大江健三郎の「﨟たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」を読む! | とんとん・にっき

大江健三郎の「﨟たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」を読む!


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「大江健三郎は、現存する、最大の顰蹙(ひんしゅく)作家である、とぼくは考える。例えば、戦後民主主義へのナイーヴな信頼や、政治的アクションへの止むことのない参加は、高度資本主義下の日本人の多数にとって、顰蹙ものである。さらに顰蹙を買うのは、その作品だ。外国の作家や詩人の引用ばかりじゃないか、自分と自分の家族や友人と自分の過去の作品について書かれても興味持てないんですけど・・・等々」と書くのは、高橋源一郎です。これは大江健三郎の「さよなら、私の本よ!」についての「書評」の冒頭部分です。


高橋は続けて「だが、真に顰蹙を買うべきなのは、もっと別のことだ、とぼくは考える」と言います。大江の作品は「あらすじ」に従って「読まれる」ことを拒否している、そして、作中人物に「本気」はあるのか、あるとしたら、それは何なのか、「過激な煽動と真摯な問いかけと悲痛な叫びに滑稽さ」、そのどれが「本気」なのかと読者を悩ませる。「だが、小説とは、そういうものではないのか?苦しみつつ、作品の解読を通して、作者さえ知らないものを見つけ出すのが、小説を読む、ということではないか」と問いかけます。「だとするなら、小説への信だけは失わぬ大江健三郎は、世界がどのように変わっても、ただ一人、小説を書き続けるに違いない。それ故に、ぼくは、彼を最大の顰蹙作家と呼ぶのである」と、最大の讃辞をしています。


「取り替え子」「憂い顔の童子」「さようなら、私の本よ!」の三部作に続く、大江健三郎の「﨟(らふ)たしアナベル・リイ 総毛(そうけ)立ちつ身まかりつ」を読みました。「大江健三郎について」を書いたのは、2005年10月でした。それ以来、久しぶりの大江の作品です。姜尚中の「在日」をこのブログに書いたときにはもう読み終わっていました。しかし、なかなか文章化できない日が続き、あいだを置いてまた読んでみました。高橋源一郎が書いた書評を見つけて、僕が感じていたことに近いので、始めに載せておきました。「﨟たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」、なんとも奇妙なタイトルがついているこの作品、三部作と今回描かれている世界は、地続きの印象が強い作品です。


大江が松山高校時代から愛読する19世紀アメリカ・ロマン派作家ポー晩年の名詩「アナベル・リイ」(1849年)に、日夏耿之介(ひなつこうのすけ)の名訳に従っています。小説には「ハンバートの手首をはさんだりゆるめたりする、アナベルの膝」がでてくるそうです。この美少女アナベルは、ロシア系アメリカ作家ナボコフの書いた「ロリータ」(1955年)へと受け継がれているそうです。「薄物のワンピースの下は何もつけていない」と「ロリータ」に書かれているそうです。しかし、この二作、僕は読んでいないので、詳しいことはわかりません。先行する海外の文学作品を読み解きながら、それらとの対話を繰り返すようにして、大江健三郎は独自の新しい小説世界を創り上げてきた実績を持ちます。今回もまた、「世界文学の最高峰」に、ノーベル賞作家が挑戦したものと言えます。


「私は若い時から、エリオットやオーデンの詩句をひとり翻訳してみてきた。まず、逐語訳することを心がける(当然、原詩より長くなる)。それを短くする。自分の散文のスタイルとは別だが、意識して、できるかぎり口語的にする。そのうち、自分のなかから出てくるのではない、新しい響きの声が聞こえてくることがある。私は少しずつではあるが、自分の文体の作り直しをみちびかれた。あれに似ている・・・」と、作中で創作の秘密を語っている個所があります。


「あらすじ」に従って「読まれる」ことを拒否している大江の作品ですが、この作品は序章と4章で今現在を、第1・2・3章では30年前の現在を描く、という構成になっています。序章で、息子の光と歩行訓練していた私は、英国風に発音する日本人の英語で声をかけられることで始まります。
――What! Are you here?
――なんだ、君はこんなところにいるのか、……ということかい?
――その通りの言葉を返すだろうと思ってね、仕掛けてみた。
――相変わらずだね、様ざまな意味でさ。何年ぶりだろう?
――30年ぶりだ、と眉の間の白皙(はくせき)の皮膚に皺を寄せていって(それも昔通り)黙り込むと、こちらを測るようにしていた。


