「第3回大江健三郎賞 大江健三郎と安藤礼二の公開対談」を聞く! | とんとん・にっき

「第3回大江健三郎賞 大江健三郎と安藤礼二の公開対談」を聞く!


「第3回大江健三郎賞、大江健三郎氏と受賞者・安藤礼二氏との公開対談」が開かれるという案内を「群像5月号」で見たのでネットで応募したところ、運良く?ご当選となり「招待状」が送られてきました。実は、昨年の「第2回大江健三郎賞公開対談 大江健三郎×岡田利規」を聞きに行っているので、その辺の事情は知っていました。会場は文京区音羽の講談社のホール、たぶん500人は入るであろう大きなホールでした。今回は妙に若い人が多いのでどうしたものかと思っていたところ、入口の受付には「多摩美術大学の方はこちら」と書いてあり、後で出た話によると、優先的に100人の学生割り当てがあったようです。もちろん安藤礼二が多摩美術大学の准教授だからですが。


特に司会進行の人がいるわけではなく、登壇した二人が交互に話していくという形式。対談とはいえ、やはり大江健三郎の独壇場、年の功か圧倒的に優位です。しかし安藤礼二も負けてはいません。自分の主張したいことはしっかりと主張していました。いずれにしても安藤の著作「光の曼荼羅」を軸に議論が展開していきます。大江としては「大江健三郎賞」を一人で選考したのですから、まず始めに、その選考理由をしっかりと述べておかなければなりません。そして今自分が書いている最後の長編小説?、父親をモデルにした「水死」という自身の作品に引き寄せて、話を進めていきました。


まず始めに大江は、「この賞は受賞者にとってうれしいものはない。賞金がないのだから。それでも安藤さんに受けて貰えた」と、会場を笑わせます。もう一つの賞の特典、「外国語に翻訳、海外での刊行」については、第1回の受賞作、長島有の「夕子ちゃんの近道」はフランス語で出版されたこと、そして第2回の岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」は現在、ドイツ語に翻訳が完成し、今後出版に向かって進んでいるとの報告がありました。前2回の「大江賞」は「小説」、今回は「批評?評論?」、ちょっと毛色は異なります。今までになかった折口信夫という大きな思想家のことを書いた、魅力的な論文である安藤礼二の「光の曼荼羅」の全体をよく読んで頂きたいと、大江は言います。折口信夫は最後にはアジアの思想へと移っていきますが、それは僕にとって都合の悪い方向です。


私にとってよい批評家との関係、最初はいいのですが、すぐに喧嘩して、その後はずっと仲が悪いまま、あの江藤淳がそうでした。良好な関係が不倶戴天の敵へと。安藤さんとはそうならないことを願っていますと笑わせます。会場に学生が多いこともあってか、大江は文学を勉強することについて話し始めます。オーソドックスな勉強をして国語学者になったりするのはいいとして、小説家や批評家になるには大学の学問は役に立たない、一人で独学でやることが大事だ、しかし、独学でやるには誰か一人、何かモデルを必要とする、そういう意味で折口信夫に「もっとも魅力的な独学者」を見たと、若い人たちにアドバイスをします(大江の師である渡辺一夫を念頭にか、あるいは自身3年ごとに選んだ人を徹底的に読みこなすという)。


大江は、安藤の「光の曼荼羅」を読んで感動した、安藤の著作は全部買った、と言います。しかし一冊だけなかった、それは「山越しの阿弥陀像の画因」(初出1944年7月)という本。自宅の本棚を探してみたら、隅の方から出てきた、僕の嫌いな人から送られたものだったから隅の方にあったのだ、とまたまた笑わせます。この本を読んで不思議な経験をしたと、自分の父親との体験談を話し始めました。「自分は父親とは10回ぐらいしか直接話したことがない」と、誇張を交えて大江は語ります。父親の仕事は農家から製紙の原料を集めて送り出すだけ、それ以外に父がなにをやっている人なのかは誰も知らない。「母は世界で一番偉い人だ」と言っていた」。この辺の話は「群像5月号」に詳しく書いてありますが、木を3つ書いて「森々(しんしん)」、水を3つ書いて「淼々(びょうびょう)」と読む話ですが。


