ロス・ディスパラテス(妄)/ゴヤ | れぽれろのブログ

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ときどきやってくるゴヤシリーズ。
今回はゴヤの4大版画集の中の最後の作品、「ロス・ディスパラテス」を取り上げたいと思います。


フランシスコ・デ・ゴヤは18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍したスペインの画家。
ゴヤはスペインの宮廷画家でしたが、聴覚を失い、その後、幻想的・風刺的・悪夢的な作品を多く制作するようになります。
今回取り上げる「ロス・ディスパラテス」も同様の趣向の作品です。


ゴヤの4大版画集とは「ロス・カプリチョス」「戦争の惨禍」「闘牛技」「ロス・ディスパラテス」の4作品。
「ロス・カプリチョス(気まぐれ)」(こちら)は当時のスペイン社会を風刺した怪奇的・幻想的な版画集、「戦争の惨禍」はナポレオン戦争の惨劇を記録した版画集、「闘牛技」(こちら)はスペインの伝統競技である闘牛の歴史と活劇を記録した版画集です。
「戦争の惨禍」と「闘牛技」は現実を描写した作品でしたが、4作めの「ロス・ディスパラテス」では再び「ロス・カプリチョス」に似た、怪奇・幻想の世界が描かれています。


「ロス・ディスパラテス(los disparates)」のdisparateは、ナンセンス・愚行といった意味のスペイン語。
「ロス・ディスパラテス」は日本語では「妄」と訳されることが多いようです。
妄想・妄言・虚妄の妄です。
ゴヤが「ロス・ディスパラテス」を制作したとされるのは、ゴヤの最晩年、有名な「我が子を食うサトゥルヌス」を含む「黒い絵」の連作を制作していた時期と重なります。
「黒い絵」のシリーズの怪奇さと同様に「ロス・ディスパラテス」も怪奇的な作品であるとともに、人間の存在・世界の在り様の非合理さ・デタラメさが存分に描かれているような、そんな作品になっています。


ゴヤは1828年に亡くなりましたが、「ロス・ディスパラテス」はゴヤの生前は販売されず、死後36年経過した1864年に「ロス・プロベルビオス(los proverbios)」の名で初めて販売されました。
proverbioはスペイン語でことわざ・格言の意味。
その名の通り、「ロス・プロベルビオス」の各作品にはことわざや格言のような一文が付記されています。


以下「ロス・ディスパラテス」のうちの何枚かを並べてみます。
< >内は「ロス・プロベルビオス」として販売された際に作品に付記されたproverbioの日本語訳です。
作品との関連が意外と面白いので合わせて記載しておきます。

 


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・女の妄

 


<操り人形と遊ぶのは驢馬たちである>


男性とロバが乗せられた布を持ち上げる6人の女性。
その上で跳ね上げられているのは子供?人形?
男性とロバは眠っているようにも死んでいるようにも見えます。
女性の表情はどことなく侮蔑的。
当時のスペイン社会の女性への風刺的意図があるのかもしれません。

 


・恐怖の妄

 


<恐れるものにとっては、影も恐怖である>


兵士たちの前に現れる、正体不明の巨大な白装束。
驚いた兵士たちは転倒し、撤退を図ろうとしています。
不可解なものを過剰に恐れる蒙昧さに対する風刺でしょうか。
「戦争の惨禍」で描かれた非合理なナポレオン戦争の記憶とも関連しているのかもしれません。

 


・滑稽の妄

 


<木の枝の仲間入りをすること、すなわち、大ぼらを吹くこと>


木の枝の上で説法に耳を傾ける聴衆たち。
聴衆は無表情・無感動で、話を聴いているのか、理解しているのかどうかも不明。
説法は木の上の鳥のさえずりのようなもの、ということなのでしょうか。
斜め方向に走る画面構成や、説法者の衣装の細かい表現にも注目。
ゴヤの版画はその奇怪さに目を奪われがちですが、版画作品としての造形や描写も面白いです。

 


・大阿保

 


<悪はぜひとも憎まれるべきだが、目には見えない怪物であり、その態度はあまりにも憎むべきである>


「恐怖の妄」に似た趣向の作品。
不気味に笑う大男の出現に怯える2人。
大男はスペイン人らしくカスタネットを手にし、踊っているようにも見えます。
大男の背後には亡霊のように浮かび上がる2つの顔。
タイトルの大阿保(bobalicon)というのは、「恐怖の妄」と同様に蒙昧さへの罵倒とも解釈できそうですが、大男の不気味さの方が際立っています。

