日本社会のしくみ/小熊英二 | れぽれろのブログ

れぽれろのブログ

美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

小熊英二さんの「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」(講談社現代新書)を読みました。
以下、自分なりの補足・意訳を含めつつ、覚書・感想などをまとめておきます。


小熊英二さんは社会学者で、単著では自分は過去に「社会を変えるには」(講談社現代新書)、「生きて帰ってきた男」(岩波新書)を読み、編著では「平成史」(河出ブックス)を読んでいます。
いずれも現代社会の構造を歴史的な視点を重視しつつまとめた著作です。
今回読んだ「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」も同様の趣旨で、タイトルの通り現代日本の社会の在り様を歴史を踏まえて論じた本ですが、ややサブタイトルに偽りがあり、「雇用・教育・福祉」といいつつほとんど雇用について著述されています。
とはいえ現代社会は勤労を中心に成り立っているのは確かで、雇用から歴史的に社会を見るという視点は面白く、現代社会を分析する非常に重要な視点を与えてくれている書籍であると感じます。


本書の概要。

まず本書では、現代社会の成員を雇用のかたちから「大企業型」「地元型」「残余型」に分類しています。
自分なりに簡単にまとめると、「大企業型」はその名の通り大企業の正社員で、大企業の通勤圏内に居住し、厚生年金や組合保険に加入し、老後も比較的安定しているが、異動や転勤が多く地域ネットワークがらは疎遠で、家族単位乃至は個人で孤独になりがちです。
「地元型」は中小零細企業や自営業(一次産業含む)、主に地方に居住し地域ネットワークの恩恵を受けられ、相互扶助の中で生きることができますが、国民年金や国民健康保険による公的補助は薄く、老後も働き続けることになりがちです。
「残余型」は上の2類型以外の非正規雇用者などで、大都市とその周辺に居住し、公的補助・地域ネットワークのいずれの恩恵も受けにくい類型です。
本書では人口比で「大企業型」が26%、「地元型」が36%、「残余型」が38%であるとされています。

自分が本書で最も重要だと感じるのは、「大企業型」の比率は高度成長期からほとんど変わっておらず、ここ数十年で「地元型」が急減し「残余型」が急増している、という指摘です。つまり高度成長期は中小零細企業や自営業が非常に多かったが、ここ数十年で中小零細企業・自営業が急減し、主として大企業に勤める非正規雇用者が急増しているということです。
我々はなんとなく戦後昭和期の典型的な雇用者像が大企業の正社員で、ここ数十年で正社員が減って非正規雇用が増えた、などと考えてしまいがちですが、これは誤り。減っているのは大企業の正社員ではなく中小零細企業・自営業です。
戦後昭和期は中小零細企業や自営業が非常に多かったというのは、前著「生きて帰ってきた男」の分析とも符合します。地方を中心に中小零細企業や自営業が80年代から90年代にかけて急減、減った産業を大企業が取り入れた、しかしその労働は主として非正規雇用が担った、というのが実情のようです。
商業の例でざっくりとした理解で言うと、かつてあった地元商店街が衰退し自営業者が減り、逆に郊外型のショッピングモールが急増しそこで働くアルバイト・パート労働者が増えた、というイメージで理解すると良いのではないかと思います。

以降、本書では主として「大企業型」の雇用の在り方について、日本と欧米との比較、及び日本型雇用が形成された歴史的経緯がまとめられています。

欧米と日本の雇用の違い。
ざっくりと、欧米はジョブ(職能)型雇用であり、日本は企業型雇用である。
欧米では職能が重視され、例えば電気技師なら電気工として、マーケティング資格保持者ならマーケティング事務担当として企業に雇用され、企業からは個人としての成果を要求される。組合も職能別に形成され、より条件の良い企業に転職することも容易、新たな資格・学位を取得すればキャリアアップも可能でが、成果が出なければ簡単にレイオフ(解雇)され、社会階層はやや固定的で、資格以上の仕事に就くことはできません。
日本は大企業中心で、就職する際に学生時代の勉強の内容はほぼ考慮されず、企業内で様々な仕事を習得し仕事の内容が場合によっては数年ごとに変わる。組合は企業別で、個人の成果よりチームワークと複数部署での経験が重視され、企業内での上昇も比較的容易で社会階層は非固定的、簡単に解雇はされませんが、転職のハードルは高めで、企業外でのキャリアアップの機会は少ないです。
欧米は資格(何ができるか)で人を採用しますが、日本は潜在能力(どう成長するか)で人を採用します。なので、欧米では大学で何を身に付けたかが重要、日本はいかに難しい大学入試を突破したかが重要視されます。(故に日本では大学学部卒も院卒も企業の処遇は変わらない。)
欧米では職能を変えるハードルが高く、日本では企業を変えるハードルが高い。
どちらが良いというわけではなく、メリット・デメリットは一長一短です。

