お出かけの前にやっていたことは、

品川神社の御祭神調べでした。

『天比理乃咩命』ってどなたかな?と思ったのです。

 

品川神社のホームページより、

ご祭神の『天比理乃咩命』

・天太玉命(天岩戸の神話に登場する神様)の后神

・安房国の洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座 洲崎神社)の神

 

 

天太玉命の后神ということで、『天太玉命』神は天皇だったようです。

『后』を使うときは天皇の正妻に用いることが多いように思います。

 

『天太玉命』=欠史八代の天皇のうちの一人  ではないかと思います。

因みに、欠史八代の天皇は私の物語ではシャッフルされていますので、順番が違います。

 

千葉県館山市にあります洲崎神社を調べてみます。

ウキペディアによれば、

『天比理咩命』と『天比理咩命(あめのひりとめのみこと)』と両方の記載があるようです。刀→乃

「元来正史にある天比理刀咩命と記すべきものを神名帳が誤って「刀」を「乃」と記載した為だとする説」があるのだそうです。

創建

大同2年(807年)の『古語拾遺』によれば、神武天皇元年に神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸し、そこを開拓した。

その後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸したとされている。宝暦3年(1753年)に成立した洲崎神社の社伝『洲崎大明神由緒旧記』によれば、神武天皇の治世、天富命祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが洲崎神社の始まりであるという。

 

天比理乃咩命は『鏡』を持っていたのですよ。

庶民はこの時代に鏡は持っていないと思います。

アマテラス=鏡 の時代ですから、天比理乃咩命天皇の皇后だった可能性が高そうです。

 

 

 

さて、

天富命阿波国を開拓し、そこから阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸し開発したようです。

 

その後、天富命が祖母神の天比理乃咩命が持っていたを神体として洲崎神社を創建したのですね。

 

 

阿波国とか忌部氏とかどこかで聞いたことのある話です。

大歳御祖神社のところに出てきた大山祇神の話によく似ております。

この時の大山祇神は、年の神の孫の『天村雲命』でした。

 

 

 

 

品川神社のホームページによれば、

「天太玉命(天岩戸の神話に登場する神様)の后神」ということですから、天富命のおじいさんが『天太玉命』天皇

だということですね。

 

『天太玉命』を調べてみます。

フトダマ天太玉命 -ウキペディア-

 

フトダマは、日本神話に登場する神。『古事記』では布刀玉命、『日本書紀』では太玉命、『古語拾遺』では天太玉命(あめのふとだまのみこと)、『新撰姓氏録』では天櫛玉命(あめのくしたまのみこと)と表記する。

忌部氏(後に斎部氏)の祖の一柱とされる。

 

『天太玉命』=『天櫛玉命』らしいですね。

 

『天櫛玉命』これを調べてみます。

「玄松子の記憶」さんを参考にせていただきますと、

鴨県主等の祖。御子神に天櫛耳命

・伊勢国風土記逸文に「伊勢と云うは、伊賀の穴志の社に坐す神、出雲の神の子出雲建の子の命、 又の名は伊勢都彦の神、又の名櫛玉命、此の神、昔、石もて城を造り、 其の地に坐しき。ここに阿倍志彦の神、来り奪えど勝たずして還り却りき。因りて名を為しき」とある。同神か。

 

『櫛玉命神社』というのもありましたので、これをみます。-ウキペディア-

櫛玉命神社(くしたまのみことじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村にある神社である。

櫛玉命は、別名を天照国照彦火明櫛玉饒速日命とも伊勢津彦とも言い、前者は物部氏の祖神とされている。

 

 

1.説『天照国照彦火明櫛玉饒速日命』=年の神です。→物部氏の祖神 

【年の神は私の物語では、第八第孝元天皇になります】

 

2.説『伊勢津彦』

­【私の物語では 『伊勢津彦』=建御名方(たけみなかた)命→諏訪大社の御祭神でした】

 

 

『櫛玉命』どうやら複数の神がこの名前を使っているかもです。

忌部氏とつながらなくなったので、ここでは違うかな?

 

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