こんにちは。
『0円引越』プロデューサーの合田英樹です。
【激動の1ヶ月編】⑳ あの引越会社が倒産に至るまで
★タイムリミットを向かえて破産に至るまで⑦
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存続させようとした支社に可能な限り財産を移し、
その間にあった大型作業案件も終わり、
10月に入って奴らの企みを薄々感じながら、いつものように時間は過ぎて行きました。
そしてとうとうその日が来ました。
2008年10月5日の日曜日です。
私は朝から、その日の夕方に渡す【解雇通知書】を各営業所へ分配し、
渡す時間、話しをする内容等、各営業所長と打ち合わせをしていました。
一番大変だったのは、それぞれの営業所長だったと思います。
全ての責任を一身に受けながらの仕事だったのでしょう。
私は日中の早い時間帯に○○社長に伝えておきました。
「今日 解雇通知書を渡した後、19時から大阪本社で最後の説明会をするから出てきてくれ!」
「その時に社長の口から正直に話してやってくれ。」
「わかった。」
前日から行方不明になったいた専務とは違い、
○○社長はそこからは逃げ出すことをしませんでした。
専務の行方は前日からわかりませんでした。
当然のことながら、解雇通知を手渡す日にも会社に来ていません。
最後の最後に…
専務についてはただひとつ、
「それは無いやろ~」
と、みんなが怒り狂ったことがあります。
専務室を構えていた部屋には、
以前から専務の趣味のグッズが多数置いてありました。
色紙、ユニフォーム、本、サイン入りバット、サインボールetc…
それが倒産の当日にはものの見事に無くなっていました。
運び出したと思われる日が解雇通知を渡す10月5日の前々日以前。
10月3日には運び出されていたのでしょう。
最後の最後に、従業員の事を顧みることなく、
自分の私物の心配をされていたなんて…
多くの従業員は突然の倒産を告げられた後、
そのような行動をとった専務に対しての怒りは相当なものでした。
ほとんどの従業員がその怒りを充填した状態で、
大阪本社にて最後の説明会が始まったのです。
参加者は各営業所からのスタッフを入れると70~80名は居たでしょうか。
説明会の議事進行は私が担いました。
しかしこの時ばかりは、説明会の落とし所が見えない状況だったのです。
2008年10月5日(日)
時計は午後7時を指していました。
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今回はここまでです。
読んでくださってありがとうございました。