戦争の惨禍/ゴヤ | れぽれろのブログ

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忘れたころにやってくる、ゴヤの版画シリーズ。
前回「ロス・ディスパラテス(妄)」の記事を書いたのが2017年の3月ですので、3年ぶりのゴヤの版画シリーズとなります。
今回は最終回、ゴヤの4大版画集「ロス・カプリチョス(気まぐれ)」「戦争の惨禍」「闘牛技」「ロス・ディスパラテス(妄)」のうちの第2作目にあたる、「戦争の惨禍」を取り上げたいと思います。

過去記事は以下の通り。

・ロス・カプリチョス/ゴヤ
https://ameblo.jp/0-leporello/entry-11556133220.html

・闘牛技/ゴヤ
https://ameblo.jp/0-leporello/entry-12142085903.html

・ロス・ディスパラテス(妄)/ゴヤ
https://ameblo.jp/0-leporello/entry-12253490718.html


「戦争の惨禍」は1808年以降のスペインにおけるナポレオン戦争の惨劇を描写した作品。
コロナ禍のさ中、200年前の戦争を思い返し、相も変らぬ人間の愚行に目を向けてみるのもまた重要なことかもしれません。
ご興味のある方はお読みください。


18世紀末に勃発したフランス革命、反王党派自由主義者らのクーデターと民衆暴動が重なる中、国王と王妃は処刑され、革命はやがてギロチンによる粛清が横行する恐怖政治と化します。
この混乱の中で頭角を現したのがナポレオンです。対外戦争で戦績をあげたナポレオンは政治の主導権を握り(やがて皇帝となる)、各国との度重なる戦争によってヨーロッパ中を混乱に陥れました。
ナポレオンの姿は当時のフランス新古典主義の潮流の中で、ダヴィッド、グロ、アングルらの画家によって、端正かつきらびやかに描かれ、またベートーヴェンもナポレオンにインスピレーションを得た音楽、交響曲第3番「英雄」を作曲しました。これらは当時の新古典派絵画・古典派音楽として、歴史に残る作品となりました。

そんな中、ナポレオン戦争の陰惨な面を描写したのがゴヤの版画集「戦争の惨禍」です。
1808年、ナポレオンはスペイン王朝の内紛に介入するためスペインに侵攻、これに対し民衆が立ち上がったのが1808年の5月2日(今からちょうど212年前の今日)、しかし翌日5月3日には蜂起した民衆はフランス軍により粛清され、これ以降スペインは対仏独立戦争の戦乱の時代に入ります。
ゴヤは当時のスペインの宮廷画家で、この2日間の様子を「1808年5月2日」「1808年5月3日」の2つの油彩画に描いています。
この2作品もたいへん素晴らしい作品ですが、その後の戦争の真の恐ろしさと陰惨さ、及び人間の愚かさを我々に教えてくれる、80枚の版画作品「戦争の惨禍」の方が、インパクトは大きいです。

今回は「戦争の惨禍」80枚の中から16枚をチョイスし、コメントしてみたいと思います。
※かなり残虐な描写もありますので、ご注意ください。



・理由があろうとなかろうと


右側の銃を持っている人たちがフランス軍、それに左側から立ち向かっているのがスペインの民衆です。
背後にはフランス軍に殺害された民衆の姿が見えます。
攻め入るフランス軍に必死で抵抗するスペインの民衆。



・同じことだ


こちらはフランス軍に対し斧を振り上げ、殺害しようとしているスペインの民衆の様子です。左側にもナイフを振り上げるスペインの民衆の様子が見えます。
フランスもスペインも同じ。ゴヤはスペインの民衆の行為を英雄的行為とは描かず、恐ろしい殺害行為として描いているように見えます。



・何と勇敢な!


ゴヤの版画作品はその主題の興味深さだけではなく、画面構成や版画の白黒の色合いが面白く、目を奪われるものもあります。これはそういった一枚。
スペイン女性が勇敢にも大砲に点火しようとしてる図ですが、白と黒とのコントラストが印象的。
よく見ると足元には死体。民衆の死体を乗り越えて仏軍に報復する女性、という図のようです。



・どうしても嫌だ


「戦争の惨禍」にはフランス軍がスペインの女性を凌辱する場面がいくつか描かれています。これはその中の一枚。
連れ去られる女性たちの叫び声が聞こえそうな作品。
画面左下、母親と思われる女性の足元の赤ん坊が痛々しい。



・辛い立ち合い


こちらも女性への凌辱が描かれた一枚。
中央の女性に目が行きますが、右手奥ではまさに強姦されている場面らしきものも描かれています。左側に縛られているのは女性の夫でしょうか?
軍紀が乱れると強姦が発生するのが戦争の常、ナポレオン戦争以降、この反省から慰安所が作られ管理されることになりますが、このような心配をするより何より、戦争をしないに越したことはありません。



・もう助かる道はない


柱に括り付けられまさに銃殺されようとしている瞬間。
右手に銃口のみが描かれているという構図が印象的。
有名なゴヤの油彩画「1808年5月3日」の構図も思い出させます。



・彼らはここまでむしり取る

殺害した上、衣服をはぎ取り略奪するフランス軍の様子。



・さらに何をすべきか?


