10年代 読んだ本ベスト10冊 | れぽれろのブログ

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2010年代のマイベストをまとめようシリーズ。
今回はこの10年の間に読んだ本の中から、マイベスト10冊を決めたいと思います。

対象とする本は「2010年代に出版された本」に限定したいと思います。自分は古い本を読むことも多いのですが、50年前や100年前の本を取り上げてこの10年間のベストとだとするのも何だか変な気がするので、こういうチョイスをするならやはり10年代に出版された本から選ぶのが妥当かなと考えます。
自分は10年代に出版された本を計185冊読んでいます(2019年11月時点)。この185冊の中でとくに自分が重要だと考える本の中から、10冊を選びたいと思います。

マイベスト10冊は以下の通りです。

・歌う国民-唱歌、校歌、うたごえ / 渡辺裕
   中公新書、2010年9月
・私たちはこうして「原発大国」を選んだ-増補版「核」論 / 武田徹
   中公新書ラクレ、2011年5月
・昭和陸軍の軌跡-永田鉄山の構想とその分岐 / 川田稔
   中公新書、2011年12月
・戦後日本の宗教史-天皇制、祖先崇拝、新宗教 / 島田裕巳
   筑摩選書、2015年7月
・文部省の研究-「理想の日本人像」を求めた百五十年 / 辻田真佐憲
   文春新書、2017年4月
・皇后考 / 原武史
   講談社学術文庫、2017年12月 (2015年の書籍の文庫化)
・日本社会のしくみ-雇用・教育・福祉の比較歴史社会学 / 小熊英二
   講談社現代新書、2019年7月
・暇と退屈の倫理学 増補新版 / 國分功一郎
   homo Viator、2015年3月 (2011年の書籍の再出版)
・ゲンロン0-観光客の哲学 / 東浩紀
   ゲンロン、2017年4月
・生きるチカラ / 植島啓司
   集英社新書、2010年7月


自分は新書を読むことが多いので、10冊中6冊が新書からの選定となりました。
ジャンルとしては歴史や社会についての本が多いです。

このベスト10冊のうち上から7冊はすべて日本近代(明治時代以降)の歴史についての本で、それぞれ音楽、原子力、戦争、宗教、教育、天皇、雇用の日本近代史をまとめた本です。近世以前の歴史の本も面白いですが、現代日本社会を考える上ではやはり明治以降の150年を知ることが非常に重要と考え、日本近代史の中から7冊を選ぶことにしました。
その次の2冊も現代社会を扱った本ですが、前7冊に比べると抽象度が高く、歴史的というよりも哲学的に物事を考察した本です。
最後の1冊はいわば人生指南のような本で、他の9冊に比べると軽めに書かれており、多くの方にお勧めできる本です。

以下10冊の簡単なまとめ。10冊中2冊は過去に詳細な感想を記事化していますので、そのリンクも合わせて張っておきます。


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渡辺裕さんは音楽を中心とした聴覚文化から社会を考える本を多く書かれてる方で、「歌う国民」は、明治期日本の西洋音楽の受容とその後の変容をまとめた本。
明治の唱歌教育は国民国家構築のための統治のツールであり、軍事的・経済的な身体を作るために導入されたものですが、歴史は思わぬ方向に進み、唱歌的なものから派生して生まれた童謡のみならず、校歌・県歌・社歌の類が量産され、商業音楽以外にも様々な場面で日本人は「歌う」ようになります。
我々が考える「うた」のルーツが明治期の唱歌教育にあることが分かる本で、音楽と社会に関心のある方は必読。
(本書の記述を離れますが、統制と権威付けのツールとして音楽をことさら重視するのは近代東アジア圏全般の特徴で、このことが図らずも東アジア圏の音楽家が国際コンクールで活躍することに結びついているのでは、などと自分は推測しています。)

武田徹さんの「私たちはこうして「原発大国」を選んだ」は、2002年に出版された「「核」論」を、原発事故後に増補・再構成し緊急出版された本で、厳密に言えば2010年代の本ではありませんが、原発事故後に出版する意義の大きい、2010年代の最重要著作であると考えます。
事故のあとに自分は原発と社会に関するいくつかの本を読みましたが、ほとんどの本はおそらくこの武田徹さんの著作を参考にしています。
原子力の歴史を多面的に取り扱い、政治史・経済史・思想史・科学史・文化史の中に原発を位置付ける。吉田茂とホイットニーの会談における「アトミックサンシャイン(原子力的な日光)」という表現による恫喝からスタートした戦後日本が、敗戦の去勢感を埋めるために原子力とどう向き合ったかを描く。
ゴジラや鉄腕アトムと原発を絡めて論じることは今でこそ普通ですが、発端はやはりこの本なのではないかと思います。

