三嶋大社初詣の続きです。
こちらの続きです。
拝殿の左の方にお社があります。
ここも、すごいエネルギーで体が寒さで震えそうです。
看板をみると、
【若宮神社
古くは八幡宮・若宮八幡宮又は、若宮社等と呼ばれた。
御祭神は物忌奈乃命(三嶋大神の御子神)誉田別命(応神天皇)・神功皇后・妃大神を祀る社である。
例祭は八月十五日で御本社大祭の前日に行われる】
『御祭神は物忌奈乃命(三嶋大神の御子神)』
の『物忌奈乃命』はこう読みますかね、『ものいみなのみこと』
お名前から察するに、この方も神の言葉がわかったように感じます。
こちらで降りてきた言葉は、そう大したことではありません。
拝殿脇の祓所で、次回の昇殿祈祷を受ける方がお祓いを受けているところで降りてきたのです。
▽若宮神社
一緒に唱えよ。
ここで手を合わせておけ。
(隣ではご祈祷の前にお祓いを受けています。
ここで祝詞をあげます。
「ご低頭ください」という言葉が聞こえてきました。
その時、体からスーッと何かが出ていったように感じました)
行ってよいぞ。
見回すと、
後ろの方に、小さなお社がいくつかあります。
ここもエネルギーの強いお社です。
(この社もエネルギーが強く寒いです。
女神のような雰囲気を醸していました)
よいことを教えてやろう。
生き残る者はこの先、道が開けてくる。
政府の言うことに従うなかれ。
(ここで人が来て聞こえなくなりました)
ここで、看板が目に留まりましたので読んでみました。
看板には
「若宮神社と同じく御本社ともっとも関係の深い社で摂社と言う。
御祭神は三嶋大神の后神、六柱を祀る」
とあります。
ここの神は女神だったようです。
【后】この字は重要です。天皇とか王の正室のことを意味する漢字です。
后神=皇后の神
でしょうね。
ここで三嶋大神が天皇であったことがうかがえます。
私の物語では三嶋大神は天村雲命ですから、第2代綏靖天皇になります。
(詳しくは本を見てね!)
【見目神社】はウキペディアによると、このような神々のようです。
祭神:波布比売命、久爾都比咩命、伊賀牟比咩命、佐伎多麻比咩命、伊波乃比咩命、優波夷命 - 三嶋神の后神6柱。総称して「見目6柱」とも
再び言葉を降ろそうとしたところで、またもや参拝者で聞こえません。
なかなか、ここの神は警戒心が強い神のようです。
今の尊き者よ、団結して立ち上がるとよい。
かの者たちは、もはや虫の息。
エネルギーを抜いて行け。
そなたの力でよい。
エネルギーを抜いて行け。
体に入れた毒を解毒してたもう。
神の意識を感じる者にその力を与えて進ぜよう。
生き残る者に命を与えたもう。
あら、予想に反してすごい言葉が降りてきました。
奴らのエネルギーを抜いていけ…と。
さらに左側には五柱があります。
ここはそれほど寒さを感じません。
言葉は降りてきませんでした。
言うことは以上である。
末社
東五社
舞殿の東方に鎮座し次の5社を祀る。祭神はいずれも不詳。
大楠社 - 例祭は3月15日、11月15日。
天神社 - 三嶋神御子神か。
聖神社
第三社 - 三嶋神御子神。
幸神社
辛神=韓神で、こちらも古事記に出てくる大年神と伊怒比売の子です。
先ほどの拝殿横のエネルギーと全然違います。
「ここは、また来ないと本当のエネルギーがわからないね!」
と言っていました。
そのあと、反対側にもお社があることがわかりました。
本来の授与所の脇にありますが、この日はテントの裏側でそこに行きつくのも一苦労でした。
▽船寄社、飯神社、酒神社、第二社、小楠社
いつか人の波の過ぎも去ってゆく。
その時、そなたたちの衣食住は確保しておく。
何も心配せずとも好い。
明るい未来を作れるよう、手はずは整っている。
生きていたいだけ、生きれる世となる。
調べてみると、このような神々です(ウキペディアより)。
西五社
舞殿の西方に鎮座し次の5社を祀る。東五社同様、祭神は不詳。
船寄社
飯神社 - 三嶋神御子神[58]。例祭は1月1日。
酒神社 - 三嶋神御子神[58]。例祭は1月3日。