とんとん・にっき-ooe2

「どうして折口信夫を選んだのか?」という大江の質問に、安藤は次のように答えます。16~7歳の頃から折口信夫の「死者の書」を読み始めたが、最初は読んでまったく分からなかった。それがずっと気になっていたが、多の人が書いたものを読んでも納得できなかった。そこでイメージをばらばらにして自分なりに読んでみたら、「一人の少女が死者と出会って・・・」ということを発見した、と。安藤は「私自身、独学で」、自分はかなり執念深く、折口がなにを書いているのか何回も考えて突き詰めたいと思ったという。折口は昭和14年に「死者の書」を書いて、その後4回書き直しています。四国へ行き、室戸岬や不思議な場所を歩く。大江のお父さんはそれを聞いたのではないか?大阪へ戻り、当麻寺?へ戻ります。(大江さんもそうですが)折口は「変な人」で、過去に辞書をぼろぼろになるまで使い、学校教育とはあわない、自分も学校教育はだめでした、と告白。


大江は安藤の仕事は、折口の最初の「死者の書」第一版があったということを活字にしたことが重要だったという。「美しい娘がいて、何か不思議なものを感じる。死者は暗闇のなかにいる。それを光のなかに呼び戻してやる、ということが「死者の書」の始まり」で、最初の版を発見したことが重要だと言います。続けて折口が生きていたら「もうひとつの死者の書」を書いたのではないか、と大江は言います。室戸岬へ行った、折口の体験したことを安藤さんは実際に経験している。「暗闇にいる人が空海になる前の、悟りを開く前の、こもって考えている」こと。

安藤は言う。私は批評というものは、私にとっては本を読むことだと。本を読むということは自分なりに解釈し、自分なりの論理を深めていくこと、それが読書の原型だと。私は32歳で初めて文章を書いた。私にとって批評というものは、私の形を出すこと、もう一つ奥へ行くと、何か新しいものが発見される。


大江はそれを補足します。安藤さんの考えは折口信夫が言ったこと。1917年に最初の小説(シントクマル?)、未完ですが。折口は「私はそれで伝説の表現形式として小説を書いた」と言ってます。「私たちの村に伝承があって、私たちの先祖がつくった。伝説はどうしてできたのか?」と学者は言います。しかし「小説として表現するのが正しいのではないか」と大江は言います。折口は謙虚に「私は伝承の根本の意味を解き明かそうとしている。この物語を自分で読み取ってみよう」と言ったという。第二の「空海論」か?


人間というのは二つの時間を生きている、今の時間と不可逆的な時間を。それだけじゃなく「絶対に滅びない時間」と「過ぎ去っていく時間」、これが「曼荼羅」を私は言った、と安藤は言う。「さかのぼって原型を探り当てる」、それが私にとってそれが文学だと。「光の曼荼羅」は「世界のモデル」であると、大江は言います。すべてが含まれる総合的なもの。主観は明るいもの、死は暗闇、帰ってこられない人を呼び返してあげよう、と。折口信夫は1930年代、超越的な世界、神秘的な世界を描いたが、実は同じ時代にヨーロッパでも考えていた人がいた、ヨーロッパにおける曼荼羅の可能性、それはシュールレアリズムの人たちです。また意識をこえた考え、無意識ということではフロイトがいました。


とんとん・にっき-ooe1

大江は(特に若い人たちに向かって)、私はフランス語をやります。たとえばベルグソンの引用の仕方に、本当にこの人たちは読み取っていないのではないかと思っている。日本語に訳する人が分かっていない。確実に読み取っていない。ところが安藤さんの引用する哲学、彼は日本語で通じるものだけを引用しています。同じ考えの哲学を発見しています。(イヅツトシヒコ?)彼の曼荼羅は、アジアにおける根本的な「アジアの神秘思想」、ヨーロッパにつながる構想です。京都大学の学派で「大東亜共栄圏」という思想があったが。「大日如来」は根本的な神、アジアの曼荼羅です。ただし、折口信夫を政治的な死を鵜として今復活しようとする勢力が現にあるので、これについては注意が必要だと、大江は言います。