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声を掛けてきた相手は木守有(こもりたもつ)。私とは駒場の大学で知り合いです。30年前のこと、国際的な映画プロデューサーとなった彼は、戦後すぐに製作された映画「アナベル・リイ」に主演した元少女スターのサクラさんを主演にして、ドイツの作家クライストが19世紀初頭に執筆した小説「ミヒャエル・コールハースの運命」を映画化するという計画を持っています。この生誕200年記念映画を日本で撮るべく、シナリオを私に依頼します。しかし、撮影スタッフの「チャイルド・ポルノ」スキャンダルでこの計画は頓挫します。以来30年ぶりに現れた木守の目的は、サクラさんを主演に、シナリオを私に、同じ三人で一度はついえたその映画の製作をやり直すことでした。サクラさんは幼くして孤児になりますが、アメリカ人デイヴィッド・マガーシャックに引き取られ、今や国際的な大女優です。


ミヒャエル・コールハースとは、16世紀のドイツのブランデンブルグ生まれの博労です。彼が隣国のサクソニヤを通過しようとした時、通過証がないことで、不当な扱いを受けます。さらに彼を助けようとした愛妻も悲惨な仕打ちを受けて殺されます。その理不尽さに怒ったコールハースは武装蜂起をしますが、最後は死罪となり、公開処刑で車裂きの刑を受けることになります。

それを作家の私がシナリオ化にすることになりますが、自らの故郷である四国で実際に起こった百姓一揆に置き換え、コールハース役を女性に振り替えるという構想を練ります。四国の森には、維新の前後に渡って百姓一揆を指導し、最後は獄死する「メイスケさん」、そして、復讐の念に燃え、泣き叫ぶ女性像として、御霊としての「メイスケ母」がいます。サクラさんはこの「メイスケ母」、それこそが自分の求めていたキャラクターだという。一度はスキャンダルで挫折した計画も、30年の歳月を経て、製作を再開します。


松山のアメリカ文化センターで、私が塙吾良と一緒に見た、サクラさんの映っているディヴィッドが撮った8ミリ映画、この謎を解く経過は良質のミステリーのようでもあります。「私らは・・・とくに私は白い寛衣の少女に夢中になりました」。吾良からもらったランボウ詩集の原書にははさんであったのは小さな写真でした。「スチール写真の少女は全裸で、片足を曲げており、股間にまったく剥き出しの単純さの黒い点(というより穴)が見えた・・・」。サクラさんのショッキングな過去が少しずつ明らかにされていきます。「ポーのアナベル・リーで、少女と彼女を愛している若者は、ことに及んだのでしょうか?それとも指を蜜の露に濡らしたり、笏にさわってもらったりした程度ですか?」と、柳夫人は私に問いかけたりします。


高校二年で転校して行った市国の松山の本屋で、偶然手に取った本が岩波新書の「フランス・ルネサンス断章」、著者の名がその後大江の恩師となる渡辺一夫だったこと。文化的に早熟だった美少年、塙吾良との出会い。詩人金芝河の無罪釈放を求めるハンストについては、姜尚中の「在日」のところで書きました。仏文からNHKに行った男がフランス女優との「いろごと」を書いてクビになった男、彼もハンストに加わっていたという。「私の生家は、内閣印刷局に紙幣用紙を漉く原料として、三椏を納入することを家業としていた」と私はいいます。その母親や、祖母、祖母と母はメイスケさんの反乱を芝居にしたのでした。そして私の妹のアサさん。塙吾良、その妹の私の妻、塙吾良は「かれはやがて私が結婚することになった家内の兄で、つまり映画監督の息子なんです」。そして私の息子の光。


 「残酷な事実をサクラさんに直視させるのはむごいと、僕に似た作中の作家は憤慨する。でも木守は直視して乗り越えろと言い張りますね。20世紀の文学が書き続けてきたのもそのことでした。人間はいかなる罪、傷からも意志をもって回復し得る」と、大江は言います。


「巻かれた毛糸玉の糸の端をたぐりだせば、玉はころがり手にした糸は伸び、伸びゆく糸は川のように長い軌跡を描きはじめる。そのように、この小説の中のできごとは起こってゆく」と、川上弘美は「書評」でいう。「こんなにもさまざまに思ったのは、この小説がとても具体的だからなのだと思う。読みおわり、私はとても大きくて正確なメッセージを聞きとめた。けれどそれだけでなく、雑音のように響くたくさんの自分自身の思いも聞きとめた。えがたい時間だった。小説。この奇妙なもの。いつまでもなくならないでほしいと思う。切実に」と。


深いパウダーピンクに少女の裸像が浮かぶ装丁も、「ロマンティックな小説は書いたことがない」大江の著作としては異色なものです。大江の推薦文を表紙に刻印した、エドワード・サイードの遺著「晩年のスタイル」の邦訳が出版されました。「日本語版を読み返すと、長いつきあいだった僕宛ての個人的メッセージがいくつも読みとれた。晩年のスタイルとはどういうものか。彼の励ましを受け取りながら、“最後のスタイルの小説”への準備を続けてきました」と彼は言う。いずれにせよ「﨟たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」は、大江健三郎の「後期の仕事(レイター・ワーク)」の新境地であることは間違いないように思われます。



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