーから響き渡る「東京音頭」のメロディに乗って浴衣姿の人々が踊る姿が全国的に見られたのだそうです。現在我々が知る形の夏の盆踊り文化(スピーカー+やぐら+浴衣)は、実はこの時期に始まっています。

この動画は短縮版ですので、登場する地名は、上野、銀座、隅田川と、あと西にみえる富士山と東にみえる筑波山が登場するのみですが、原曲では丸の内、二重橋(皇居)、九段、武蔵野も登場します。
原曲は2番でまず天皇を称える歌詞が表れ、その後も皇居の二重橋など皇室に関連する歌詞が登場しますが、現在歌われるバージョンではカットされるのが通常なのかも。登場する地名は皇居とその周辺に偏っている傾向があります。
この後の1937年(昭和12年)の日中戦争以降、日本の大衆は熱狂的に戦争にコミットしていきますが、同じく大衆を熱狂的に踊りに駆り立てた「東京音頭」のブームに、その後の戦争への萌芽をみる研究者もおられます。



・東京ラプソディ/藤山一郎 (※動画の歌唱は森昌子)
  作曲:古賀政男、作詞:門田ゆたか、1936年(昭和11年)

 


「東京音頭」が天皇-東京を歌ういかにも大衆的な音頭調の曲であったのに対し、古賀政男作曲の「東京ラプソディ」は個人主義的な都市のモダン文化を表現した曲になっています。
1936年(昭和11年)は二二六事件の年でこの翌年がいよいよ日中戦争、これ以降は本格的に軍歌の時代になっていきますので、「東京ラプソディ」は戦前昭和モダンの最末期の歌ということになります。
原曲は藤山一郎の歌唱ですが、この動画の森昌子の歌唱がなかなかいいと思いますので、個人的な趣味で(笑)このカバー版をチョイスしました。
ティールーム、ジャズ、ダンサーと言った歌詞が登場し、東京の地名と合わせて恋を歌う歌詞は、上の「東京音頭」とは真逆の趣きがある。というよりも、「東京ラプソディ」こそが戦間期日本の常態で、「東京音頭」こそが次の時代を予見する歌であると言えるかもしれません。

登場する地名は銀座、神田、浅草、新宿と、繁華街が並び、銀座は喫茶店、神田はニコライ堂、浅草はジャズ、新宿はダンサーと関連付けられます。
「東京音頭」の地名が皇居中心であったのに対し、「東京ラプソディ」は西は新宿、東は浅草と、広域に拡大。
個人的にこの「東京ラプソディ」は古賀政男のメロディが好きです。「君ひとり」の繰り返しの部分のメロディのクセ、サビの転調、「夢のパラダイス」の部分の跳躍など、個人的にお気に入り度が高いメロディになっています。



・夢淡き東京/藤山一郎
  作曲:古関裕而、作詞:サトウハチロー、1947年(昭和22年)

 


1945年(昭和20年)に敗戦を迎え、民主主義国家として再スタートした日本、軍歌の時代は終わり、再び都市文化を歌う音楽が登場します。
「夢淡き東京」はそんな戦後2年目の曲で、作曲は今をときめく(?)古関裕而。

古関は戦時期に多数の軍歌を作曲し「軍歌の覇王」と言われたた作曲家ですが、戦後には一転して校歌・社歌・団体歌などを多数作曲するようになる、作曲能力の高い器用な作曲家です。この「夢淡き東京」は戦後の悲しみと希望を歌う、なかなか良い雰囲気の楽曲になっています。

この曲は上の古賀政男の「東京ラプソディ」に結構似ているように思います。
歌詞に現れる東京の地名も、銀座、浅草、神田と同じ地名が登場していますが、これは剽窃というわけではなく、懐かしき戦間期の都市文化を回顧すると、必然的に当時の昭和モダンの中心であったこれらの地名が登場し、メロディも似てくるということなのだと思います。
転調も楽しく、間奏部分も含め古関裕而の魅力が堪能できる1曲。(しかし個人的には「東京ラプソディ」の方が好みではあります。)
昭和の東京の写真が多数紹介されているのもこの動画の良いところ。



・東京見物/三橋美智也
  作曲:佐伯としを、作詞:伊吹とおる、1957年(昭和32年)

 


1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約が発効され、日本は独立を回復。軍備を縮小し経済復興を優先させる戦後日本の政策は1955年(昭和30年)以降の自民党政治に引き継がれ、日本は経済成長に邁進していくようになります。
そんな中、1957年(昭和32年)の三橋美智也の「東京見物」は、東京の地名から戦争の爪痕を思う、抒情的な作品になっています。
「東京ラプソディ」や「夢淡き東京」のようなモダン感はなく、描かれるのかつての家族共同体の思い出、戦争で死んだ兄を思い出しながら母親に語り掛ける男性の心情。
「もはや戦後ではない」という言葉が登場するのは1956年(昭和31年)の経済白書ですが、戦後12年、「東京見物」のような曲がヒットしたのは、大衆レベルではまだまだ戦争が大きな存在として心に留まっている状態であったのだと思います。

