青い脂(河出書房新社):ウラジーミル・ソローキン | 夜の旅と朝の夢

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【ロシア文学の深みを覗く】
第57回:『青い脂』
青い脂/河出書房新社

¥3,780
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円環的時間。未来の先端が過去と繋がっているという時間観であり、ニーチェの永劫回帰を例に出すまでもなく、多くの人々を魅了してきた概念です。そしてこの【ロシア文学の深みを覗く】も現代作家ソローキンに始まり、中世の『イーゴリ遠征物語』に戻り、そこから現代へと駆け上がって、またソローキンに戻ってきました。円環が閉じたのです。

と、そんな大袈裟な話ではありませんが、よくここまでたどり着けたものです。ホッ。とはいえ、まだ終わりではありません。あとちょっとだけ続きます。

作者のソローキンは以前紹介したように、破壊の限りを尽くす怪物(モンスター)でした。精巧な物語世界を構築しておきながらそれを打ち壊し、小説の暗黙の約束事の全てを破壊し尽そうとするモンスター。その頂点を極めた作品が以前紹介した『ロマン』だったと思います。この完膚なきまでの破壊は、ある種の爽快ささえ覚えるのですが、その後に何が残るか? 何が書けるのか? という疑問がふつふつと浮かんできます。

そういう意味で今回紹介する『青い脂』は『ロマン』の後に執筆された小説ですので、それだけでも私には興味のある小説です。

さて本書では、冒頭から珍奇な日本語による書簡が展開されます。その珍奇な日本語は、露語に中国語などの表現をミックスした新露語と呼ばれる作者が作った言語を翻訳者が苦心の末に訳したものだということが分かってきます。

新露語の翻訳文は、珍奇=珍奇なので、これは未来の言語らしいという予測が生まれて正しいことも了解!なのですが、読むのは中々に骨でその具合をアリトルバイト真似しようと、こうしてやっきになっても可怜的写作でしかないないので、例えば、一例を例示してみてトライしてみます。

『これは思い出じゃない。これは私の一時的な、カッテージチーズみたいな脳=月食プラスお前の腐ったマイナス=ポジットだ(P7)』

『快活なLハーモニー民族のまごうかたなき見本だな。ここのヤクート人たちは軟歯を好み、中国製の胎生繊維を身につけ、3プラスカロリーナやSTAROSEX,ESSENSEXといったマルチセックスを活発に試金している。リプス=リプス、旅=行者!(P8)』

実際には注が豊富に付いていますので、本で読むのはもっと簡単です。例えば、Lハーモニーは『生物や物質がもつシュナイダー野の平衝度』のことです。ほら、簡単でしょう?

で、まあ、どうやら「青い脂」を生成するために科学者や軍人が集まっているらしいのです。「青い脂」は作家のクローンである個体(オブジェクト)が創作活動を行う際に生成されるLW物質(超絶縁体)で、エントロピーが常にゼロに等しく、温度は常に不変、水色で美しく、月の反応器のエネルギー問題を解決するという素晴らしいもの。過去2回ほど生成されたことがあり、今回は3回目。

研究所に運び込まれた個体は、トルストイ4号、チェーホフ3号、ナボコフ7号、パステルナーク1号、ドストエフスキー2号、アフマートワ2号、プラトーノフ3号の7体。

それぞれの個体には、相関率というクローンとしての完成度を示す数値が示されていますが、数値が高いからといって容姿が似ているわけではありません。というか、各個体の容姿は基本的にかなりグロテスクです。

本書には、それぞれの個体が創作したとされる文学作品がそのまま収録されていますが、これは予想通り、各作家のパロディになっています。まあ、例によって不謹慎な感じなのですが、トルストイ風SM小説などは面白いと思います。

さて「青い脂」は順調に生成されるのですが、その後は、ドカーンと爆発が起こると、ジェットコースターのような怒涛の展開になだれ込み、スターリンやフルシチョフそしてヒトラーなどの歴史的人物が登場してアンアンしたりなんかするという奇想天外というか滅茶苦茶というか、まあ、とにかくぶっ飛んだ展開です。

冒頭の新露語の部分で挫折する人も多いとは思いますが、少し読むとやや慣れますし、途中からは新露語自体がほとんど現れなくなりますので、臆することなく読んでみてください。普通じゃない小説を読みたい方にお勧めです。

次回もソローキンの予定です。