やっぱり正月は寅さん。
車寅次郎が帰ってきた。
昭和の定番正月映画「男はつらいよ」が復活した。
渥美清の遺作となった49作目から22年ぶり、
1作目から数えて50年、50作目となる
「男はつらいよ お帰り 寅さん」。
早速、観てきた。
 
渥美清は4Kデジタル技術でよみがえった。
かつて映画俳優は「銀幕のスター」と呼ばれたものだが
50年前の姿が、大スクリーンで鮮やかに再現される。
映画スターならではの特権だ。
倍賞千恵子、前田吟、佐藤蛾次郎、浅丘ルリ子、
後藤久美子、夏木マリ親子、美保純、
寅さんファミリー総出演。
ストーリーはと言えば、吉岡秀隆演ずる満男のその後。
ということになるが、シリーズも平成に入るころには
実質的主人公はすでに満男に移っていたので違和感は
なかった。
それだけに過去の寅さんシーンの挿入回数
はいささか多すぎた感がある。
山田洋次監督の寅さん愛が強すぎたのだろうか。
今を生きる「吉岡寅さん」を全面に出しても
良かったように思う。

「男はつらいよ」は渥美清と山田洋次なくしては
生まれなかった映画であることには間違いない。
第1作の封切り前年、赤坂の料理旅館「天城」で
二人は初めて対面した。
そこで飛び出したのが、
「結構毛だらけ猫灰だらけ・・・」
「四谷、赤坂、麹町、ちゃらちゃら流れる、御茶ノ水・・・・」
「四角四面は豆腐屋の娘。色は白いが水臭い・・・」
「ヤケのやんぱち日焼けのなすび。・・・・」
尋常高等小学校卒業後、町工場で働くが2、3年で退職。
上野で本物の香具師やアウトローであった渥美清と
東大出の山田洋次。
山田洋次にしてみれば、今まで出会ったことの
ない人種であっただろう。
彼は渥美清を車寅次郎に重ね合わせ、初対面から
一週間後に本作のプロットが出来上がっていたという。
渥美清亡き後、生みの親たる山田監督が好きにすればいい。
この映画に批評は不要なのだ。
 
バブル期を跨いだ昭和末期から平成初期に掛けて、
僕は毎年「男はつらいよ」正月興行を幼なじみの
女友達と一緒に観ていた。
片方に恋人がいる時でもいない時でも、
僕たちの正月定番行事はお互いが
結婚する直前まで続いた。
当時はシネコンなどない。
松竹館は「釣りバカ日誌」と2本立て。
お昼に待ち合わせ。
長期戦に備えパンや寿司を買い込んで劇場に持ち込み
食事をしながら映画鑑賞。終われば喫茶店で
夜まで語り合い、笑い合った。
仕事のこと、家族のこと、友人のこと、
そして恋愛のこと。
 
僕たちの間に恋愛感情はなかったが、
寅さんが素敵なマドンナと失恋するのを目の当たりに
するたび、自分自身の感情がわからなくなることもしばしばあった。
 
彼女と観た最後の寅さんには寺尾聡が出ていた記憶が
ある。
今、検索すると第43作目みたいだ。
観終えた後、いつもの喫茶店に入るや、
不思議なことだが同時に
「実は・・・結婚するかも」と言い合った。
 
一緒に「マジかあ」!
 
「じゃあふたりで観る寅さんもこれで最後だね」
と笑い合った。
窓から見る空は雲ひとつない快晴だった。

昨年、秋晴れの日。
 
ジョギングから帰ると届いていたのは彼女の訃報。
 
一瞬でいい。
4Kデジタル技術であの時の彼女を見たい。
アヴイ・ロード(ABBEY ROAD)発表50周年2CDエディションを
遅ればせながら購入した。
 
開封直後にカーステで聞いただけで違いがわかるほど音質が良い。
レコード盤、CD、そして今回の2CDと何度買わされても損した気分
にならない。
さすがはビートルズ最高傑作との評価の高いアルバム
だけのことはある。
しかしだ。この最高傑作にはビートルズ史上最大の「蛇足」
が存在している。

ハーマジェスティー(Her Majesty)。
1969年(昭和44年)彼ら最後の制作アルバム
「アヴイ・ロード」B面のラスト11曲目に収録されたわずか23秒の
ナンバー。
 
彼らの特長であるコーラスが最大限に活用された黄金のB面。
最後を飾る文字通り「ジ・エンド」(The End)が
リンゴのドラムを皮切りにジョン、ポール、ジョージのきらびやかな
ギター共演で見事終了。。。。。
終わったかに見えたところに(20秒の沈黙のあと)
「蛇足」が始まる。
 
ジャーン。
ジングルが鳴り響き、「何が始まるのか」期待させながら、
たった23秒のポール・マッカートニーの
アコースティックギター弾き語りが展開され、ラスト1音
を待たずしてギター音がブツ切れ。
かくてこのアルバムは終了するのである。
 
なんてふざけた連中なのだろうか。
しかも歌詞の内容は
「女王陛下は可愛くて素敵な女の子。たくさんのワインを用意
しないとものにできないんだ」。
 
常に体制をシニカルに見つめ、笑い飛ばしていたビートルズの最後っ屁。
完璧な芸術作品を「蛇足」でブチ壊したのは彼らの
「照れ隠し」なのか?
 
