損保ジャパン東郷青児美術館で「オディロン・ルドン―夢の起源―」を観た! | とんとん・にっき

損保ジャパン東郷青児美術館で「オディロン・ルドン―夢の起源―」を観た!



損保ジャパン東郷青児美術館で「オディロン・ルドン―夢の起源―」を観てきました。観に行ったのは4月30日、もう1ヶ月以上も前のことです。今回の展覧会はフランスのボルドー美術館と、日本における最大のルドン・コレクションを所蔵する岐阜県美術館の、油彩、パステル画を含む約150点の作品で構成されています。


河村錠一郎の「世紀末美術の楽しみ方」(とんぼの本:1998年11月20日発行)という本に、最初に出てくる序章「物語る絵、物語らぬ絵」の箇所に、「世紀末美術」を以下のように定義づけています。


世紀末絵画の定義はかなり難しいが、美術の場合、世紀末というと単に限定された時代区分というよりは、その時代に特有の際だった個性と考えられる特定部分だけを指している。ギュスターヴ・モローを世紀末といい、モネを世紀末とはいわない。その「特定の部分」とは、第一に、様式的には象徴様式であること、画家の深層心理に眠る想念や観念を揺り動かしてイメージという具象的な形を時代の明るみへ連れ出します。第二に、主題の特殊性、死を描き、エロスにこだわります。それは社会通念から逸脱した退廃的なテーマ、つまりデカダンな主題やモティーフです、と。


それに続けて、ルドンの「オフィーリア」(岐阜県美術館蔵)と共に、以下の文章が載っています。

ルドンの「オフィーリア」は冥府の闇を想わせる夜の色に包まれて死のイメージを前面に出し、足を滑らせて水に落ちるまで摘んでいた多彩な花の色が染み出たような色彩が添えられ、彼岸の世界の永遠性と現世此岸のはかなさに橋をかけている。ルドンは仏陀やキリストの図像もモティーフに使っているが、暗示するところは同じだ。また、円形や半円形の中に女の横顔を描くことが多いルドンだが、このオフィーリアも、彼にとって「女」が意味するものであり、単にシェイクスピアの戯曲「ハムレット」のヒロインではない。


ルドンの作品をまとまって観たのは、三菱一号館美術館で「ルドンとその周辺―夢見る世紀末」でした。その時の展覧会のほとんどの作品は岐阜県美術館所蔵のもので、唯一、三菱一号館美術館が購入したルドンの巨大なパステルの作品、「グラン・ブーケ(大きな花束)」のお披露目をする、という展覧会だったように思います。この色鮮やかな「グラン・ブーケ」を観て、最初は「え~っ、これがあのルドンの作品なの?」と驚きました。

三菱一号館美術館で「ルドンとその周辺―夢みる世紀末」展を観た!


岐阜県美術館は、現在250点を超えるオディロン・ルドン(1840-1916)の作品を所蔵している、というから驚きです。しかも、ルドンに影響を与えたり、後継になった画家たちの作品をあわせて収集することにより、19世紀末ヨーロッパの象徴主義美術の流れを通観できる個性的なコレクションとなっているようです。


数年前に行ったオランダのクレラー・ミュラー美術館で、ルドンの作品を観たことを思い出しました。最も有名でルドンの代表作でもある、ひとつ目の巨人を描いた「キュクロプス」がありましたが、他にも数点観ています。