 


・激怒の妄

 


<女たちが泣いている間、男たちは働かねばならない>


廃墟のような場所で、怒りにまかせて暴力を振るう男たちが描かれています。
「黒い絵」シリーズの「棍棒で殴り合う2人の男」にも通じるようなイメージ。
空は漆黒ですが、男たちには強烈な光が当たっているような不思議な表現になっています。
「女の妄」は女性への風刺にみえますが、こちらは暴力に依存する男性の愚かさを表現しているのかもしれません。
棒を振るう男の足元で、悲痛な叫び声をあげる表情が印象的。

 


・結婚の妄

 


<不幸な結婚をした女は機会のあるごとに不平を言う>


この版画集の中で、おそらく最もグロテスクな作品がこの「結婚の妄」だと思います。
背中が張り合わせになった、不気味な風貌の1組の男女。
単に背中が結合されただけではなく、よく見るとつま先が2人で8本であるという奇怪さ。
左端の歪んだ顔の聖職者に誓いを立てているように見えます。
結婚式の来場者と思われる背後の群衆も、皆モンスターのよう。
とにかく画面に引き付けられる、おどろおどろしい作品です。

 


・袋詰めの人たち

 


<プライドは謙遜の仮面をよく借りるものだ>


暗闇の中で列をなす、袋詰めにされた人たち。
手足の自由が利かず、身動きの取れない中、彼らは何を待っているのでしょうか。
現代的な目線で見ると、社会がシステム化し人間が商品のように扱われる様子と読み取ってしまいそうです。
意図はともあれ、袋+人間という造形が何やら面白いです。

 


・女を誘拐する馬

 


<女と馬、この2つを御するのは他人に任せよ>


こちらは前作「闘牛技」を思わせるような、躍動的な一枚。
女性が馬にさらわれる瞬間が劇的に描かれています。
女性は驚いたり悲しんだりしているようには見えず、むしろ誘拐を受け入れているようにも見えます。
背後には人間を丸呑みする怪物が、うっすらと描かれています。

 


・陽気の妄

 


<運が曲を弾けば彼らはうまく踊る>


ゴヤは「鰯の埋葬」などの作品で、お祭りに熱狂する群衆の様子を描きました。
こちらの作品も輪になって踊る群衆が描かれていますが、その表情は楽しみとも熱狂とも思われず、ある種の滑稽さと不気味さが合わさったように描かれています。
人間が苦しみを忘れるためには、一時陽気を装い踊るしかないのでしょうか。

 


・飛翔法

 


<精神一到何事か成さざらんや>


「ロス・ディスパラテス」の中でおそらく最も有名な作品。
この作品に限っては恐ろしさや不気味さはあまり感じられず、漆黒の闇の中で優雅に空を舞う鳥人間たちが形作る画面構成とモノトーンのグラデーションが心地よい、素敵な作品だと感じます。
空飛ぶ男の頭部、コスプレ風の衣装にも注目(笑)。

 


・勧告

 


<一人がやらなければ、二人は争えない>


こちらは人間たちの諍いの様子を描いたと思われる作品。
中央左の女性とその右の男性との諍いが中心のようですが、各人の関係性はもう少し複雑そうです。
よく見ると一番左の男性は顔が3つあり、その右の人物には頭が2つ、その前の白装束の人物は右ひじに顔があるようにみえます。
不可解な群像が織りなす画面から、人間関係の非合理さが強く印象付けられます。

 


・忠誠

 


<君を嫌う男は、冗談めかして君を中傷する>


画面中央には、神に祈る不気味な顔の男。
周囲にはそれを嘲笑う人間たち。
ゴヤは無意味な崇拝や理解せぬまま説法に耳を傾けることを繰り返し批判的に描きましたが(上の「滑稽の妄」も同じ)、その様子を嘲笑う人間たちの愚昧さは、さらに救いようがないと言っているように見えます。
祈る男の足元には子犬が寄り添う・・・。
不気味な顔の愚鈍そうな男が、逆に神々しく見えてくる作品です。

 


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ゴヤが「ロス・ディスパラテス」を制作したのは、1819年から1823年ごろ
(73歳から77歳ごろ)であるとされています。
1824年にゴヤはスペインを出てフランスのボルドーに亡命し、1828年に82歳で亡くなっています。


ゴヤのもう1作の版画集「戦争の惨禍」についても、いずれどこかで取り上げたいと思います。