龍は神格化された「足のある蛇」である。
ハーマジェスティーは「蛇足」ではなく作品の「画龍点睛」
だったのでは。
と東洋的感想に落ち着く。
 
50周年2CDエディションにはハーマジェスティー、ギター最後
の一音がしっかり刻まれていた。
 
 
VWビートルは2019年7月10日に生産終了。9月25日に63台が最後の日本上陸を果たす。
この自動車史に残る世界的名車は生産累計2,000万台を超えたという。
言うまでもないがVW(フォルクスワーゲン)ビートルは20世紀最高の自動車エンジニアと言われるボヘミア出身のフェルデイナント・ポルシェ博士と第三帝国アドルフ・ヒトラー総統によって産み出されたドイツ国民車だ。
ダイムラーベンツのエンジニアであったポルシェ博士は自身の夢
 
1)一般市民が保有する大衆自動車の開発
2)最先端の技術を搭載するスポーツカーの開発
 
を実現するためダイムラーを辞し、1931年個人事務所を開設。
1)と共通の政策を掲げる強力無比のパトロン
アドルフ・ヒトラーの庇護のもとドイツ国民車の開発に着手した。
1938年、「かぶと虫」に似た流線形、空冷リアエンジン
フォルクスワーゲン・タイプ1試作車44台が完成した。
ビートルである。
 
しかしこの44台は市民を乗せることなく
ドイツ陸軍に没収された。
1939年(昭和14年)9月1日に勃発した第二次世界大戦のためだった。
タイプ1、ビートルは量産されぬまま1945年第三帝国は敗れ、ポルシェ博士は戦争犯罪人として収容。
いったんビートルは命尽きるが、当時これほど完成された廉価
自家用車など世界中に存在しなかった。
 
第二次大戦終了後、英国将校アイヴァン・ハーストはビートルに目を付け復活プロジェクトを立ち上げる。
1946年にはすでに1万台が生産。
1949年にはアメリカへの輸出を果たすまでに至るのである。
 
昭和の時代、日本でビートルと言えば少し背伸びすれば
手が届く若者の憧れの輸入車入門マシンであった。
(画像は短期間、我が家にいた2代目ビートル)
 
出版社に勤め、いつもトレンド情報を届けてくれる
6学年ほど年上の従弟は当時僕の憧れであった。

昭和52、3年頃だろうか、ウエスタンブーツ、サーファーカット、
ヒゲを蓄えた彼が真っ赤な初代ビートルで我が家に現れた。

「オッス。近くに来たから寄ったよ!」
 
「ヒロにいちゃん、久しぶり。どうしたのこのワーゲン(ビートル)」
 
僕は玄関に出迎えた。
 
日焼けした顔から真っ白な歯がキラリ。
 
「最近買ったからお前に見せびらかそうと思ってな」
 
すると突然、助手席から人が降りた。
小林麻美そっくりな細身の長い髪のクールな美人。
 
「こちら●●さん」
 
キレイな大人の女性を目の当たりにして大学受験前の禁欲生活を
している僕にはとても眩しかった。
 
ブーツ、サーファーカット、ヒゲ、ビートル、そして長い髪の美人。
どれを取っても垂涎のアイテムであった。
 
振り返って思う。
彼が本当に自慢したかったのはビートルだったのか彼女だったのか。
今度聞いてみることにしよう。
 
その後、彼はビートルを手放したが彼女は手放さずに結婚した。

とある有力な情報源によれば7月の参議院選挙は衆議院とのダブル選になるとのこと。

 

日経平均株価は2万円割れした昨年末の危機をFRB利上げ延期によりNY市場の回復によって何とか救われた。今は21千円台を回復してはいるが、中国の減速から景気後退観測が囁かれている。

 

消費税アップ対策を盛り込んで膨れ上がった2019年度予算案はこの32日に衆院を可決したため3月末までの成立が確定したものの、

 

 安倍さんはホントに今年の10月、消費税を10%に上げるつもりだろうか。

 

僕は5割の確率でドタキャンする。

 

と思っている。

 

まず、消費者物価指数(CPI)は目標値の2%に届いていない。

 

