大江健三郎の「読む人間」を読んだ! | とんとん・にっき

大江健三郎の「読む人間」を読んだ!

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大江健三郎の「読む人間」(集英社文庫:2011年9月25日第1刷)を読みました。この本の第一部「生きること・本を読むこと」は、2006年6~12月に毎月一回、ジュンク堂書店池袋店で行われた7回の講演をもとに大幅に手を入れたものです。第二部「死んだ人たちの伝達は火をもって表明される」は、やはり講演をもとにした「『後期のスタイル』という思想」と、「読むこと学ぶこと、そして経験」という2篇からなっています。


前にも書いた通り、「定義集」は2006年4月から2012年3月まで、月に1回、朝日新聞朝刊の文化面に掲載されたもので、「読む人間」とほぼ同じ時期に書かれました。一方は話し言葉、もう一方は書き言葉の違いはあれ、同じ問題を扱っています。つまりこの2冊は、相補的な関係にあります。とはいえ新聞連載の「定義集」の方が、より広範囲な問題を取り上げてはいますが。


本の帯には「大江健三郎はどんなふうに読んできたのか? ノーベル賞作家から3.11以後の世界を生きる世代へ」とあります。また本のカバー裏には以下のようにあります。


これらの本と一緒に生きてきた――。マーク・トウェインから井上ひさしまで、著者がこれまで出会った、世代を超えて読み継がれるべき大切な作品を紹介。自らの執筆活動と読書体験をもとに“読む”ことが“生きる”うえでいかに救いとなり、喜びになるかをやさしく語る。ノーベル賞作家による読書ガイド。文庫化に際し、東日本大震災後の2011年6月に行われた講演を新たに収録。


大江が9歳の時、四国の山村で大江が始めて読んだ本、マーク・トウェインの小説「ハックルベリイ フィンの冒険」の思い出から話は始まります。地獄へ行ってもいいから、ジムを裏切るまいと考える、影響を受けたのはその一行だと大江は告白します。戦争が終わった直後ですが、自分はそうしよう、一生その考えのままで生きよう、と私は思ったんです、そしてそれを原則として、今まで生きてきたように思う、と。


続けて、決定的に人生を決めることになる本と出会い、大江が16歳の時でした。戦争が終わり、新しい憲法が公布され、施行されます。ある事情から大江は松山の高校に転校します。始めて本屋に行って選んで買った本が、渡辺一夫の「フランス ルネサンス断章」(岩波新書)でした。もう一冊が、エドガー・アラン・ポーの「ポオ全集」。「当時、伊丹十三君が、私の転校した学校に、みんなから孤立した存在として、しかし悠々と生きていたんです」と、大江は語ります。後に大江は、伊丹の妹と結婚することになります。


「再読すること、rereading」のすすめについて、翻訳ものを読む場合ですが、大江は以下のように語っています。

まず最初は翻訳を、線を引いてがっちり読む。二番目は、線を引いたところを原文にあたって、ひとつずつ読んでゆく。それから三番目に、それがほんとうにいい本ならば、そして、もう一ヶ月時間をかけていいというような時であれば、これだけのことをやった後で原書を最初から読み通してみる。それがrereadingとしていちばんいい進み行きです。


専門家でもない人が毎回こんなことをやってはいられませんが、ましてや外国語ができない人や苦手な人にはこんなことはできません。が、このようにして読む。外国語と日本語のあいだを往復する。そうやって言葉の往復、感受性の往復、知的なものの往復を味わい続ける作業が、とくに若い人間に新しい文体をもたらすと考えているというのです。こういうようにして私の小説の世界が始まった、と大江は言います。渡辺一夫から伝授されたこと、3年ごとに新しく読みたいと思う大賞を選んで、その作家、詩人、思想家を集中して読むという方法で読むわけです。そのようにして3年ごとに自分の文体を変えていくという仕方でやってきたのだという。


ところが大江の実人生に思ってもみなかった事態が生じます。それは「長男の光が頭に奇形を思って生まれたことによる変化」、子供の手術は成功し、退院します。それからが大江とその妻と光との共生が始まります。当の子供を引き受けて、共生していこうと決心する過程を書いたのが「個人的な体験」です。28歳で光が生まれて、29歳で「個人的な体験」を発表します。そしてウイリアム・ブレイクを読むことで、「新しい人よ眼ざめよ」を書くことになります。短い小説を集めた短篇連作だが、最初の作品をブレイクの詩集からとった「無垢の歌、経験の歌」というタイトルにしました。


国立西洋美術館で「ウィリアム・ブレイク版画展」を観た!


大江は、48歳から50歳までの3年間、ダンテの「神曲」を読んでいました。51歳から長編小説を書き始めました。「懐かしい年への手紙」です。内容は自分が50歳までどのように生きてきたかということを検討する作品にしたという。自分でも良くできた作品、根拠はないがよく売れるだろうとも思ったという。ある時本屋へ行ってみたら、「真っ赤な本と緑色の本という2冊組の装丁の、クリスマスプレゼントみたいな本が、こんなに積んであって、その山の向こうに、哀れな『懐かしい年への手紙』が、数冊、こちらを恥ずかしそうに見ていた。ダンテの『神曲』のボッティチェリの挿絵を装丁に使った、きれいな本が」。いうまでもなく、山のような本が「ノルウェイの森」です。


小説は、東京で作家の生活をしている「僕」という人物のところに、しく久野村で暮らしている妹から電話が来た、というところから始まります。あなたの友達で私ら家族にも大切な友人であるギー兄さんが、大掛かりな事業を始めてしまった、かれの奥さんのオセッチャンが、相談に来た。あなたが帰ってきてかれと話せば、ギー兄さんは考え直すかもしれない。ともかく一度、帰ってきてくれないかという。そこで、「僕」が子供たちを連れて久し振りに村へ帰っていく・・・。


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エドワード・W・サイードについて。「exileの、つまり本来いる場所から追放された終焉の人間、端のほうにいる人間として、世界の中心にあるアメリカのまさに帝国主義の文化を、さらには世界政策を、批判し続けたシンに知識人でした」と称えます。大江は、小説を書き始めた当初から、自分は本来いるべき場所にいない人間だと感じるところがあり、それこそが」私の生涯の小説家としての主題であり続けた、と考えることがあるという。がしかし、「私の描く四国の森のなかの土地、人々、歴史と伝承のいちいちは、すべて私の想像力にのみ基盤を持つ者だ、と自分が確信している」とも言います。


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*編集中、続きます。

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