ラファエル前派の軌跡展 | れぽれろのブログ

れぽれろのブログ

美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

11月22日の金曜日、あべのハルカス美術館にて開催されている「ラファエル前派の軌跡展」を鑑賞、これがかなり面白かったので、覚書と感想などをまとめておきます。

あまりよく理解していませんでしたが、今年度からの働き方改革の一環で、勤労者には年間最低5日の有給取得が義務付けられているらしいです。自分はこの4月から1日も休んでいなかったので、総務から指摘を受け、「とにかく計画的に休め」と怒られ、この度11月22日に無理やり休みを入れ込みました。
自分は最近とくに仕事が忙しく、休むどころか夜や土日も家で仕事をしていることが多い、そもそも業務負荷をなんとかせえと言いたくなりますが、それはそれ、平日に出社しなくてよくなったので、ここぞとばかりに遊びに行くことにしました。しかし、この週は月曜日から木曜日まで毎日出張だったのでかなりお疲れ気味、遠出はしんどいので近場の阿倍野(最寄駅から15分ほど)ヘのお出かけということで、あべのハルカス美術館に遊びに行くことにしました。


今期のあべのハルカス美術館はなかなか気合が入っており、夏にギュスターブ・モロー展、秋にラファエル前派展、冬にはカラヴァッジョ展と、有名作家の来日展示が連続します。
夏のモロー展も、モローと女性をテーマとし、有名な「サロメ」や「一角獣」が展示される興味深いものでしたが、今回の「ラファエル前派の軌跡展」はそれ以上に面白かったです。

西洋美術史を大きく俯瞰した場合、各時代の中心となるのは15~16世紀ならイタリア、17世紀はオランダ、18世紀~20世前半まではやはりフランスということになろうかと思います。スペインはベラスケス、ゴヤ、ピカソなど、美術史上の巨人が突如出現する場所、ドイツもとくにルネサンス期やロマン派の文脈で特徴的な画家が登場します。
そんな中、西欧の大国のうち、こと美術に限ってはイギリスはやや影が薄い。
ラファエル前派は19世紀のイギリス美術の潮流で、ロセッティやミレイなどが有名画家として美術史上に登場しますが、どちらかというと耽美的・幻想的な側面が強調され、大枠の美術史の中ではかなり傍流的に扱われることが多いです。
今回の展示は単にラファエル前派の作家の作品を並べるだけでなく、その起源と後の時代への影響を含め、ひろくビクトリア朝時代近辺のイギリス美術の重要性を考えることのできる、非常に興味深い内容になっていました。


展示の内容。

本展によると、ラファエル前派の起源はウィリアム・ターナーに遡るのだそうです。
ラファエル前派は、ビクトリア朝時代の批評家ジョン・ラスキン(奇しくもビクトリア女王と生没年がほぼ同じ)がターナーを擁護し、硬直した当時のアカデミーを批判、これに意を同じくしたロセッティやミレイなどの画家が、ルネサンスの画家ラファエロ以前の中世~初期近世的表現を規範とし、自然描写と色彩を重視するような表現を追求したことに始まるイギリス美術史上の潮流です。
会場ではまず、ターナーの影響下にあると思われるラスキンのスケッチの数々と合わせて、ターナーの作品も合わせて展示されていました。
入口にターナーの「カレの砂浜-引き潮時の餌取り」がどんと展示されており、いきなりクライマックスという感じ。前回のショパン展に引き続き、またしても意外なターナーの登場で嬉しくなります。

続いてラファエル前派のメイン画家であるロセッティとミレイが登場。
とくに素敵なのがミレイの作品、ラファエル前派の一般的な傾向と自分が考えていたロマン的・耽美的な趣向(ミレイであれば「オフィーリア」に代表される)とは異なり、現物を見ると写実的な細密描写と色彩を非常に重視している傾向がよく分かります。風景画も人物画も素敵で、とくに「滝」がお気に入りの作品となりました。
ロセッティはファム・ファタル的な女性画が有名かと思いますが、現物の作品群をみるとやはり写実的な側面が強い。アゴががっちりした特徴的な顔の女性が登場するのがロセッティの傾向かと思いますが、解説によるとどうも特定のモデルがいるからということのようです。