1.6倍を超える有効求人倍率の高値安定により最低賃金は上昇しているが、消費者は長期デフレに慣れてしまい価格上昇に敏感になっている。

 

今年は「働き方改革」なる残業時間上限制限のため日本の全従業員の残業代が5兆円規模で喪失。可処分所得が激減するとされている。

 

そして問題は上げた後だ。

前回20144月の5%から8%へのアップ時、「アベノミクス」の究極兵器「日銀総裁・黒田バズーカ砲」により国債が日銀に直接買い取られた結果、お金がばら撒かれて上向いていた景気であったが、施行直後は消費不振に襲われ同年46月はマイナス年率6.8%と大きく落ち込んでしまった。

それに耐えうるだけの体力が今の日本にあるのか。

 

2019年度予算案にはさまざまな軽減税率が施され消費への影響を最低限にとどめるとしているが「10%=1割」という刻みは誰もが計算しやすく300万円のマイカー購入なら30万円が上乗せされることがすぐに分かる。つまり購入にブレーキがかかりやすい。

 

またオリンピックによる公共事業は2019年度で終了する。

企業側も今年5月の改元でのシステム投資直後、さらに消費税率変更での投資を行なわなければならない物理的精神的負担は大きい。

 

ホントに消費税を10%に上げられるのか。

 

安倍内閣はリーマン級の景気後退があった場合、201910月の消費税アップを行わないと宣言しているが。。。

 

そこで冒頭の情報が事実ならば、安倍さんは消費税アップのドタキャンを目論んでいるのではないか。

反対に言えば増税を止めたら選挙に勝てる。もし、ふたたび株価が2万円を割る、あるいはGDPがマイナスになる。などの悪い経済指標が出たとき、安倍さんは2%アップを撤回するのではないかと思うのである。

 

安倍総理の胸中を「忖度」しよう。

 

・・・・

俺はもともと官僚が好きではない。

1次内閣の時はあからさまに表に出したら、意地悪され体調まで崩してしまった。

2回目は失敗したくない。

今度は官僚の言うことを聞くふりをしながら俺のやりたい方針を貫いてやろう。

 

「外務省を無視して2島返還論でプーチンと交渉してやった」

「財務省を無視して消費税を2度も延期してやった」

 

するとどうしたことか。

モリカケ問題や統計問題など行政内部から次々と出るはずのない情報が洩れてくる。

 

おかしい。またしても俺の行く手を阻むつもりだろうか。

 

この消費増税も国会で可決したのは20126月の旧民主党野田政権だ。

自民党も賛成したがその時の総裁は谷垣さん。決して俺ではない。

俺でさえ全部説明できない軽減税率を国民が理解できるはずがない。

できれば消費税は上げたくない。

しかし、上げなければ財務省から俺は総攻撃を受ける。

それを抑えるには国民からの支持だ。

 

総選挙しかない。

 

増税を止める悪いキッカケが欲しい。。。

・・・・

 

ざっとこんなところではないだろうか。

 

実は消費税アップは閣議決定だけで意外と簡単にやめることができるのだ。

 

ただし消費税対策がふんだんに入っている2019年度予算が成立する3月末までは口が裂けても言えない。

 

宣言するとすればその後だろう。

 

スケジュールはこうなる。

 

改元というビッグイベントも控えており、

 

3月末   2019年度予算成立

41日  新元号発表

51日  新天皇即位。改元。

 

この後に

 

「消費税アップ延期」を発表。

 

国会会期は6月末までなので、つづけさま

 

「衆議院を解散」

 

7月    衆参ダブル選

 

これなら勝つだろう。

 

消費税アップ延期と衆参ダブル選は一体だ。

 

あり得る。

 

消費税アップ ドタキャン。

 

「日々是好日」を観た。樹木希林の遺作である。

映画で重要なのは「ストーリー」と「テリング」の2大要素。

 

ストーリーは言うまでもなく物語そのもの。原作や企画がそれにあたり、

テリングとは脚本、映像や音楽、役者の演技、編集力などで感情を伝える行為である。

 

落語で言えば「演目」と「咄家」の関係に近い。

 

僕は以前から、というか「寺内貫太郎一家」の頃から樹木希林という役者は希代の狂言回しだと思っていた。この遺作においても十八番の役どころを見事演じ切っていた。

 

時にふざけて、時に寂しく、時に恐く、時に優しく、彼女の口から物語の変化や結末の意味が語られると妙な説得力や納得感が生まれるのが不思議である。

 

国内の映画マーケットは一時の漸次縮小傾向から脱却しつつあるものの、テレビドラマよりはマシだが映画もキャスティングが先行し、結局は「誰が出るのか」で安易に作られている傾向が強い。

 

