衆院選 -いくつかの論点- | れぽれろのブログ

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衆院選になりました。
選挙のときくらい世の中のことを考えようという、恒例(?)記事。
今回も社会問題のいくつかの論点について、自分の考えなどをなんとなくつらつらと書いてみようと思います。
今回はとりあえず3点、原発問題、北朝鮮問題、増税問題についてコメントし、最後に昨今の政治状況全般について思うところなどを書いてみます。


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原発について。

原発は終息せざるを得ない発電技術です。
未規定のリスクに満ち、運転を誤れば大規模な爆発事故を引き起こし周辺に人が住めなくなる発電技術。
福島クラスの事故でも放射性物質が周辺に撒き散らされ、その際の健康リスクの有無は規定困難、農作物や海洋の汚染は地域経済に悪影響を与え、地域を分断に追い込むような結果になることが明らかになりました。
核燃料廃棄物は人間の歴史の尺度を越えた長期間に渡り管理を行わねばならず、核燃料サイクルも「もんじゅ」の失敗から技術的な困難性がほぼ明確になっています。
このような施設が終息すべきであることは論を待ちません。
国民の多くが原発の終息を望んでいることは、世論調査からも明らかです。

問題はどのようにして終息させるか、終息方法を議論することが肝要です。
自分は原発の存続が困難であるのと同様、即全原発を廃炉にすることも困難であるのではないかと考えます。
存続か即廃炉か、というような対立軸を立てれば、どうしても存続に傾いてしまいがちです。
即原発ゼロとなれば、原発立地地域の地域経済は破綻し、電力会社は逼迫し、そのツケが多くの国民に回ってくることになります。
福井県は幸福度1位の都道府県と言われますが、地域経済の豊かさと雇用の安定性の多くの部分を若狭湾の原発が担っています。
また、原発は大規模な設備投資を長期的スパンで回収する必要がある産業なので、即停止となると電力会社の収支が合わなくなることも理解できます。
元々原発は高度成長期以降、都市化に伴い衰退する地方への再分配機能を持つ設備として地方に誘致され、電力会社やプラントメーカーも国策としてその政策に協力したという背景があります。
故に原発廃炉後の地域経済を考慮した代替産業の育成が必須であり、同時に、電力会社に多大な負担をかけないレベルでの代替発電設備への移行が必須です。
これらを現実的なスパンで移行を進めていく必要があります。

ちなみに、自分の勤めている企業(製造業)は一部原発プラントにも部品を納品しています。
その中では、「一個人としては原発はない方が良いと思うが、原発が稼働するなら、企業の経営的合理性から考えて入札という選択をせざるを得ない」という従業員の本音を聞くことができます。
地方も電力会社も、現状維持:原発再稼働の方が楽な選択。
しかしそれは国民を未規定なリスクの下に晒し続けるのと同じこと。
市場に任せて放っておくとずるずると先延ばしになってしまうので、明確に政治的介入が必要です。
自然エネルギーへの移行は既に世界レベルで始まっていますし、欧州だけではなく中国等においてもエネルギーの転換は加速していますので、日本にできないことはありません。
マイルドな終息工程表作成を政治が行政に指示し、国策として終息を実行するしかありません。
住民投票の実施も良いかもしれませんが、原発立地地域限定で投票を実行すれば原発存続が可決されるのは明らかです。
我々は存続を希望する当事者(原発立地地域・電力関連会社)と、即ゼロを主張する部外者(立地周辺地域住民)との不毛な対立を乗り越えねばなりません。
両者を調停しながらマイルドな終息を実行できるのは、やはり国民の意志を受けた国政のみであると考えます。


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北朝鮮について。

昨今の北朝鮮問題の最大の課題は、北朝鮮による日本国土へのミサイル攻撃・核攻撃を如何にして回避するか、という点にあります。
北朝鮮が悪い国であるとか、誰が仲間で誰が敵だとかは関係ありません。
そもそも北朝鮮は90年代から日本に到達するミサイルを保有していましたし、ゼロ年代には既に核兵器を完成させています。
日本国土に核ミサイルを落下させる技術はとうにあるわけで、これは今更危惧する問題ではありません。
アメリカに到達可能なミサイルを完成させるかどうかが現在の問題であり、これはアメリカと北朝鮮の間での問題です。
この両者の諍いに起因して日本国土が攻撃されることを如何に回避するかが肝要です。