第二社 - 三嶋神御子神[58]。
小楠社
酒神社はコノハナサクヤヒメじゃないですかね?お父さんは大山祇神ですよ。
門を出たところに神馬の神馬舎があります。
ここはもう、下界のエネルギーです。あの神気はありません。
途端にエネルギーが変わります。
参拝者が多くてなかなか写真を撮るのも大変でした。
八坂さんには降りてきたようですが、私には言葉は降りてきませんでした。
神馬舎の奥にあった神の名が気になりました。
下の方が鴨居に引っかかっていてよく見えませんが、「奉鎮祭」の下に神の名前があります。
調べてみると、棟上式の時のお札のようです。
右が『屋船 久久能知神・手置帆負神』左が『屋船 豊受姫神・彦狭知命』と思われます。
ククノチ(クグノチとも)は、日本神話に登場する木の神である。『古事記』では久久能智神、『日本書紀』では句句廼馳と表記する。
『延喜式』「祝詞」には屋船久久遅命(やふねくくのちのみこと)の名が見え上棟式の祭神の一柱とされる他、ククノチと同神と見られる。
彦狭知命のウキペディアにこうあります。
『日本書紀』巻第二の神代下第九段の第二の一書で父の手置帆負神と共に登場し、作盾者(たてぬい)としたことが記される。『古語拾遺』の神代段でも父と共に登場し、天御量を使って大小の峡谷の木を伐採して瑞殿を造営し、御笠・矛・盾を制作したとされる。同書の神武天皇段にも再び父と共に登場し、太玉命の孫・天富命に率いられて山から木を伐採して、神武天皇の正殿を造営した。
『天富命』は以前、品川神社のご祭神を探っていたところで出てきました。
神武天皇の正殿を立てた後、使命を帯びて阿波国の開発を進め、その後南房総の開発をしました。
『天富命』のおばあさんを祭った神社が南房総にある洲崎明神でそこから招いた神を祭ったのが品川神社の『天比理乃咩命』でした。
ということで棟上式の神々だったんですね。
『屋船 久久能知神・手置帆負神』
『屋船 豊受姫神・彦狭知命』
道の向こう側に伊豆魂神社というのもあったので、行ってみましたが、言葉は降りてきませんでした。
八坂さんと、「ここだよ!ここから変わる!」と目に見えない結界を感じられる神社でした。
人がいなければ、隣の三嶋大社の境内も、結界の堺をはっきり感じたと思います。
その結界の先には、鹿がいました。往きに見つけた鹿たちです。
神鹿園
DEER INFO こちらのサイトによると、
「この神鹿は、大正時代に奈良県の春日大社から譲り受けた神鹿の子孫です。」
とありました。
ご祭神の『積羽八重事代主神』から、つながりのある春日大社の神鹿を譲り受けたのでしょうか。
往きに鳥居をくぐったところに池があり、そこに神社がありましたから、そちらへ向かうことにしました。一方通行ですから、一旦、鳥居の方まで戻らなければなりません。
厳島神社。ここも人が多くて言葉がよく聞こえません。
社の裏側で言葉を降ろします。
▽厳島神社
急ぎません。聞いてください。
せっかくいらしたのですから、ここでしばらくゆっくりしていってください。
さして、言うこともありませんが、この先のことを思うと憂いてきます。
人々の行いは死への道を急がせます。
そなたのように神々の言葉がわかるようなら、それに気づきましょうに。
これ以上の言葉は降りてきませんでした。
途中にひっそりと、祓戸神社がありましたが、特に言葉は降りてきませんでした。
奥にお社があります。
お参りの順序が逆になりまして、申し訳ありませんでした。
神社は混み混みですから、駅に戻って、どこかのお店に入ろうか?と八坂さんと話しました。
しかし、新年あけた4日ではどこも閉まっていて、あ~ぁ。
ならば、ホームで売っていた鯵寿司でも買って東京へ帰ろうか、と話ていたのに…ですよ。
駅へ着くなり、帰りの新幹線がホームにいることに気が付き、走りに走りましたから、鯵寿司も買えませんでした。あ~ぁ。帰りの新幹線は予想以上に激混みでした!
若宮神社の『物忌奈乃命』が気になったので調べてみました。
↓こちらにつづく。