正直言えばこの「日々是好日」も黒木華、多部未華子に樹木希林が出演したという以外、ストーリーも抑揚がなく平坦な上、テリングにも何の工夫がなく、どこで盛り上がったのかどんなオチがあったのか良く分からなかった。

 

ただイオンシネマというやつは有難い。55歳からシニア割引が適用されて1,100円である。1,100円ならば満足だ。

 

対価として1,700円でも安いと感じたのはカメ止めこと「カメラを止めるな」であった。僕はこの作品に足を運んだのはメディア等で面白いと話題になってから。

 

映画で損をしない方法は前評判ではなく後評判を確認してから劇場に足を運ぶことだ。前評判は作り手側とそれを取り巻く評論家やメディアから発信される情報なので「プロモーション」である。試写会でのシロウト評価も信用できない。何せ「タダで入場」しているのだ。

 

その意味では試写会なんてしてもらえないインディーズの極みみたいな作品「カメラを止めるな」は「お金を払って」映画館に足を運んだ人たちによる後評判がSNSを中心とした口コミから拡散されてヒットしている点で「後出し入場」はより確実な策であった。

「カメラを止めるな」は「始め」「中間」「終わり」と基本に忠実な「3幕構成」を貫いている。その上、ストーリーは奇想天外でテリングも抜群。

一番痛快なのは日本映画界をあざ笑うかのようなキャスティング“ゼロ”でこの結果を生んだ。ということである。

 

「やればできるじゃない」

 

日本映画界の底力にあっぱれ。

 

「日々是好日」を観て思ったのは黒木華の起用法。

 

彼女は主役というよりバイプレーヤーに向いている役者だと思う。

 

僕が映画のプロデューサーなら思い切って彼女を重要な、狂言回しの役柄につけるだろう。

 

樹木希林の後を襲うポジションを狙えるのではないか。彼女のファンから総スカンをくらうのは覚悟の上での提言だ。

ブルーノ・マーズ4月来日が話題を呼んでいたところ、本家の「ブルーノ」である
プロレスラー、ブルーノ・サンマルチノの訃報が飛び込んできた。享年82歳。
 
ブルーノ・マーズ(本名ピーター・ジーン・フェルナンデス)は幼少の頃、サンマルチノに似ていたので父親から「ブルーノ」という愛称で呼ばれたことに由来する。
そしてサンマルチノに与えられたニックネームが
 
「人間発電所」
 
(写真は別冊ゴング昭和46年11月号)
昭和のプロレスラーはプロモーターやメディアが宣伝のため何らかの異名を付けて売り出すことが多かったが、この「人間発電所」こそスケールといいイメージの拡散性といい彼のエネルギーとパワーにピッタリのネーミング。
「プロレス ニックネーム大賞」受賞作と言っても過言ではないだろう。
 
またの名を
 
「MSGの帝王」
 
彼は人気商売のプロレスラー稼業でありながら
 
1963年から1971年の8年間 第一次黄金時代
1974年から1977年の3年間 第二次黄金時代
 
何と都合11年間に渡って22,000人収容のマジソンスクエアガーデン(MSG)のメインイベンターを勤め続けた。
 
こんなトップレスラーは皆無である。
 
1962年、全米を席巻。配給収入記録を更新していた映画「ウエストサイド物語」の大ヒットを横目でみながら、何か参考にできるものはないかと真剣に考えているプロレス興行師がいた。
ニューヨーク・MSGの興行権を持つプロモーター、ビンス・マクマホンである。
 
ウエストサイド物語
シェークスピアの「ロミオとジュリエット」を1950年代後半、当時のアメリカに置き換えて
20世紀を代表する作曲家レナード・バーンスタインの名曲に彩られたミュージカル。
ブロードウェイでの爆発的人気を経て監督ロバート・ワイズによってハリウッド映画となり世界中でヒットした。

ウエストサイドと呼ばれるニューヨークの下町を舞台にプアホワイトのイタリア系、ポーランド系白人ジェット団とプエルトリコ系シャーク団という不良少年グループが対峙していた。
シャーク団リーダーの妹がジェット団の元リーダーに恋をしてしまう。。。。

根底にあるのは新造移民国家アメリカの人種問題。
すなわち旧移民WASP※と新移民のイタリア系、ポーランドと始めとするスラブ系白人。
その後に移民してきたプエルトリコやヒスパニア系。
さらに奴隷であったブラックアフリカ系。