展覧会の構成は、以下の通りです。

第1部 幻想のふるさと、ボルドー―夢と自然の発見―

第2部 「黒」の画家―怪物たちの誕生―

第3部 色彩のファンタジー



ルドンの略歴は、以下のようになります。
1840年、フランス南西部のボルドーで生まれる。1855年(15歳)、ボルドーの画家スタニスラス・ゴランに絵を教わる。1857年(17歳)、植物学者アルマン・クラヴォーと知り合う。両親にすすめられ建築のための勉強を始める。1862年(22歳)、パリに行く。国立美術学校の建築科を受験するが失敗、ボルドーに戻る。1863年(23歳)、版画家ロドルフ・ブレスダンと知り合う。1864年(24歳)、パリに域画家ジャン=レオン・ジェロームの教室に通うが、ジェロームの教えに疑問をいだく。1865年(25歳)、ボルドーに戻り、ブレスダンに版画を教わる。1867年(27歳)、展覧会に版画「浅瀬(小さな騎馬兵のいる)」を出品する。1872年(32歳)、この頃から、冬をパリで、夏をペイルルバードで過ごす。1879年(39歳)、最初の石版画集「夢のなかで」を発表する。1880年(40歳)、カミーユ・ファルトと結婚する。1894年(54歳)、ルドンのための大きな展覧会がパリで開かれる。1903年(63歳)、レジオン・ドヌール勲章を受ける。1904年(64歳)、フランス国家がルドンの作品を買い上げる。1916年、パリの自宅で76歳で亡くなる。


第1部 幻想のふるさと、ボルドー―夢と自然の発見―



スタニスラス・ゴラン(1824-1874)

ボルドーの画家。早くから絵の才能を現したルドンは、15歳頃からゴランの美術教室に通い絵を学びました。ルドンはゴランから、ドラクロワなどフランスの優れた画家たちについて教わりました。

アルマン・クラヴォー(1828-1890)

ボルドーの植物学者。ルドンが17歳の頃知り合いました。クラヴォーを通じて、ルドンは顕微鏡でなければ観ることのできないアメーバのような小さな静物がいることを知りました。また植物学だけでなく、文学や哲学もクラヴォーから教わりました。



ロドルフ・ブレスダン(1822-1885)

独学の版画家。空想の世界のような不思議な雰囲気が小説家や詩人に人気がありました。各地を旅しながら制作し、1860年代はボルドーで暮らしていました。ルドンは1864年24歳の時に絵を学ぶため、パリに行きました。画家ジャン=レオン・ジェロームの教室に通うが、ジェロームの教えに疑問をいだき、ボルドーに戻ります。ボルドーに戻ったルドンは、ブレスダンから版画の技法を学びます。



第2部 「黒」の画家―怪物たちの誕生―

1879年39歳のルドンは、石版という版画の技法を使った作品を集めた画集、「夢のなかで」を発表しました。その名の通り、怪しい夢のような世界を、白と黒だけで表現したものでした。




第3部 色彩のファンタジー

1890年頃から、それまでの白黒の絵にかわって、ルドンは油絵の具やパステルを使って、色鮮やかな絵を描くようになりました。主題も聖書や花、神話など、親しみやすいテーマが神秘的に描かれるようになりました。





「オディロン・ルドン―夢の起源」

1886年、現代生活を描いた色鮮やかな作品がならぶ第8回印象派展の会場に、幻想的な白黒の木炭画を出品した画家がいました。フランス象徴主義を代表する画家オディロン・ルドン(1840~1916)です。外界と現実を重視した写実主義が台頭する中、内面を重視し夢の世界を描いたルドンは、やがて写実性への反動の高まりとともに注目を集め、次世代の画家や文学者、批評家たちの支持を集めていきました。しかしその一方で、ルドンは実証的な自然科学に対しても決して無関心ではなく、その影響はルドンの幻想的な作品でも見ることができます。本展覧会では、まずルドンの幻想と自然科学への関心が、生まれ故郷であるフランス南西部の都市ボルドーでつちかわれたことに注目し、青年ルドンがボルドーで何を学んだかに焦点をあてます。さらにこのボルドーでの発見が、その後の「黒」と「色彩」の作品でどのように展開し昇華したのかを探ります。本展覧会はフランスのボルドー美術館、ならびに日本における最大のルドン・コレクションを所蔵する岐阜県美術館の全面的な協力のもと、油彩、パステル画を含む約150点の作品を一堂に展示し、画家オディロン・ルドンの「夢の起源」をたどります。


「損保ジャパン東郷青児美術館」ホームページ


とんとん・にっき-red16 「オディロン・ルドン―夢の起源」

ジュニア版ブックレット

執筆:小林晶子(損保ジャパン東郷青児美術館)

発行:損保ジャパン東郷青児美術館

制作:求龍堂

発行日:2013年4月20日





とんとん・にっき-redon4 「世紀末芸術の楽しみ方」

とんぼの本

発行:1998年11月20日

著者:河村錠一郎

発行所:株式会社新潮社







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