危機を回避するために、国際社会は北朝鮮に対しアメとムチを駆使する必要があります。
対話か圧力かという二項対立は(原発存続か即廃炉かという対立と同じくらい)無意味。
対話と圧力を同時に行い、アメとムチを同時に計算的に行う必要があります。
(アメは非常に重要です。アメを与えれば次に「アメを与えることをやめる」ことがムチに変化します。)
同時に、アメリカが一発撃ち込んだ時点で、同盟国である日本は北朝鮮に反撃される可能性が出てきますので、国際社会がアメリカを如何にして「なだめるか」も重要なポイントになります。
日本国土を攻撃された時点で多大な被害が生じますので、そのあと反撃しようがしまいが、撃たれた時点で負けと考えるべきです。(もちろん反撃の意志を示すことは重要ですが。)
日本の一部右派の中には、北朝鮮に攻撃されることにより日本の理念・体質を変革させることを目論んでいるとしか思えないような発言もみられますが、このような発言の尻馬に乗り急進的な強硬策を取ることは愚昧です。

北朝鮮の立場に立ってみると理解しやすいかもしれません。
朝鮮半島は日清戦争で国土が戦地と化し、20世紀初頭には日本に併合されたという歴史があります。
日本の敗戦後、金日成らが独立に向けて動き出したのも束の間、戦後の冷戦体勢に巻き込まれ、朝鮮の思惑とは関係なく、米ソの思惑で国土は分断されてしまいます。
北朝鮮はその後半島の北半分を統治し、ソ連の核の傘に入り、中国とも共産主義国家として協力することになりますが、時代を経て中国は改革開放路線に転じ、ソ連は崩壊し、核の傘はなくなってしまいます。
核の傘がなくなった以上、90年代に北朝鮮が自ら核武装するのはある種必然的な流れです。
北朝鮮問題は米中露が冷戦後に積み残した課題が表面化した問題です。
さらには、米中露とも己が核ミサイルを保持していながら、他国の核ミサイル所持を非難するなど、正当性のかけらもない振舞いです。
国家としての統一的独立性が保たれず、100年以上に渡り大国に翻弄され続けた朝鮮半島の歴史。
このような経緯を考えれば、北朝鮮が「グレる」のも大いに理解可能です。
日本にも米中露にも歴史的瑕疵が大いにありますし、ただただ一方的な非難については正当性はありません。
よって、北朝鮮の行う挑発的攻撃性に照準して非難を行いつつ、周辺国は自らの歴史的瑕疵に対する補償の意味を込めて、援助を与え続けるしかないのではないかと考えます。

我々は冷戦体制末期のソ連・東欧に対する勝ち方、内部から体制を緩やかに変革させる勝ち方を思い出す必要があります。
最も重要なのはおそらく北朝鮮の国民が経済的に豊かになることであり、分断された南北の国土の統一の方向に向けて国際社会が支援することです。
非常に難しいことですが、アメとムチを駆使しながらこの方向を目指すより他に選択の余地はありません。
朝鮮半島の分断は米中露に歴史的責任があり、日本はそれ以前の歴史に責任があります。
少なくとも日本の現政権の掲げるような、北朝鮮を徹底して悪に帰属させるが如き言説は、正当性の面からも危機管理の面からも、何一つ有効ではないと考えます。
先月の20日、天皇陛下は埼玉の高麗神社を訪れ、高句麗(現在の北朝鮮の位置にあった王朝)について質問したという記事が出ています。
なぜわざわざこの時期にこんな場所を訪れるのか、自分には「歴史を思い出せ」と言うメッセージにしか見えません。
自分は天皇主義者ではありませんが(どちらかといえば自分は天皇制はないに越したことはないという考え)、右派こそこのメッセージを受け止めるべきであると感じます。


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増税について。

現在の日本財政のプライマリバランスを健全化するには、増税かインフレかという選択肢があると言われます。
直接税金を増やして借金を返す(消費税増税)か、モノの値段をあげて(お金の価値を下げ、国債価値を下げて)借金を返しやすくする(間接的に税収を上げる)しか選択肢はありません。
この点、やたらと増税かインフレかという二項対立で考えられがちですが、一消費者にとってみれば実は同じこと。
要するにどちらもモノを買うときの値段が上がるわけであって、消費者負担は将来的にどうあがいても増えることになります。
唯一、モノの値段が上がると同時に給与所得も上がれば、勤労者については消費者負担は差し引きゼロになりますが、トリクルダウンがうまく機能しないことは、この5年近くのリフレ政策下でほぼ明らかになっています。
一般に景気と失業率とは相関性があり、金融緩和により失業率が下がることはマクロ経済学では一般的なようで、現に安倍政権下で失業率は下がりました。
しかし、個々人の給与所得上昇と景気とはあまり関連性がなく、これは市場に任せられる問題ではなく、政治や経営者のマインドの問題なのではないかと考えます。(このあたりは安倍政権開始直後の記事、この記事の下の方でもちょこっと触れています。)
故に、増税であろうがインフレであろうが、それだけでは消費者負担は変わらないと見た方が妥当だと考えます。