「これだ!」
 
マクマホンは閃いた。彼は手持ちのナンバーワンレスラー、バディ・ロジャースの人気の衰えを敏感に感じ取っていた。
 
「プアホワイトが主人公の映画がここまで観客を動員できるなら、やってみる価値はあるかも知れない・・・」
 
英語も満足に話せないがベンチプレス200㎏超。怪力無双。
どんな人種が観ても分かりやすい直線的ファイトをするひとりのイタリア系若手レスラーに目を付けた。
 
 
ブルーノ・サンマルチノ
 
である。
 
1963年(昭和38年)5月17日 MSGメインイベント WWWF(現WWE)世界ヘビー級タイトルマッチ
王者バディ・ロジャースvs挑戦者 ブルーノ・サンマルチノの一戦。
 
サンマルチノ必殺のバックブリーカーが炸裂。わずか48秒で勝利。
 
電撃的戴冠式が2万人の面前で行われた。
観客は熱狂した。
新しいヒーローがここに誕生したのだ。
以来、通算11年MSGの帝王を務める。
 
ウイキで調べると
ブルーノ・マースの父親はニューヨーク・ブルックリン出身のプエルトリコ人とスラブ系ユダヤ人のハーフ。
 
なるほど。
 
典型的なブルーカラー層であり、サンマルチノどストライク支持層である。
 
時代のヒーローにあやかり我が子をネーミングする。-Sa
 
父親の気持ちは本当に良くわかる。
 
※WASP  White Anglo-Saxon Protestant  新大陸最初の入植者
寺内貫太郎が還ってきた。BS12トゥエルビ火曜~金曜20時にあの昭和の頑固で亭主関白な親父がそこにいる。
 
先日亡くなった星野仙一。
自身が生まれる前に父親が逝ってしまった彼は理想の父親像を追い求めた。
「せっかち」「堪え性のない」「癇癪持ち」の性分で時折「手が出る」がそれでいて「情深い」。
彼こそ実在した最後の「昭和の親父」だったのかも知れない。もうすぐ終わりを遂げる平成の今日、もはやこんな親父は絶滅危惧種だ。
 
「寺内貫太郎一家」は高度成長期が終わった直後の昭和49年、TBSでオンエアされたホームドラマだが、この時代ですらもはや消えゆく存在であった「昭和の頑固親父」を追い求めた人間がいた。
 
原作者の向田邦子である。
彼女は能登半島東岸にある能登島出身で生命保険会社に勤める父親と東京下町出身の母親との間で昭和4年に生を受ける。
父親は典型的な家庭のことを顧みない仕事人間であった。毎晩部下を家に連れてくる。燗酒が遅れると「遅い!何やってるんだ」と母親や子供たちを怒鳴る。時には手を上げた。黙って仕事を続ける母親と子供たち。
 
あるとき幼少だった弟のために庭に大きな池を作ったことがあった。
コンクリートで固めた池に弟が転落して大きなケガを負った。
懲りた父親はその日をうちに池を埋め立てたという。
このエピソードは後の寺内貫太郎一家で父親の不注意で生涯のケガを背負った長女静江に受け継がれる。
彼女は昭和2~30年代の近過去に思い入れが深く、消滅しつつあった家族団らんの食事シーンには徹底的にこだわった。
 
テーブルではなく「ちゃぶ台」での食事。
 
セリフには
おにぎりではなく「おむすび」
みそ汁ではなく「おみおつけ」
カレーライスではなく「ライスカレー」。
ただし家族関係、人間関係において女流作家ならではの繊細な表現で現代にも通ずる不変の黄金律を描いている。
 
寺内家は7人家族。
母親のきん、石材店を営む主人公の貫太郎とその妻・里子、長女・静江と長男・周平。
これに住み込みのお手伝いさん・ミヨ子。
それに従業員・岩さん、タメ。
 
夫婦間(貫太郎と里子)
親子間(きんと貫太郎、貫太郎と娘の静江、息子の周平)
兄弟間(静江と周平)
嫁姑間(きんと静子)
上司部下間(貫太郎と岩さんやタメ)
上司と年上の部下間(貫太郎と岩さん)
 
この関係において向田邦子はすべての解を面白おかしく劇中で示している。

家族関係に行き詰まったら是非この「寺内貫太郎一家」を観ることをおすすめしたい。
今日こんな家族はあり得るだろうか?
 
きんは有料老人ホームに入っているし、学のある山の手出身の里子は専業主婦でなく外資系企業あたりで働いているだろう。
バツイチ子持ちとうことで親に交際を反対されている静江だが、今なら何の障害にもならないのでとっくに結婚している。当然ながら17歳の住み込みのお手伝いさんなんているわけがない。せいぜい通いで年配の家政婦さんを雇うくらいであろう。
 
貫太郎は嘆く。
 
「便所と言えば臭くなトイレと言えば臭くないのか」!
「どこの国で便所を外国語で言う国があるのか」!
 
