世田谷文学館で「知の巨匠加藤周一ウィーク」大江健三郎編を聞く! | とんとん・にっき

世田谷文学館で「知の巨匠加藤周一ウィーク」大江健三郎編を聞く!

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加藤周一とはどんな人か、チラシの裏には、以下のようにあります。

加藤周一。評論家、小説家。1919年東京生まれ。東京大学医学部在学中に中村真一郎・福永武彦らと交友し「マチネ・ポエティク」に参加。戦後「1946・文学的考察」で注目を浴び、多彩な執筆活動を展開。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学をはじめ、ドイツ、イギリス、アメリカ、スイス、イタリアなど各地で教鞭をとる。著書に「雑種文化」「羊の歌」「日本文学史序説」など多数。2008年没。


名前は知っていましたが、ほとんど僕には縁のない人、昨年の今頃、ちくま学芸文庫から加藤周一著の「日本文学史序説 上・下」が文庫本で出たというので、とりあえず買っておきました。読もうと思っている間に、もう1年が過ぎてしまいました。本棚を探してみたら、昭和52年に出された加藤周一著の「日本の内と外」という著作が見つかりました。第1部近代日本および政談、第2部周囲の世界とした、2段組み500ページ弱の厚い本です。ところどころに鉛筆で線が入っているので、部分的に読んだのでしょう。まったく記憶に残っていないのは残念ですが。「あとがき」によると「芸術論集」と「文学論集」に含まれない文章を収めた、とあります。他にも文庫本などが、どこかにあるかもしれません。が、あったとしても、憶えていないのでは話になりません。そうそう思い出しました、朝日新聞夕刊に「夕陽妄語」を連載していたので、それは読んでいました。


2008年12月5日に亡くなったときには、新聞紙上で多くの知識人が、例えば大江健三郎や井上ひさし、などが追悼文を書いていたように記憶しています。「九条の会」の呼びかけ人のひとりでしたから。井上ひさしは、もう亡くなりました。残るは大江健三郎。世田谷文学館で開催されている「知の巨匠―加藤周一ウィーク」へ行ってきました。僕はほとんど知らない加藤周一のことを知るいい機会だと思って今回の「知の巨匠 加藤周一ウィーク」のチケットを売り出した初日に渋谷の「チケットぴあ」で購入しました。第1回目は、「いま『日本文学史序説』を再読する」と題した大江健三郎の講演でした。初めの挨拶で世田谷文学館館長の菅野昭正は、生年月日が奇しくも「1919年9月19日」で、亡くなったのが91歳、「19」つながり(実は9月19日は加藤周一の誕生日)、こんなことは珍しい、と言っていました。菅野は「大江健三郎は紹介するまでもありません。それより大江さんの講演の時間を多くとります」と、開会宣言をしました。


大江健三郎とはどんな人か、チラシの裏には、以下のようにあります。

大江健三郎。小説家。1935年愛媛県生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒業。在学中の1957年、「奇妙な仕事」で作家デビュー。翌年「飼育」により23歳で芥川賞を受賞。以後、現代文学の旗手として「個人的な体験」、「万延元年のフットボール」、「洪水はわが魂に及び」、「同時代ゲーム」などの作品を発表し、国際的な作家として活躍を続ける。1994年、ノーベル文学賞受賞。


大江健三郎は、菅野昭正に「学生時代は君のことは知らなかった」と言われたという話を持ち出し、僕は影の薄い学生でしたと、まず会場を笑わせます。いつもの如く、四国から出てきて渡辺一夫に学んだこと、妻とのたわいない話、妻の兄について触れ、息子のことも触れます。息子?だっかたが、公的機関の「文学講座」に出て現代文学編を選んだら、そこでは大江健三郎は「現代文学」ではなく「近代文学」だと講師に言われ、私は森鷗外のすぐ後のようだと、また笑わせます。今回の講演の導入部でした。1年遅れで東大に入り、自分は研究者にはなれなかったが、渡辺一夫はフランス・ヒューマニズムの研究者で、加藤周一は「ユマニスム」の人であるとして、今回のテーマに入っていきます。今回の大江健三郎の講演、チラシに「いま『日本文学史序説』を再読する」という題名があったのを僕は見逃していました。



その日18日の朝日新聞に「加藤周一評論2シリーズ完結」 として、「加藤周一著作集」(平凡社)は第18巻が今月15日に配本され、全24巻がそろい、「加藤周一自選集」(岩波書店)はも17日、最終巻の10巻が配本された、という記事が載っていました。「自選集」は短い文章で読みやすく、編集者の鷲巣力の書いた「あとがき」も素晴らしいと大江は言う。そのなかで広島の原爆について書いた個所があり、2カ月位かけて読むといいと言う。大江は、私は老人であり、加藤周一について話をする機会はもう最後だと思うので、今日はしっかり話をしたいと語っていました。


それはさておき、今回、大江健三郎が取り上げたのは「日本文学史序説 上・下」ですが、終章を入れると12章になり、ひと月に1章ずつ読んで、1年通して読むと実に多くのことが学べると、大江は言います。上にも書いた通り、まだ読んではいないが、その本は僕は買って持っています。序章に当たるのが「日本文学の特徴について」という、日本文学の定義について述べた個所があり、それは読んでいただくとして、これから話をするのは第1章「万葉集」の時代(47ページから124ページまでに当たる)に限ってです。たまたま僕は永青文庫で「日本書紀」や「出雲国風土記」を観てきたばかりです。加藤周一の「万葉集」の読みとりは独自の史実によっていると、大江が評価しています。ここからは細かくなるので、というか、僕にはほとんど理解することが難しいので、1カ月かけて読むとして、とりあえず目次だけを、下に載せておきます。また大江が取り上げた個所を第1章「万葉集」の時代から抜き書きしてみます。