なぜ日本は無謀な戦争をしたのか、川田稔さんの「昭和陸軍の軌跡」はこのことを戦間期から戦時期の陸軍を対象に考察した本です。
第一次世界大戦後、永田鉄山を中心とする陸軍中堅官僚の世界構想を下敷きに陸軍統制派が形成され、長州派・宇垣派・皇道派をパージし、満州事変・日中戦争を経て太平洋戦争へとなだれ込んでいく様子が描かれます。
石原莞爾・武藤章・田中新一を主要登場人物とし、永田鉄山の構想が独り歩きし彼の死後に暴走し、意図せざる形で歴史を悲劇化していく様子がよく分かる本になっています。

満州事変を推進した石原莞爾が日中戦争に反対し、日中戦争を推進した武藤章が太平洋戦争に反対することになるのが何ともアイロニカル。歴史は自らがどこまでもコントロールできるものではありません。為政者は歴史を舐めてはいけない。
川田稔さんによるより詳細な考察を読むなら講談社現代新書「昭和陸軍全史(全3巻)」という大著がありますが、概要をコンパクトに把握するならこの「昭和陸軍の軌跡」がお勧めです。

島田裕巳さんの「戦後日本の宗教史」は、とくに神道と新宗教を中心に、日本の宗教及び日本人の宗教的感覚の戦後の変容をまとめた本です。
戦前の日本はマクロでは国家神道体制、ミクロでは農村共同体の祖先信仰が機能していましたが、敗戦により国家神道体制は消滅し、都市化と核家族化により祖先信仰も薄くなりました。
国家神道体制の残存物として天皇の宮中祭祀や靖国神社などが残っていますが、皇室ですら核家族化し、結果として男系の維持が困難になっている。
工業化により農村から都市に人口が移動し、都市化・核家族化が進み、祖先信仰から離れた彼らを包摂したのが創価学会を中心とする新宗教で、低成長時代にさらに先鋭化したのがオウム真理教などの新新宗教である。
人間は一人では生きていけず包摂を必要とします。社会的包摂の重要なツールである宗教の変容がよく分かる、社会を考える上で重要な本です。

辻田真佐憲さんの「文部省の研究」は、文部省を中心とした教育関連官庁が目指す「理想の日本人」像の推移について考察されている本です。
明治の国民国家形成期、上の「歌う国民」でも触れたように、国民としての身体を形成するために教育は非常に重要視されました。
教育の重視は明治期以降一貫して(国民国家が継続する限り)続きますが、国家が理想とする日本国民の在り様は、戦前から戦後を通して、西洋を理想とする主体的な個人→天皇に奉仕する臣民→自由と平和を愛する民主主義者→企業活動に貢献する経済的主体、と、次々に移り変わっていきます。
ローカル(日本人はかくあるべし)とグローバル(世界人としてかくあるべし)の間を揺れ動く日本人像、共同体主義/普遍主義の戦いともいえる教育の変遷を考えることは非常に重要。
右派的愛国教育と左派的自由教育の二項対立ではダメで、教育目的の振れ幅を考える、中道を模索する上で本書は有効であると感じます。

日本の宗教・社会を考える上で天皇制は非常に重要。上の島田裕巳さんの著作にも天皇制は登場しましたが、近代天皇制を理解するために、最も重要な著作であると自分が考えるのが、原武史さんの「皇后考」です。
本書は明治以降3代にわたる皇后(美子-節子-良子)のあゆみを描いた、ある種のサーガともいえる大著で、皇后を考察することにより天皇制の在り様が浮かび上がってくる、皇后から天皇を照射するような見取りになっているのが面白いです。
天皇とはいえ当然一人の人間であり、妻や母などの親族からの影響は非常に大きい。この妻や母たる皇后からの影響が、間接的に日本の国家や社会に影響を与えていく。皇后と宗教(日蓮宗・神道・カトリック)との関わりが国家や天皇の振舞と関わっていく様子や、昭和初期の権力の分散(天皇・皇太后・秩父宮・高松宮)の様子などはとりわけ重要。
天皇制の重要性と危険性を改めて理解できる著作になっています。