スカッとするセリフではないか。
 
 
時代が大きく変わった。
 
向田邦子が生きていたら今どんなシナリオを描くだろうか。
女性政治家はダメなのか。
文春砲がまたも炸裂した。
山尾志桜里。
一体どうなっているのだろうか。女性議員。
出るわ出るわ。
稲田朋美
豊田真由子
上西小百合
今井絵理子
 
少し前なら
 
中川郁子  
谷亮子
畑恵
橋本聖子
佐藤ゆかり
田中実絵子
 
何故、女性議員はダメなのだろうか。
 
答えは簡単。
彼女達をスカウトしているのがオトコだからである。

10年近く前、
僕が何気に「さとう珠緒ってカワイイね」とつぶやいた瞬間、オフィスの女性スタッフが反応した。
 
「ダマされては行けませんよ」
「ええ!何のこと?」
女性スタッフ曰く、オトコたらしなのだそう。ああいうタイプはオトコには人気があるがオンナ社会の中では本質が見抜かれ評価がとても低い人物みたいである。
 
が確かにその後の彼女のタレント人生、良いことがない。当たらずしも遠からずと思えてくる。
前述の女性議員たち、異論がろうが皆、比較的カワイイ系で男好きのするタイプばかりである。
本当に能力だけでスカウトされたのかと思いたくもなる。

人類、永遠のテーマ。
「オトコはオンナがわからない」
「オンナはオトコがわからない」
 
つまり女性議員のスカウトは女性に任せるといいのである。
これは会社などの組織一般に当てはまる。
 
はい。これが結論。
 
何人かにこれを言った。
皆「そう。そうなんだよな」
意見が一致した。
 
「だから土井たか子みたいな口うるさい女性政治家が面接すれば良いんだよ」
 
土井たか子。
 
さらに今から遡ること25年ほど前、
僕は社会党某県連会長と話す機会を得た。
時は「おたかブーム」。
平成元年の竹下内閣消費税導入、それに続くリクルート事件発覚直後の参院選で大勝。
「山が動いた」
「やるっきゃない」
などのフレーズで土井たか子は女性初の総理大臣の座に王手をかけた。
ちょうどその頃である。
僕「おたかさんブーム、凄いですねえ。社会党の天下はもうすぐじゃないですか」
社会党某県連会長「ここだけの話、それは無理やね」
僕「えっ」社会党のお偉いさんの言葉だけに驚いた。
 
社会党某県連委員長「皆、土井さんがどんな人か知らんやろな」
 
僕「どんな人なんですか」
 
社会党某県連会長 
「俺がペーペーの県議会議員だった頃、その時の社会党委員長はあの浅沼さん(昭和35年、右翼の少年に刺殺された第3代日本社会党委員長・浅沼
稲次郎)やった。彼が当選挙区に遊説に来た時、俺が運転手をしたんや。
そんとき浅沼さん、「君、いいところに住んでるね。こんなに星ってこんなにキレイんだね」と言って自腹で秘書達と一緒にカツ丼を奢ってくれたんや。
若造からベテラン秘書も一緒。美味かったなあ。クルマを乗り降りするたびに「ありがとう。ありがとう」って。何かホント人柄が良かったなあ」
「それに引き換え、土井さん、先日、この県連事務所に入るなり「暑いわねっ。この事務所。クーラー付けてないの?で、今からどこで 話せばいいの?早く行きましょ!こんな暑い部屋に居たくないわよ」
「こんな人や。笑 これで天下が取れるわけがないわ」
 
その後、10年持たず日本社会党は事実上崩壊した。
 
そういえば、土井たか子も社会党幹部・成田知己(後の第7代日本社会党委員長)にスカウトされたのであった。
 
文春、アッパレ!この出版不況にもかかわらず文春は国内の雑誌発行部数ではトップを快走。「国民的雑誌」はますます存在感を増している。

「週刊文春」は首位(2016年 日本雑誌協会 659,208部)。月刊の「文藝春秋」は5位(同 408,667部)である。
今ドキ「文藝春秋」みたいなA5判400ページを超える分厚い本が平均40万部を超えていることに驚きを禁じ得ない。
 
文藝春秋はあの「父帰る」で有名な作家、菊池寛が大正12年(1923年)自費で始めた同人誌。そのタイトル「文藝春秋」とは意外にも、もともと菊池寛が「新潮」に連載していたコラム名なのであった。
まさか新潮社も身内みたいな作家から後にライバルとなる雑誌が生まれるとは夢にも思わなかったであろう。
 
「文藝」に「春秋」とは何とも格調高い響きだ。春秋とは歴史を意味するが、
日本を代表する芥川賞、直木賞の創設と授与を行っている同社は文字通り日本の文芸の歴史を作ってきたと言える。
 