「大企業型」日本型雇用の歴史的経緯。
19世紀時点では、日本・欧米に関わらずいずれの国でも労働者の権利は薄く、職能が人を包摂する(欧米)、企業が人を包摂する(日本)ようになったのは、いずれも20世紀以降の社会環境変化や労働運動の成果によります。
日本の場合、明治維新以降産業をリードしたのは主として行政及び官営企業です。これらの企業は当初は士族階級が寡占しましたが、ヨーロッパの貴族とは違って日本の士族は土地を基準とする資産がなく(近世の武士は俸禄で生活)、時が経つにつれ士族は没落し階層は流動的になる、変わって学歴優秀者が行政及び企業の重要な職務に就任する仕組みができます。これが日本企業の学歴(≒潜在能力)重視、企業内での成長重視のルーツです。
それでも戦前までは、雇用は企画・事務労働・肉体労働の3階級にきっちり分類されており、企画・事務労働がいわゆる正社員で、肉体労働は工員と言われ賃金日払いが原則でした。
30年代後半から40年代の総動員体制の中で3つの階級格差は縮小し、戦後のインフレにより経済格差は一端ほぼなくなりました。
戦後は労働運動が盛んになり、その成果として事務労働者も肉体労働者も同様の「社員」となり、社員は簡単には解雇されず、賃金や出世に対する格差も原則としてなくなります。これが日本型雇用・企業内組合のルーツです。

興味深いのが、学歴の変化と雇用の関係です。
戦後になると高卒者が急増します。かつての旧制高校と言えば社会階層は高く、高卒であれば事務労働というイメージがありましたが、高卒者が急増すると高卒でも肉体労働で採用されることになり、高卒者の不満が高まります。
60年代になると大卒者が急増します。この結果、かつては高卒者が担っていたセールスやサービス系の労働を大卒者が担うことになり、大卒者の不満が高まります。
高校を出たのに、大学を出たのに、こんな仕事なのか。60年代末の大学紛争の背景には、大学生の急増と雇用の変化、大学生の「こんなはずじゃなかった感」があります。
80年代から90年代にかけては、大学が急増する時代です。大学が増えた結果大学進学率も増えますが、上にも書いたように60年代以降「大企業型」の正社員の比率は一定ですので、学生が増えれば当然正社員になれない学生が増えます。これが90年代からゼロ年代にかけての大卒就職難の大きな理由の1つで、平成不況により大企業が労働者を非正規化したことにより就職難となった、という認識は慎重に再検討するべきことのようです。非正規化は上にも書いたように「地元型」産業の没落が背景にあります。

本書は雇用の歴史的経緯を分析することが主たる目的ですが、巻末には著者の意見が述べられています。
「大企業型」「地元型」「残余型」のうち「残余型」が増えているのは当然望ましいことではなく、何らかの対策が必要である。
本書ではあるパート労働者の質問の例を通して、以下の3つの対応案がまとめられています。実際は個別具体的に記載されていますが、自分なりに抽象化・一般化してまとめると以下の通りです。
 ①「大企業型」を増やし「残余型」を包摂する。
 ②日本型雇用を見直し欧米的ジョブ型雇用に切り替え「残余型」を包摂する。
 ③民間に任せるのではなく公的補助で直接「残余型」を包摂する。
①は正社員を増やして非正規雇用を減らすという方向性で、多くの人に支持されそうですが、大企業への義務付けとバーターとしての規制緩和などの法整備が必要、どのように法制化するかは難易度が高そうです。
②は資格・学位を取得できるキャリアアップのしくみを企業外に整備し、日本型雇用の仕組み自体を変更する、大規模な社会の構造変化を伴うもので、非常に時間がかかるのと同時にどのように「残余型」を包摂するのかも難しいところです。
③は失業手当や住宅手当などの形で、財源さえあれば差し当たりできる容易な政策ですが、一部世論の反対が大きそうです。

なお、著者は③が妥当であるという見解です。
自分は差し当たり③をベースにしながら、②の方向に時間をかけて切り替えていくのがベターなのではないかと考えます。
なお、「地元型」の復旧という選択肢は与えられていません。できるならば「地元型」の復旧がベストだと自分は考えますが、これは難しく、「地元型」の減少は社会学的には不可逆な流れなのかもしれません。