そもそもアベノミクス云々でインフレを起こそうとあれこれやってきたようですが、5年近く経ってもインフレは起こっていません。
このことはリフレ政策の困難性を意味するとともに、アベノミクスの失敗をも意味します。
アベノミクスは初動の金融緩和は非常に有効に機能し、景気回復と失業率改善には大いに貢献したことだ思いますが、アベノミクスの最終目標がプライマリバランスの健全化であるなら、これはやはり「その後が続かなかった」と言われても仕方がありません。
インフレが5年やっても無理な以上、消費税増税はおそらく避けられません。
よく将来世代にツケを回すなという言い方がなされますが、既に我々は大々的に過去世代からツケを回されています。
この後さらにツケを回すのは問題、タイミングを見計らいながら、増税方向に舵を切る他ないのではないかと感じます。
しかし、少なくとも森友・加計の如き問題(お友達のためにお金を優遇する)を抱える現政権による国民への税収負担の懇願は、国民への示しがつかず、正当性の面から言って相当に違和感を感じます。
「国民経済が相当に豊かなら多少の汚職もいいかもしれないが、国民負担が増えるなら最低限自ら律しろ。」というのが自分の所感。
インフレの失敗と給与所得上昇の失敗は、非常に困難な課題ですのでこれを失策と見るかどうかはやや難しいですが、森友・加計問題は明確に大失策、増税を訴えるための大きな障害であることは間違いありません。


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最後に昨今の政局と、我々の政治に対する構えについて。

安倍政権については上記にも少し書きましたが、初動の金融緩和は良かったと思いますが、その後が続いておらず、さらには数々の強権的な物事の決定方法には大いに疑問があります。
モリカケお友達問題が起こった以上、政治的巻き返しは非常に困難。
そんな中、憲法改正という「功名」のために政治を続けているのか(これが功績となるのかも歴史的スパンでみれば微妙ですが)、日本会議に代表されるようなお友達のために政治を続けているのか、現政権の目的が何なのかは分かりませんが、この内閣の歴史的使命は既に終わっているのではないかと考えます。

同時に希望の党や民進党の微妙さも目立ちます。
風を見ながら右往左往する面々。
希望の党など現政権とさほど変わらぬ主張をしている上、強権的手法も現政権と何ら変わりなく、どこに対立軸があるのか分かりません。
何度も書いている通り、自分は中道リベラルがいいなと思う人間です。

自分が選挙権を得たのは1998年で、これはちょうど民主党結党の年、以降、一貫して自分は民主党に投票して来ています。
その後継である民進党の体たらく・崩壊ぶりは目を覆わしめるものがありますが、先週結党した立憲民主党は旧民主党・民進党の粗雑物(前原党首的なものに代表される)が削ぎ落とされた分、引き続き投票しやすくなったとも言えます。

このような状況の中、我々は政治に対しどのような構えを持てばよいのでしょうか。
自分は「政治に期待しない」という構えと、「政治に要求はする」という構えの両方が必要だと考えます。
パイが拡大しない時代においては、政治は利益分配ではなく負担分配に傾きがちです。
このような時世では、政治に期待しても裏切られ続けることは明確。
小泉政権に期待して裏切られ、鳩山民主党に期待して裏切られ、安倍政権に期待して裏切られ、裏切られ続けているのがここ十数年の政治の現実。
小選挙区制の下で、都度小泉チルドレン、民主党のぽっと出議員、安倍チルドレンの如き、数合わせのためだけの理念なき議員が多数を占める状況も、期待を裏切る大きな要素です。

社会を生きるのは我々自身なので、たかが政治の如きものに期待しても仕方がないという構えは重要です。
一方で政治に要求することをやめてはいけません。
我々が政治への要求をやめた時点で、政治が勝手な振舞いを続けるということは、現政権の行いを見るに明らか。
自分が政治に要求したいことはただ1点、我々が「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」ことです。
原発問題も北朝鮮問題も財政問題も、この現行憲法前文にある語句を脅かすに十分な課題です。
政治家の皆様に於かれては、この課題を解決し「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」ために最大限の努力を以て取り組んで頂きたい。
逆に有権者はこれ以上の過度の期待を政治に対して持つべきではない。
こんなことを考えながら、今回も投票に行こうと思っています。

 

 

※ハッシュタグを追加しました(10/14追記)