何せ創刊号からして凄い。
菊池寛
芥川龍之介
今東光
川端康成
横光利一
佐佐木味津三
直木三十二
 
など文学界のレジェンド達が寄稿している。
また「文藝春秋」の代名詞となっている芥川賞。
第1回の受賞者、石川達三、以来、井上靖、五味康佑、松本清張、吉行淳之介、遠藤周作、石原慎太郎、開高健、大江健三郎、田辺聖子、丸谷才一
村上龍など、受賞作は時代を反映する作品であり、後に国民的作家となったお歴々がずらり。
2年前には又吉直樹の「火花」で話題を呼んだ。
 
最近では文春砲などと呼ばれ、政財官学から芸能人まで暴かれる数々のスキャンダルは他のメディアからも常時マークされているが、今に始まったことではない。
過去、「文藝春秋」と弟分「週刊文春」は、現職総理大臣のクビを取り、野球界の超スーパースターを引退させ、完全犯罪を企てたとされながら見過ごされた保険金殺人事件の容疑者を逮捕に追い込んでいる。(その後、無期懲役を経て高裁で無罪との逆転判決が降り、最高裁で確定)
 
圧巻だったのは1993年の細川連立政権樹立であろう。
「文藝春秋」1992年6月号誌上で元熊本県知事・細川護熙が「自由社会連合結党宣言」を発表。
すべてを記憶している訳ではないが、僕は名文だったと思う。

特にラストが
「私はこの論文を発表するにあたり、成功の見通しがあるわけではない。しかし、やがてこの呼びかけに賛同して日本全国から大きなムーブメントが
起こることを確信している」というカッコイイ締めくくり方であった。
バブル経済が破たん。自民党一党独裁政権が
制度疲労を起こしていた折、ドン・キホーテと揶揄されたこの論文が出発点となり、わずか1年後に、
38年続いた自民党から政権を奪うことになるとは誰もが思わなかった。
ところが、、、この論文も細川氏が発売直前、急に気が変わって「やっぱり取りやめにさせて欲しい」と懇願。にもかかわらず文春側はこれを拒否。
最後はやけくそでそのまま全文が掲載されたことが明らかになっている。
 
何となく、その後の細川殿様政権の末路が彷彿とされる。
 
「文春」はよく左派リベラルの代表誌「世界」と対極をなす保守系誌と言われることが多いが、僕、個人的感想としては、自民も共産もなく、従来あまりにも日本のメディア全体が左派系思想に侵されすぎていたことの警鐘を鳴らしていたにすぎず、基本は「悪いものは悪い」「面白いものは面白い」という発想から編集されており、偏向した政治的イデオロギーはないと感じる。
 
さて、10年ほど前のことだ。
僕は仕事で文藝春秋社を訪れ同社女性スタッフと打ち合わせをしていた。
350名の少数精鋭主義で出版界をリードする同社は当然ながら最高レベルの人材が集まり東大卒の社員も多いと聞く。
その女性社員もいかにも聡明でとても論理的な話し方をしていた。
打ち合わせの内容をいちいちメモを取らない。
速記者ごとくすべてメモらないと右から左に内容が抜けていく僕にとっては驚きだった。
 
さすがは文春の社員は違う!
 
打ち合わせが終わった。
僕「では取材日時は●●日の午後2時とうことで」
文春「わかりました。では当日よろしくお願いします」
取材日の数日前、
その女性から電話が掛かってきた。
 
文春「ところで取材時間は何時でしたっけ?すっかり忘れちゃってすみません」
 
僕「!」  コケそうになった。笑
 
そういえば文春もたまには勇み足の記事やお茶目なものもある。
 
こんな人間味のあるところも人気の理由なのかも知れない。
ポール・マッカートニーのライブを観た。4月29日のことだ。
これで3回目。恐らくこれが見納めであろう。
今回はアリーナ席だったっためポールまで約80メートルと過去2回と比べ最接近できた。

観客全員で大合唱の「ヘイ・ジュード」。
全く声は出ていなかったし、音程も怪しかったがそんなことどうでもいい。
ただそこにポールが居てくれればそれでいい。

自他ともに認める20世紀最大の音楽家。
ウォールストリートジャーナルによれば、彼は長らく1位の座を保っていたものの近年はマドンナに抜かれミュージシャン分野で世界2番目の資産家と位置付けられている。
 
純資産額6億6千万ドル。
739億円。
日本の東証1部上場企業の登録基準は純資産10億円以上かつ株式の時価総額が250億円以上であることから考えるとポール・マッカートニーはひとりで「上場企業」に匹敵する。
 
ストックだけではない。キャッシュフローも健在である。
フォーブスによれば2015年世界のミュージシャン年収ランキングでも17位にあたる5,150万ドル。
57億円。ちょっとした中堅企業ぐらいの売上を稼いでいる。
ミュージシャンたる職業。そんじょそこらのマトモな人間がする仕事ではない。
 