続いての展示スペースにはラファエル前派の影響下にある様々な作家の作品が展示されていました。

幻想的・耽美的な作品も多く、これぞザ・ラファエル前派、ザ・ビクトリア朝という感じがしてきますが、実際にはこれらの作品の描いた人たちはオリジナルのラファエル前派メンバーではなく、その周辺の画家という位置づけのようです。自然風景の中で佇む夢見るような美少年を描くウィリアム・ダイスの「初めて彩色を試みる少年ティツィアーノ」などがこの傾向の代表でしょうか。
とくに面白いのがフレデリック・レイトンの「母と子」で、気だるく横たわる母の唇に子がサクランボを与えるという異様な官能性とともに、ペルシャ製と思われる絨毯と日本製と思われる金箔屏風が描かれており、官能性と東洋性が入り混じる、これぞ英国のオリエンタリズムという作品になっていました(←褒めています)。
個人的に気に入ったのがウィリアム・ヘンリー・ハントという画家で(本展ではハントという姓の画家が複数登場するのでややこしい)、鳥の巣やブドウなどの自然の姿を細密に描き、それでいて色彩は豊かで綺麗な作品になっていました。

最後に、ラファエル前派・その後というこことで、バーン・ジョーンズとウィリアム・モリスが登場します。
バーン・ジョーンズはラファエル前派の中世以前的な志向をさらに推し進めた作家で、古代や中世を描いた幻想的な作品の数々が面白い。現代日本のファンタジー系の漫画やゲームなどにおいて、古代や中世をモティーフとする作品の多くは、おそらく直接ヨーロッパの古代や中世を参照するのではなく、バーン・ジョーンズなどを経由した二次的な古代・中世イメージに由来するデザインになっているのではないか、などと考えることもできそうです。
一方のウィリアム・モリスはラファエル前派の装飾的な志向をさらに推し進め、それを建築物の一部や家具などの調度品のデザインに応用した作家で、アーツ・アンド・クラフツ運動につながっていきます。この傾向は世紀末から20世紀にかけて海を経て大陸に伝播し、アール・ヌーヴォーやバウハウスなどにもおそらく影響を与えているであろうことが分かります。


考えたことなど。

19世紀中期のフランス美術において、ロマン主義のあとに反動として写実主義が登場、その影響下にある印象派の画家たちが色彩の写実を追求した結果形態は曖昧模糊としたものになり、結果として世紀末から20世紀にかけてのナビ派やフォービスムにつながっていく、という意図せざる結果の連鎖が起こりました。
これと似たようなことがイギリス美術でも起こっているのが非常に興味深いです。
ロマン主義近辺の画家とされるターナーの写実面を強調したラファエル前派が、転じてその色彩面・主題面の影響からか耽美的・幻想的な方向に変わり、これがさらに転じて今日のサブカルチャーや商業デザインに影響を与えるという、意図せざる結果の連鎖が本展から読み取れるのが非常に面白いです。

最近読んだ山本浩貴さんの「現代美術史」(中公新書)によると、現代美術の起源はダダとアーツ・アンド・クラフツに遡ることができるのだそうです。
「美術館のためのアート」としての戦後コンセプチュアルアートの起源はフランスのデュシャン(ダダ)に遡り、「社会のためのアート」としての商業デザインやパブリックアートの起源はイギリスのモリス(アーツ・アンド・クラフツ)に遡る。
自分のような美術館好きの人間としては、どうしても美術=フランスと考えてしまいがちですが、パブリックアートを考えるとイギリス美術も無視できない。本展ではそれがラファエル前派を経てターナーにまでつながっていることが分かり、現代社会における19世紀イギリス美術の重要性を改めて考えることのできる、面白い展覧会であったように思います。イギリス美術は侮れません。


ということで、細かいことを抜きにしても、本展はビクトリア朝のイギリスを味わうことのできる面白い展示だと思いますので、関心のある方はぜひあべのハルカス美術館へ。
次回のカラヴァッジョ展は、有名な「ゴリアテの首を持つダヴィデ」が大阪では展示されなくなったのだそうで、これは残念ですが(モローで始まりカラヴァッジョで終わる「三部作」なら、サロメの首切りで始まりダヴィデの首切りで終わらんと完結せえへんやないか、などと根拠不明な憤りを覚えますが 笑)、カラヴァッジョ展も楽しみに待ちたいと思います。