おばあちゃんと 一緒に

おばあちゃんと 一緒に

遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

今日はゲートボールの練習日、朝

夫が「今日はグラウンドのコンデションが悪いから出来ないよ」

と言っていました。が

太陽が出てきたので太陽に連れられて出かけました。

やはり

朝まで降った雨でゲートボール場のグラウンドは

水を含んでぐちゃぐちゃ状態でした。

 

「やはりだめか」と雪を被った鍋割山を眺めに散歩に

切り替えることにしました。

赤城山の姿が綺麗に見える所を目指して

山を見ながら歩き、とうとう隣の集落まで来てしまいました。

この辺りは鈴ケ岳、鍋割山、荒山が見え一幅の絵を見るようです。

鈴ケ岳  鍋割山、   荒山

南方面の山は大方雲が出て山が良く見えていません。

しかし少し東に目をやると武甲山が雪に覆われ

ピラミットの形ではっきり見えました。

 

       武甲山

      

ゲートボールの練習は出来なったけれど、

雪に覆われた赤城山、武甲山を眺め、

道端に花大根の花を見つけ、

少し汗ばみながら 約一時間の散歩が出来ました。

 

 

Kちゃんお元気ですか?

 

Mちゃんが天国に行ってしまったよ。

1月1日生まれMちゃん、

83歳になったばかり、まだすこし早いよね!

 

昨日の朝

「Mちゃんが死んでしまったよ、私もびっくりしてるんだよ」と

Sちゃんから電話がありました。

Mちゃんの訃報を受けてから

Mちゃんと小学校から今まで過ごした時間を思い出いだし、

涙が溢れました。

 

今日告別式に行ってきました。

とてもMちゃんらしい、おおらかで優しいお顔の遺影でした。

同級会の会計や世話を一生懸命して下さったMちゃん、

家族葬でしたが県内にいる同級会の皆さんが沢山来ていました。

 

 

お焼香のあとMちゃんを偲んで食事会をしました。

久しぶりに会う同級生、皆姿はそれなりに年を取ったが、

話し出せば83歳になっても、小学校の時に戻ってしいます。

9年間一緒に過ごした同級生と言うものは 

とても不思議な空気が広がります。

Mちゃんとの楽しい思い出を語り合い、

元気で今度は同級会として会おうと言ってお別れをしました。

 

Mちゃん 楽しい思出沢山にありがとう

安らかにおやすみください。

 

Kちゃん元気でいてね。

寒がりやのKちゃん

もう少しで貴女の好きなスミレが咲く頃にななります。

2023年12月14日

また富岡アルプスを歩こうか?

と山仲間と歩いた。

 

この山は短い距離の登山道でありながらアップダウンの繰り返し、

気持ちの良い雑木林の中を歩いたりまた岩の露出した所もあったり

と、とても変化に富んでいるので、つい登りたくなる山である。

 

宮崎公園から歩き出し復路も同じ道を辿った。

 

登山口

赤おかけと帽子のお地蔵様に一礼して

 

冬枯れの気持ちの良い登山

 

神成山城跡

 

 

龍王山

 

 

「日本一きれいなハイキングコース」

と書かれた道標

 

露岩の登山道

短いながら登山道に味を出してくれてる。

「自然博物館」

この登山道を整備した地元の人がつくった標本箱だと聞いたことがあるが?

 

北向きの祠 

北の集落の守神だろう

八峰

 

 

頂上直下のテラス

「山カフェドローム」としゃれた名前が付いた休憩所、

休憩は無料とあった。 

登山道を整備している方の粋な計らいに感謝して、

荷物を置いて頂上に登りここでランチタイムをとる。

 

頂上直下の急登り

 

頂上

 

テラス 

ランチタイム

里の風景と西上州名峰を眺めつつランチタイムをとる。

何時までも眺めて時を忘れ癒される場所。

 

 

登った道をまた辿り無事に下山した。

 

キャッチフレーズ

「日本一きれいなハイキングコース」

のとおり

変化のある上り下りの細い尾根道を歩き、

眼下には長閑な田園風景が広がり

時々可愛い絵の描いた電車の行き来すのを眺めたりし、

また登りたくなる神成山でした。

 2023年12月22日

 

 

今年の山登りを赤城山で締めくくろうと山仲間と鍋割山に登った。

駐車場に着くと

おや!珍しく姫百合駐車場に登山者の車が少ない。

寒いからかしらとメンバー異口同音である。

 

登山口

寒くて手がかじかむ、

何時もだと途中で衣装調整するのだが、する人が出ない。

 

荒山高原

歩いても歩いても体が温まらないうちに到着。

鍋割山の稜線に出る

白銀に輝く上越国境の山が見えると

 

ワオ!これを見たくて来たのよ! 