フレデイ・マーキュリー。
1981年(昭和56年)、誕生パーティを全米ツアー最中のニューヨークで行うことに決め、ロンドンから親しい友人たちを呼び寄せるため超音速旅客機コンコルドをチャーター。最高級ホテル「バークシャーホテル」スイートを全室借り切った。
そのパーティは何と5日間も続けられた。費用総額は1億円。
すべてフレディが支払ったのは言うまでもない。
 
エルトン・ジョン。
1970年(昭和45年)のデビュー以来、40枚以上のアルバムを発表し、グラミー賞
トニー賞、アカデミー賞を獲得後、1998年にはエリザベス女王から「ナイト」の爵位を授かり、今やサーとなった超大物ミュージシャン。
異常なまでの収集癖があるとされ、とにかく買い物が好き。食器、服、宝石、絵画クルマ、そしてトレードマークのサングラス。ツアー中のオーストラリアでカッコイイ路面電車を見た彼は電鉄会社と即買い物交渉。なんとイギリスまで船便で送って自分の家の庭に飾ったという。
 
キース・ムーン。
ザ・フーの元ドラマーでロック界隋一の変人。
物を壊すことが楽しみという、この素っ頓狂な男は当初、公演中、毎回ドラムセット、ギター、アンプを壊す「程度」で済んでいたが徐々にエスカレート。行く先々のホテルで乱痴気騒ぎと破壊を繰り返し、パトカーや消防車の出動も数え切れず、ほとんどのホテルで出入り禁止となった。
ほんの数十キロ先のパブまで酒を飲みに行くためだけにヘリコプターをチャーター。どうせ暴れるならその前に店ごと買い切ってと、オーナーに手付金を支払った上で大暴れ。ハチャメチャ人生を送った挙句
1978年(昭和53年」)9月、薬物過剰摂取により32歳の若さで逝った。
見事なまでの死にっぷりだった。
 
こんな酔狂伝がほとんどないのがポール・マッカートニー。
動物好きの彼はある時、ロブスターを食べに行ったまでは良かったがいけすにたくさん泳いでいるロブスターを見た瞬間、「かわいそうに」思って水槽ごと買い取り、すべて海にリリースしてやった。というのが僕が知っている唯一の逸話。
 
時に守銭奴と言われる所以か。。。
 
東京ドームでは真ん前に僕と同年代のカップルが。
ハンサムで夏物のジャケットにジーンズで決めたオヤジにミニのワンピースをまとい長い黒髪に大きな瞳の美人女性。
2人で踊りながら、時に抱き合い、語り合いながら楽しそう観ているではないか。
 
余談だが中年カップルを見かけた場合、それが夫婦かそうでないカップルか見分ける方法があるという。
 
友人のホテルマンがそっと教えてくれた。
「中年カップルがフロントに来るとする。そのカップルに会話があるか
どうか。会話がある場合は約7割。さらに2人に「笑顔」が加わればワケ有りカップルの確率は9割以上である」
 
「逆に言えば会話がなく、ましてや笑顔がないのが夫婦というわけか」
 
「その通り」
 
「笑」
 
確かにそうだろう。納得。再笑。
 
というわけで、大盛り上がりのカップルに目を奪われながらライヴを観るしかなかった。
2時間たっぷりとビートルズやウイングス時代のナンバーを聴かせてくれたが改めて思うのは誰もが知っているヒットナンバーの多いこと多いこと。
 
さすが、20世紀最大の音楽家である。
かくてアンコールのゴールデンスランバーが終了。
終わった。これでポールともお別れかあ。。。。
 
しーんとなった東京ドームで僕の前の席の素敵なカップル。
耳をそばだてて2人の会話を聞いた。
 
女性「ねえパパ、今日。子供たちも帰りが遅いみたいからどこかで晩御飯食べてから帰らない?」
男性「うん。電車混むから、水道橋西口あたりの居酒屋にでも行こうか」
すべては聞き取れなかったが2人がお互いを呼ぶ2人称は「パパ」「ママ」だった。
どうやら本物の夫婦らしい。
 
うーん、この公式がはずれるとは。。。
 
ポールの1週間前にドゥービー・ブラザースのライブにも行ったが、そんなカップルは一組もいなかった。
 
そりゃそうだ。

夫婦揃ってドゥービーのファンと夫婦揃ってビートルズ&ポールのファン。1000倍の差があるだろう。
 
そこがビートルズやポール・マッカートニーの大衆性。
誰も及ばない。
ポール大ファンの夫婦がそこに居てもちっともおかしくないのだ。
 
恐るべしポール。
 
こんなことを考えながら東京ドームを後にした。