経済のはなし | れぽれろのブログ

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統一地方選挙の季節になりました。
選挙のタイミングで社会について考えるという当ブログの恒例企画。
今回は久しぶりに経済について考えてみたいと思います。

今から6年前、2013年の1月に書いた以下のような記事があります。

・リフレ政策と生活保護
https://ameblo.jp/0-leporello/entry-11457553553.html

安倍政権が発足して1ヶ月、ちょうどアベノミクスという言葉が出たか出ないかくらいの頃の記事だと思います。
この記事の趣旨は生活保護費カットについての疑念ですが、経済についても言及されています。
経済については、

 金融政策により物価が上昇すること
 円安が進み大企業が儲かること
 失業率が改善すること
 大企業の内部留保が増大すること
 一部の大企業の社員を除き労働者の賃金は上がらないこと
 従って金融政策だけでは社会生活の改善にはつながらないこと

が記載されており、いま読み返すとこの予言(?)が全部当たっていることが分かります。6年前のれぽれろのブログも、なかなか侮れません(笑)。
この記事には、経済を好転させるには最低賃金を上げるべきだということも書かれています。これもその通りだと思います。
賃金が上がることにより経済は良い方向に進みます。(理由はあとで述べます。)
いま読み返すと、当時の記事のいくつかの誤りのうち最も大きな誤りは、賃金上昇を経営者や株主のマインドに求めている点です。
これはやはり無理な話、経営者や株主の道徳心やモラルに期待しても意味はなく、もっとドライに考える必要があります。
やはり国家が政策的に賃金を上げる必要があった、具体的には最低賃金の大幅な切り上げです。
最低賃金の切り上げは、相対的に全労働者の賃金アップにつながる政策です。
この6年間で政治主導の春闘への介入なども行われましたが、大企業の正社員の給与が若干上がるということにすぎず、あまねく国民の給与上昇にはつながりませんでした。

資本主義の世の中では、経営者は儲けることが仕事です。
株主は儲かる企業・経営者を支持しリターンを貰う、これにより経済をまわすというのが資本主義。(そもそもこの資本主義の構造の是非は別途問われるべきですが、差し当たりこの前提で物事を考えます。)
経営者は当然、楽して儲けることを考えます。
楽して儲ける一番の方法は支出を抑える、即ち賃金上昇を見送ることです。
大手企業は労働組合との春闘での折衝により、定期賃金上昇(いわゆるベア)を行う慣習がありますが、中小企業ではこのような慣習はない場合が多く、ましてや大手労組に属さない契約社員・派遣社員の給与は上がりません。
従って多くの国家は経済に介入し、強制的に賃金を上げる、これが最低賃金の上昇で、あまねく国民の賃金アップにはこの政策が必須です。

賃金を上昇させざるを得なくなると、ようやく経営者は儲けるために頭を使うようになります。(逆に言えば、経営者は楽して儲けるため=頭を使うのが面倒くさいので、賃金の抑制を国家に働きかけることになります。経済団体の要請を受けて賃金の下方硬直を進める政策が、ホワイトカラーエグゼンプションであり、最低賃金の据え置きであり、生活保護費のカットです。)
儲からない産業をダラダラと続けようとする(原発などその最たるものです)のは、経営者が頭を使うことを面倒くさがっているからであり、賃金の下方硬直性はこの傾向を推し進めます。
儲からない産業はやめ、儲かる産業とは何かを考え、儲かる産業にチャレンジし切り替えていくことが産業構造改革です。
賃金が上昇すると企業は労働生産性を上げざるを得ず、オートメーション化やイノベーション化に舵を切らざるを得ず、オートメーション化は投資を生み、企業は内部留保を投資に回し、投資が新たな雇用を生み、イノベーション化が産業構造改革をもたらし新たな雇用を生み、上昇した賃金は消費を拡大し、経済の好循環をもたらす、これが賃金が上がると経済が良くなる理由です。
賃金上昇は失業率の増大を招くという説もありますが、これは既得産業温存のため企業が生産を賃金の安い海外に移転するからであって、近隣諸国が既に賃金アップしている今では大きな懸念ではないように思います。(さらに奥地へ・遠方へ移転するという選択も考えられますが、逆に輸送コストが増大します。)
経営者を「真面目に働かせる」には、最賃の上昇は必達です。