メンバー皆興奮気味である。

 

鈴ケ岳 と 上州武尊山

谷ケ岳連峰

 

頂上

登山者が1名だけ。

登山者が少ないからゆっくりしまましょう と

お弁当を広げたが

メンバーは黙々とお弁当を食べて、食べ終わると

誰ともなしに  「寒いね凍えてしまうわ」と

寒くて休むどころでなく早々と下山する。

 

 

 

下山後

 

六道の辻・六地蔵へ

 

下山しながら赤城山の色々の話をした。

その中に私が六地蔵の話をするとメンバーの皆さんは

是非今日見たいと言い出した。

 

六道の辻とはこの世とあの世の境の辻

ここは

昔・赤城山の西の登山口で 六本の登山道が集まった所。

この辻には死んだ子供のために石を積む習慣があり、

その習慣は昭和の頃まであったそうだ。

 

石碑は六角の石碑で六面に一体づつお地蔵様が刻まれている。

台石三面が道しる 「この□里」「いしい・こめの三里」

「なんきつ・みぞろぎ三里」とある。

裏面に「文久3年(1863年)4月吉日赤城山」と刻まれている。

 

メンバーは六地蔵を拝み昔の人もこうして手を合わせたのだろう

かと

昔のロマンに浸った様だった。

 

2023年最後の山「鍋割山」は

「今度もっと暖かい日に登ろう」と言うほど

とても・とても寒い山だった。

2月11日

「二時間くらいの軽い山だから行かない?」との誘いで

二つ返事で参加することにした。

が調べてみると

今の体力では軽いどころか

頂上まで二時間はかかるだろうと覚悟した。

参加者9人

 

 

桜沢八幡神社

先ず無事の登山を祈願して

 

 

八幡山 鐘撞堂山 登山口

いきなりの急登り

 

 

 

尾根に出ると冬の枯れの美しい景色

 

 

八幡山標識があり、

 

八幡山頂上

ここに来るまで幾つかの八幡山の標識があったので

やっと頂上に着いたと言う感じがした。

雑木林の森の中の登山道

 

木の間から鐘撞堂山がある尾根が見えた。

下ったり登ったりして、まだまだ遠く~

大正池の標識

 

八幡山4の標識

何処を基準にしているのかな?と頭をひねる

 

 

 

まだ~ と言う声が

 ゆっくり行きましょう!マア 一休み 

カタクリ群生地

以前カタクリの咲く頃メンバの一人がカタクリを見に来たけど

カタクリは見つからなかったと言った。

枯れ葉に木の影が映り絵を見ている様

 

何度も登ったり下ったりして山を越えてきたけど

とうとうここは蒔き道を辿る

 

頂上直下の登りは

登りを辿る組 巻き道を辿る 組とわかれ

登りを辿ったメンバーの姿が上の方に見えた。

 

 

鐘撞堂山頂上

沢山の登山者で賑わっていた。大勢の我々は東側の椅子の所の隙間で

ランチタイム。

 

都心が眼下に 見えた          河津桜が咲き始めていた

 

 

下山

大正池を目指す

 

スギ林の中を歩く

登って来た登山道と違い薄暗い登山道

登山道に雪が残っていた。

 

竹炭工房

大正池登山口

 

大正池

トイレがあった。

 

 

桜沢八幡神社

神社から周回してきたことになった。

無事下山できたお礼をして車に乗った。

登山口のいきなりの急登りに、歩きとおせるか不安な気持ちの

出発であったが、尾根に出ると冬枯れ雑木林の中の登山道で

危険個所も無く、程よい上り下りでとても気持ちよく歩けた。

頂上から都心も近くに見え、ちょいと軽い山歩きではなかったが

大満足したハイキングになった。