第1章「万葉集」の時代

「十七条憲法」から「懐風藻」まで

「古事記」および「日本書紀」

民話と民謡

「万葉集」について


「懐風藻」は「万葉集」に先立つこと30年、わが国最初の抒情詩集で、漢詩120篇をあつめていました。詩人は、天皇、皇族、貴族、僧侶、帰化人などであって、時代は7・8世紀、およそ「万葉集」の時代と重なります。題材は、宮廷の宴会や遊覧のことを主としています。感情生活の表現は、「万葉集」の日本語の歌に見事であり、仏教のみならず外来思想の影響がほとんどありません。「古事記」は、天地創成からはじめて、神々の誕生と大八島の成り立ち、神々の世代の交替とその行動を語り、つづけて神武以下伝説的な王の事蹟に及んで、歴史的な天皇の話に移ってから、6世紀末7世紀初の推古朝で終わります。「日本書紀」は、はじめに天地創成と神々を置き、神武以後年代を明示しながら、歴代の天皇の事蹟を叙述して、7世紀末の持統朝に及びます。


奈良朝以前の地方の大衆は、何を信じ、どういう感情生活を送っていたか。それを察するために重要な資料は、「風土記」といわゆる「古代歌謡」です。「万葉集」は、日本語の抒情詩集の最大のものであり、また現存する最古の歌集です。成立の時期は、おそらく8世紀の後半です。編纂者は知られていないが、大伴家持はそのなかの有力な一人であったらしい。歌の数はおよそ4500、短歌(4200)を主とし、また長歌(260)や旋頭歌(60)を含みます。歌は「雑歌」、「相聞」、「挽歌」に3つに分けられます。(第1章「万葉集」の時代より)


大江があげた歌。まず、天智天皇の弟、大海人皇子(後の天武天皇)は、先に彼自身の妻であり、後に天皇に嫁した額田王に、狩り場で言い寄り、袖を振って合図します。額田王は歌をつくっていう、

あかねさす紫野行き野守は見ずや君が袖振る(巻1、21)

大海人皇子の答えは次のようです。

紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも(巻1、21)


7世紀の貴族支配層は、一方では、それ以前の集団的な歌謡を定型化して儀式用の長歌を発達させ、他方では、個人的な感情表現としての叙情詩をつくり出した。後者の主な形式は、短歌であり、内容は身辺の風物に託して妻・恋人への思慕を述べるものであった。その頃すでに大陸文化の輸入は、さかんに進められていたが、外来思想の影響は深く浸透して叙情詩にあらわれるようなものではなかった。・・・大陸文化、殊に儒・仏・神仙思想との接触も、その構造を、少なくとも「万葉集」の時代に、変えるものではなかった。(第1章「万葉集」の時代より)


「加藤周一自選集」について。「遠くて近きもの、近くて遠きもの」とは何か。核兵器に反対すること、戦争に反対すること。必ずしも反核が反戦と一緒ではなかった。枕草子に「ちこうて・・・」とあります。核兵器に対する「抑止」という考え方、、「核兵器には反対しないが戦争には反対する」のが一般的な日本人の考えですが、加藤はすべての核兵器に反対することでなければならないと言いました。反戦と反核は「遠くて近きもの、近くて遠きもの」。核兵器も原子力発電も、同じ核分裂をともないます。同じように反対しましょう、と加藤は言います。全てを無くすという体制を作らないといけないというのが加藤の考え方です。私にとっては、一緒に行動してきたものとしては、少しでも加藤の考え方を伝えたいという原動力として、反戦と反核は遠いようで近いものなのだ、と大江は言い締めくくりました。


連続講座「知の巨匠―加藤周一ウィーク」

2010年9月18日~9月26日

敗戦直後に本格的な文筆活動を開始されてから60数年、加藤周一氏は不偏不党、たゆみなく精神の自由に徹した発言をつらぬいてこられました。激しく揺れ動く世界の動向の理非を問い、そのなかで現在・未来にわたって日本のあるべき姿について、独自の思考を磨いてこられました。また古今東西の文学、演劇、美術、音楽の最良のものに親炙して、人類の創りあげてきた文化の蓄積を探るとともに、日本文化の産みだしてきた洗練された伝統を精緻に分析してこられました。闊達に視野をひろげながら個々の対象をこまやかに見つめ、つねに普遍性を失わぬ精確な言葉で語られた業績から何を学ぶべきか、何を継承すべきか。数多くの方々とともにそれを考える機会とするため、世田谷文学館では連続講座「知の巨匠―加藤周一ウィーク」を開催いたします。世田谷文学館館長 菅野昭正


「世田谷文学館」ホームページ


とんとん・にっき-katou3 「日本の内と外」

定価:1500円

昭和44年10月1日第1刷

昭和52年7月10日第6刷

著者:加藤周一

発行所:株式会社文藝春秋

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「日本文学史序説 上」

1999年4月8日第1刷発行

2009年5月10日第10刷発行

著者:加藤周一

発行所:株式会社筑摩書房

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「日本文学史序説 下」

1999年4月8日第1刷発行

2009年3月30日第8刷発行

著者:加藤周一

発行所:株式会社筑摩書房