そもそもアベノミクスの本義は財政改革(プライマリバランスの健全化)でした。
金融政策(第1の矢)・財政出動(第2の矢)・成長戦略(第3の矢)により、投資を喚起し、失業率を改善させ、物価を上昇させ、税収を増大させ、国の財政収支を安定させる、ここにアベノミクスの目標があったはずです。
しかし現実には、やってることは金融政策(量的緩和)ばかりで、財政出動は旧来的なものであり、成長戦略に至っては何もやってないように見えます。
量的緩和の効果及び労働人口の減少により、失業率は改善しました。
量的緩和によりお金の価値は下がり、円安が進み、輸入品を中心に物価は上がりました。
物価の上昇は借金の相対的な低下につながるため、財政の改善には寄与しますが、労働者の賃金が上がらないと生活の改善には繋がりません。
物価と賃金の上昇がマイルドなインフレを引き起こし、国の借金を相対的に低下させ、財政を改善させ、プライマリバランスを健全化するのがアベノミクスの目標であったなら、この好循環は起こっていないので、アベノミクスは失敗と言われても仕方ありません。
今考えると、最賃上昇こそが成長戦略への足がかりだったのでは?、と感じます。

既に量的緩和は限界に来ており、しかも上に書いたような好循環的なマイルドなインフレ(日銀の物価目標2%上昇のようなもの)は6年経っても達成していません。
このような政策はさっさと取りやめるべきですが、これにより利益を得ている人が財界・政界にいるので、なかなかやめられないのだと思います。
ハイパーインフレのようなものは(とち狂って戦争でもしない限り)おそらく起こらないと思いますが、国債価値や通貨価値の低下が加速するような悪いインフレは、何かがトリガになれば起こらないとも限りません。
財界や政界の中にはそれを狙っている人たちがいる、国の借金など大規模なインフレで棒引きすればよい、あとは野となれ山となれ、我亡きあとに洪水来たれ、首相自身がどこまで理解しているかは不明ですが、官邸とその近い筋の人たちは逃げ切りを考えているだけのように見える、昭和初期の右翼であればこのような者を国賊・君側の奸と呼んだはずです。
マイルドに財政収支を安定させるためにも、最賃のアップによる生活の安定と、経営者による産業構造変革の後押しを推進することは必達、野党はポリコレ的なものだけではなくもっと経済を語り、この点をデータと共に示し続けるべきだと考えます。

我が国の政治・経済の諸外国に対する遅れは脇に置いておいて、もう少し世界レベルで考えると、さらに別の問題がある、当ブログでお馴染みの(?)見田宗介図式による環境の臨界問題です。
上に労働生産性を上げるためのオートメーション化とイノベーション化について書きましたが、これらは未規定なリスクをもたらす恐れがあります。
資源は必ず枯渇する、環境負荷の増大は人類への脅威となる、これが旧来的な成長に対する疑念の図式です。
現在のイノベーションは必ずしも資源の枯渇や環境負荷に直結しない形での
IT・バイオテクノロジーの推進に向けられているようですが、これにも新たなリスクはあるはず。
前々回の「新記号論」の記事でも少し触れましたが、IT技術やバイオテクノロジーの生活世界への浸食は何未規定なリスクにあふれている、これらを人間が上手くコントロールできるのか。
いま見返すと見田宗介さんは90年代の「現代社会の理論」の時点では資源の枯渇や環境負荷に直結しない形でのイノベーションを肯定的に捉えているように見えますが、近著「現代社会はどこに向かうか」では明らかに否定的に捉えられています。
旧来的な資源リスク・環境負荷リスクも解決しているとはいえず、それに加えて起こるテクノロジーの生活世界への浸食に如何に抗うのか。
我が国はもっとレベルの低い点でもがいているように見えますが、その先にも大きな問題が待ち構えていることを認識することも、重要なことであると感じます。