それに対して、安藤は次のように言います。折口信夫は二面性がある。極左的なものと極右的なものを持っている。20年かけて折口を追求してきたが、複雑であり「謎」である、と。そして折口の最大のライバル、柳田国男や南方熊楠を出します。折口をやっていて、単純化して物事を考えるのが一番間違っている。その点折口は複雑で振幅が広い。この複雑性が生まれてくるのは何なのか?人は教えてくれないし、自分で発見するしかない。「光の曼荼羅」は書くのに6年かかった。折口を最初に読んでから30年です。「イヅツトシヒコ?」は何カ国語も話せる最大の知性です。今後は彼に焦点を当てていこうと思っています。大江さんは「新しい人よ目覚めよ」でウィリアム・ブレイクを重ね合わせています。そういったところに創造性があると思います。人間というものは時には「愚考」というものが必要です。


大江は、年末に刊行する予定の「水死」を書いていると言います。300ページまで書いたが、この小説は間違っていると気がついた。業者が使う修正液を1ダース買った。「なにに使うんですか?」と聞かれて、「私自身が間違っていたから、それを消すんです」と言って笑われたという話。自分は総入れ歯で、調子が悪いので歯医者へ行ったら、「あなたは完全に疲れている。あなたの舌は堅くなっている」と言われた話。小説を表現するということは、自分自身を超えたものをつくること、そのためには明快な言葉をつくることです。折口も南方も非常に分かりやすい明快な言葉で書いています。70歳を超える頃から、明快に表現できるものがあるぞと気がついたけど、私はもう遅い、とまた笑わせます。


例として加藤周一の本を読むとよく分かると、彼の代表作「日本文学史序説」(ちくま文庫)を出します。最初に中国で学んだ「空海」の話が出てきます。大江が昨年、中国の外国小説の最優秀賞を受賞し、北京大学へ行って講演したという。その時にいま中国で空海に関するあらゆるものを集めた本を作っている、賞金はないけど、その代わりに全4巻のその本を後から送ってくれたそうです。少しずつつながってくる、つないでくれる人は重要、昔は古いお寺のお坊さんがそれをやっていた。ばらばらに勉強していたものをつなぐ役割です。


「日本人とは何か?」、今まではそういうことを総合的にやる人がいなかった。安藤さんに大江賞をとってもらいたいと手紙を書きました。確実にヨーロッパに通じるようなことを考えているヤツが日本にもいる。こういうふうに短くして翻訳します。しかし、翻訳は難しい。安藤さんには心を改めて、分かりやすく、短く、書き直してもらいたいと、大江が結んで「対談」は終わりました。その後会場から「生と死について」、「天然、自然について」、「独学について」という三つの質問が出ました。


追記:5月12日、朝日新聞朝刊によると、

第20回伊藤整文学賞の選考会が11日に開かれ、

小説部門にリービ英雄の「仮の水」(講談社)、

評論部門に安藤礼二の「光の曼荼羅」(講談社)が選ばれました


大江健三郎賞


とんとん・にっき-hikarino 「光の曼荼羅 日本文学論」

著者:安藤礼二

発行:2008年11月22日

出版社:講談社

定価:本体3600円(税別)





とんとん・にっき-gunzou




「群像」2009年5月号

発行:2009年5月1日

出版社:講談社

定価:1200円(本体1143円)







とんとん・にっき-koudan


「第3回大江健三郎賞」

大江健三郎氏と受賞者・安藤礼二氏との公開対談

ご招待状

日時:2009年5月9日(土)

14:30より受付 15:00開始 17:00終了予定

会場:講談社 社内ホール







過去の関連記事:

第3回大江健三郎賞選評と、安藤礼二の「光の曼陀羅」を読んだ!
安藤礼二の「光の曼陀羅 日本文学論」が大江健三郎賞に!

「第2回大江健三郎賞公開対談 大江健三郎×岡田利規」を聞く!
岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を読んだ!
第2回大江健三郎賞に岡田利規さん!

長嶋有の「夕子ちゃんの近道」を読んだ!
第1回大江健三郎賞に長嶋有さんの「夕子ちゃんの近道」

講談社が「大江健三郎賞」創設 選考は大江氏1人