歌詞に登場する地名は二重橋(皇居)、上野、靖国神社。丸の内(皇居前)と九段が重要な場所として現れる、これらは「東京音頭」に登場した地名です。
大衆が熱狂した「東京音頭」に現れる地名が、不幸な戦争の表象として戦後に再び回帰してくるのが非常に面白いように思います。
朴訥な感じの音楽がかえって郷愁を誘います。



・東京の女/ザ・ピーナッツ
  作曲:沢田研二、作詞:山上路夫、1970年(昭和45年)

 


60年代の日本は高度成長の時代、池田内閣は所得倍増計画を提示し、1964年(昭和39年)に東京オリンピックが開催れます。そして1970年(昭和45年)の大阪万博の時代に至り、日本は高度成長時代から低成長時代に移っていきます。
ラジオやレコードで音楽を楽しむ時代はこの後もまだまだ続きますが、50年代末から60年代はテレビが大衆に普及した時代であり、テレビの歌番組が音楽にとって重要になってくるのがこの時代です。
ザ・ピーナッツは見た目にも綺麗な双子デュオで、まさにテレビ時代のミュージシャンと言えるように思います。
この「東京の女」はザ・タイガースの沢田研二が作曲しています。

登場する地名は、銀座、赤坂、青山、新宿。
銀座や新宿はかつての「東京ラプソディ」にも登場した地名ですが、これまで上にあげた曲に登場していたような上野や浅草と言った地名は姿を消し、変わって赤坂や青山が登場しています。東京の文化の中心が東から西へ移動する、これはテレビ局が山の手(西側)に位置していたこととも関係があるのかもしれません。
歌詞は失恋を歌ったものですが、これまで取り上げた楽曲に比べると歌詞と地名との関連性は希薄で、あまり具体的ではない感じ。(むしろ銀-赤-青という色合いの雰囲気の方が印象に残る。)
どことなくぼやんとした歌詞ですが、それでいて感覚的にはある種の雰囲気・モードを持っており、その後のJ-POPへと繋がっていく歌謡曲の変遷を考える上でも面白いです。
かつて社会学者の見田宗介さんは、戦後日本社会の変遷を理想の時代-夢の時代-虚構の時代と、3段階で説明しましたが、3段階目の虚構の時代に該当するのが70年代、虚構っぽい感じがありつつある種の都市のモードが感じられる「東京の女」は虚構の時代最初期の楽曲で、個人的に好きな音楽です。


以上、昭和史の歩みとともに、音楽と東京の地名についてコメントしてみました。
幸いにも現在はYouTubeなどで多くの昭和歌謡のアーカイブを鑑賞できる時代です。歴史を考えつつ昭和歌謡を聴いてみるのも、また面白い音楽体験になると思います。



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おまけ。

個人的な好みで、平成の楽曲を1曲最後に貼り付けておきます。


・丸の内サディスティック/椎名林檎 (※演奏は東京事変のライブ版)
  作曲・作詞:椎名林檎、1999年(平成11年)

 


自分は椎名林檎ファンですので、東京の地名と言えばやはりこの「丸の内サディスティック」を取り上げないわけにはいきません(笑)。
登場する地名は、タイトルの丸の内、そして御茶ノ水、後楽園、池袋。
この楽曲は歌詞自体はほとんど意味のないナンセンスソングで、語感や語呂合わせが重要な音楽、とくにこのライブ版では歌詞を参照しないと何を歌っているのか全く分からない(笑)と思います。まさにポスト虚構の時代、といった楽曲です。

丸の内からはかつての皇居や天皇的なものは全く消失され、影も形もない。御茶ノ水、後楽園、池袋といった地名も、単に地下鉄丸ノ内線の駅名を並べただけで、それ自体に意味はありません。
メロディと歌詞の組み合わせが心地よくて、聴くのも歌うのも非常に楽しい、個人的にお気に入りの楽曲です。このライブ音源もめちゃくちゃかっこいい音楽になっており、心が躍るような楽しさに溢れています。
(ちなみに椎名林檎さんは昭和歌謡もいくつかカバーしており、上のザ・ピーナッツの「東京の女」の演奏も録音しています。椎名林檎の昭和歌謡も良いものですが、こと「東京の女」については自分はザ・ピーナッツのオリジナル方が好みかもしれません。)


自分が過去に地下鉄大手前駅で撮影した写真。

「丸の内サディスティック」の地名が並んでいます。
この楽曲は単にこの表示を見て作詞したというだけのものなのかもれませんね。