自分の経験と照らし合わせた所感など。

自分の両親は和歌山県の山奥で生まれ、父方の祖父は工務店、母方の祖父は酒屋でしたので、2人とも典型的な「地元型」の家系の出身ということになります。
父は70年代初頭に大阪市内の建築設計事務所に勤務、社員十数人程度の中小企業でしたが、確か建築関係の組合の保険に加入しており、ゼネコンなどの大掛かりな仕事を受けつつ、地元の知り合いの建築の仕事を請け負ったりなど、今考えると、比較的欧米的なジョブ型に近い「大企業型」と「地元型」のハイブリッドのような雇用労働者だったと思います。
母は就労経験のない専業主婦、兄弟は3人で自分が長男、弟が2人。父は早くに亡くなり母子家庭になりましたが、比較的手厚い遺族年金や生命保険の恩恵を受けることができ、兄弟3人とも大学に進学、皆「大企業型」の雇用労働者になっています。なので、親子3代で「地元型」→「大企業型」に移行した例です。
2番目の弟(次男)の例が特徴的、彼は大卒の際に就職できず、しばらくアルバイトを続けながら生活していました。なので大卒時点では「残余型」の雇用者でしたが、アルバイト先の企業(名前をきけば誰でも知っている超有名企業です)での頑張りから、アルバイトから契約社員を経て社員になったパターンですので、「残余型」から「大企業型」に移行した例と言えるかもしれません。
いずれにせよ、自分の親子3代の流れも、戦後の「地元型」の減少と「大企業型」「残余型」への移行という本書の内容と符合します。

自分は1978年に生まれ、大学を出た後2000年に就職し、その後2015年に転職を経験しました。いずれの企業も製造業です。
自分の職務は、開発設計業務、外注委託設計の管理業務、企画営業事務、資材調達業務、本社機能に近い管理業務と、職務内容がどんどん変わっていっているパターン、欧米的ジョブ型ではない日本型雇用の典型です。
このような日本型雇用にも良し悪しがあり、上の弟の例のように企業内での頑張りにより職務が変わって階層が上がるということはおそらく欧米的なジョブ型雇用ではレアなケースで、これは日本型雇用の良い面と言えるかもしれません。
日本型雇用のよくない面としては、上層部の指示で仕事内容がどんどん変わるので、自らの適性に合ってない仕事もこなさないといけない、という面があるかもしれません。
転職した際に感じたのも本書の分析と同じで、日本の企業は「何ができるか」「何をしたいか」ではなく、「何をしてきたか」「どういう人か」を見て採用しています。「文句を言わず何でもやる」人が最も採用されやすい。
大学入試は、記憶と判断力を総動員して一定時間内に与えられた課題を合理的に処理する能力の高さを問うものです。部活動(とりわけ運動部)の経験は、協調性と序列関係での従順さを養うものです。

故に企業は採用する際に学歴や部活動を重視します。逆に言えば日本の雇用の在り方が変わらないと、教育の在り方も変わらない、ということが言えると思います。

上にも書きましたが、本書の最後の問いに対しては、①はやはりダメで、②と③のハイブリッドが良いと思います。
①は現状の雇用の在り方を維持するものです。

やりたくない仕事でも頑張ってこなす人が求められ、企業内で上昇してくのが日本型雇用の一側面。日本の大企業の上層部の多くの人は、おそらく経営がやりたくてやっているのではなく、企業内で仕事を変えながら押し上げられ、その結果として経営をやっています。これはあまり良いことではないように感じます。
このようなことが、必ずしも必要でなくなった企業・業界が温存され、新たな企業・業界が成長することを抑制させる方向に働いていることと、直観的に関わりが大きいように思います。(例えば原発がいつまでも維持され続けていることと、このような雇用形態とは、おそらく関わりがあります。)
②のパターンに徐々に移行する。企業内・企業外の組織や教育機関で、自らの意志でキャリアを形成し、必要に応じてキャリアを変えることができる。雇用のあり方が変われば、教育も変わらざるを得ず、大学入試や部活動のあり方も変わる。
「残余型」雇用者もこのキャリア形成の恩恵を被れるようにする。ただしこれだけでは「残余型」全員の包摂は難しいので、③の社会保障の充実は急務、これが自分のざっくりとした所感です。


ということで、様々な気付きがある面白い本です。
社会・歴史に関心のある方だけではなく、仕事についてあれこれ考えてみたい人に対しても、本書はお勧めです。