小熊英二さんの「日本社会のしくみ」は、日本の雇用形態がなぜ現在のような形になったのかを、明治以降の歴史に遡って考察した本です。
本書では現代社会の労働者を「大企業型」(大企業の正社員)、「地元型」(中手企業や自営業)、「残余型」(非正規雇用)に分類し、「大企業型」の比率は高度成長期以降一貫して変わっておらず、近年は「地元型」が減って「残余型」が増えている事実が指摘されます。
欧米と日本の雇用の比較も本書の重要なテーマ。欧米はジョブ(職能)型雇用であり職能を変えるハードルが高いが勤め先を変えることは容易、日本は企業型雇用であり会社を変えるハードルが高いが社内での職能の変更(部署移動)は容易、といった比較も興味深いです。
本書では「残余型」労働者の包摂は必須であるとし、いくつかの処方箋の中から、著者は公的補助で直接「残余型」を包摂することが必須だとまとめられています。

ここまでの7冊が日本近代史の本、以降の2冊も社会を考察した本ですが、もう少し抽象度の高い、どちらかといえば哲学的な本です。
國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」は、遊動・狩猟生活に適応した人類が、定住・農耕生活により現出した暇に耐えられず、退屈を紛らわすために様々な活動を始めるようになり、その結果として現出した今日の経済社会(過剰な労働と消費のスパイラルで回る社会)を批判的に考察した、極めて倫理的な本です。
その処方箋として著者が取り上げるのが、「私たちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られねばならない。」というウィリアム・モリスの言葉。一見放蕩的・蕩尽的に聞こえる言葉ですが、「本来性」(人間とはかくあるべし!)や「決断」(つべこべ言わず前に進め!)を口実に経済活動に人を向かわせることを否定するのがこの言葉の意図です。
現代社会の経済と労働を抽象的に考察した、非常に面白い本であると感じます。

東浩紀さんの「観光客の哲学」は、現代社会を構造的・模式的に捉え、形式化を試みる本です。
現代世界はナショナリズム/グローバリズムの二層構造からなるとされ、政治/経済、上部構造/下部構造、意識/無意識、上半身/下半身、国民国家/帝国、規律訓練/生産力、国民/個人、人間/動物、スモールワールド/スケールフリー、といったキーワードが、それぞれナショナリズムとグローバリズムに還元できるのではないかとして、世界を構造化していくのが本書の試み。
ナショナリズム/グローバリズムの二項対立を乗り越えるための概念的な処方箋として、郵便的誤配(偶然性に身を晒した結果、他者・社会に不可避的に影響を与える)を引き起こす存在になる(観光客になる、親になる、家族の成員となる)ことが重視されているのが本書のポイント。
自分なりに意訳すると、個人が国家や世界システムと直接向き合うのではなく、少しでも共感能力が発動可能なユニット(家族・中間集団)を形成・維持することが肝要、そのためにはまず偶然性に身を晒せ、とこのように捉えられます。
本書は実証主義的な本ではありませんが、現代社会をマクロな視点で改善していくには、非常に有用な視点を提供している本であると感じます。

最後の1冊、植島啓司さんの「生きるチカラ」は、生きるとはどういうことかについて、宗教学者が分かりやすく書いた本で、ある種の人生指南のような本です。
自分なりの表現で本書のポイントを列挙すると
・人はいずれ死ぬ、死ねば全てがなくなるという構えが重要。
・人生は偶然性に支配される。偶然に身を任せて初めて人は自由になれる。
・人生で重要なことは、好きな人やものを選ぶこと。
・人の全ての選択には、必ず誤りの余地を含んでいる(必謬性)。
・幸福は不幸の始まりであり、不幸は幸福への足掛かりである。
・偶然と禍福の連鎖に巻き込まれるため、好きな人やものを知るために、まずは行動してみる。
と、こんんな感じでしょうか?
宝くじの当選による不幸、人生をもう一度やり直すことの不幸、などのアイロニカルな考察も読み応えあり。

今回取り上げる10冊の中では最も読みやすく、ほぼ唯一(?)多くの人にお勧めできる本です。


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以上、10冊を選定してみました。

10年代の趣味のまとめの記事は今回でおしまい。過去10年間を振り返るというのはなかなか楽しい作業でした。
こうやってまとめていると、それぞれの美術展や演奏会や本に触れた時期のことがあれこれと思い出され、10年間のことが懐かしく感じられてきます。
まもなく2020年代に突入しますが、次の10年も引き続き、様々なものに触れて生きていきたいなと思っています。