死体を切り刻むフランス軍。なぜこのようなむごいことをあえて行うのか、理由なき死者への冒涜が描かれています。
人が魔物と化すのが戦争の在り様。



・立派なお手柄!死人を相手に!


おそらく「戦争の惨禍」全80枚の中で最も有名で、かつ最も陰惨なのがこの一枚です。殺害され、切り刻まれた体が木に括り付けられる。
フランス軍は残虐である、フランスが悪い、ということではなく、戦争という非常時・非日常の混沌の中では、人間はこのような行為を必然的に行うものだと捉えるのが妥当です。軍紀が乱れると誰しもがこのような行為を行う恐れがある。だから戦争はするな、と捉えるべきです。



・炎をくぐって逃げる


大砲が爆発し、逃げ惑うスペインの民衆。
黒と白のコントラストの中、民衆の動的な様子が印象的な一枚。
中央の抱きかかえられた女性も印象に残ります。



・健康な者と病める者


戦乱のさ中、スペインは1811年から飢饉に見舞われます。「戦争の惨禍」の後半はこの飢饉の時代の描写が多くなります。
痩せこけた子供を抱きかかえる女性。病に侵されているように見える左の男性も印象的。右手には健康な人が対比的に描かれています。



・茶碗一杯が何になろう?


これも飢饉を描写した一枚。
飢えた人にわずかな食べ物を与える、「戦争の惨禍」の中では一見感動的にみえる一枚ですが、反語的なタイトルからおそらくこの飢えた人たちは助からなかったのであろうと思われます。
背後のハーフトーンはゴヤお馴染みのアクアティントという技法で、これは実物の版画を見ると非常に綺麗です。



・行くべき道を知らない


「戦争の惨禍」は写実性が重要な連作版画ですが、終盤になると観念的な作品が登場し、前作「ロス・カプリチョス」などにも似た作品が出てきます。
ロープでつながれて歩かされているのは、苦難を極める民衆をよそに享楽的な生活を続けた支配者階級と思われます。
これは現実の描写というよりも、おそらくはゴヤ自身の支配者階級に対する思いが表れた作品。



・これはもう最悪だ!


上の作品で登場したような罪人を裁くのは、人間ではなくキツネ。
中央の不気味なキツネが判決を紙に記述しています。これも観念的な一枚。



・人食い禿鷹


ヨーロッパ中を戦火の渦に巻き込んだナポレオンですが、1812年のロシア軍に対する敗北(この戦いは後にチャイコフスキーが序曲「1812年」として描写することになります)をきっかけにナポレオンの時代は終わります。
鷹はナポレオンの象徴。「人食い」と形容された鷹がスペインの民衆に銛で突かれ追い払われている姿は、ナポレオンの凋落を表しているものと思われます。



・真理は死んだ


ナポレオン没落後、オーストリアのメッテルニヒらにより形成されたウィーン体制は、フランスのやりすぎを是正し、国家間の覇権を調整する体制でしたが、同時に王権を中心に据える復古主義的な体制でもあり、自由・平等とは程遠いものでした。
対仏独立戦争終結後のスペインも反動的な独裁政権によって運営されることになり、そのような復古主義の様子が、自由の女神の死という形で象徴的に描かれているのがこの一枚です。



以上、ゴヤの「戦争の惨禍」から、16枚を並べてみました。

ナポレオン体制からウィーン体制への移行に伴い、ナポレオンを英雄的に描いたダヴィッドらの華やかな新古典主義絵画の時代は終わり、絵画はロマン主義の時代に移っていきます。
音楽も同じ、ベートーヴェンは時代に呼応するように、ナポレオン時代の中期様式から内省的な後期様式に移行していき、シューベルトに代表される深みのある美しさを持つ初期ロマン派音楽は、保守的なウィーン体制の下で静かに花開きます。
「戦争の惨禍」の最後で死んだ自由の女神が再び復活するのは1830年の七月革命の時代、「民衆を導く自由の女神」(ドラクロワ)やエチュードop.10-12「革命」(ショパン)に代表されるドラマティックな作品が登場する時代を待たねばなりません。

そんな中、1810年代に制作されたゴヤの「戦争の惨禍」は、そのさらに先の時代の写実主義や象徴主義を思わせるような作品で、時代を超越した魅力を持つ作品になっています。
コロナの影響で人心が乱れがちな昨今、改めてゴヤの作品を見返し、人間の深淵に目を向けてみるのにも、またちょうどよい機会であるように思います。