東京都庭園美術館で「ロシア構成主義のまなざし」展を観た! | とんとん・にっき

東京都庭園美術館で「ロシア構成主義のまなざし」展を観た!






東京都庭園美術館で「ロシア構成主義のまなざし」展を観てきました。ロシア構成主義については、ほとんど何も知らないし、もちろん何も影響を受けたこともありません。と、断言できるかどうか、「ロシア構成主義のまなざし」展を観て、逆に、もしかしたらけっこう影響を受けていたのではないかと思うほど、出されていた作品を観ると思わざるを得ませんでした。


たしかに僕らの時代は、モダニズム全盛の時代でしたから、学校でもデザイン教育はバウハウス一辺倒の時代でした。それでも1915年のマーレヴィッチによる「シュプレマチズム(絶対主義)宣言」の発表、絶対的に純粋な幾何学的抽象芸術の創造を開始したことや、タリトンの建築作品の代表作である「第三インターナショナル記念塔計画案」、リシツキイのモスクワの環状道路の交差点に跨って建つ「高層住宅(雲の支柱)」は、建築史の教科書で紹介されたことは知ってはいます。ほかに、メルニコフの「ルサコフ・クラブ」や、ゴロゾフの「モスクワ市従業員クラブ」が構成派建築の成果とされています。


しかし、いずれにしても正規の建築教育ではロシア構成派はほとんど触れることがなく素通りしてしまったというのが実情です。いまから思うと、イギリス人建築家ジェームス・スターリングが、ロシア構成派の建築の形態を引き継いでいたと思えるかもしれません。とりあえず「ロシア構成主義とは何か?」ということで、「ウィキペディア」に、以下のように載っていました。


ロシア構成主義とは、キュビスムやシュプレマティスムの影響を受け、1910年代半ばにはじまった、ソ連における芸術運動。絵画、彫刻、建築、写真等、多岐にわたる。1917年のロシア革命のもと、新しい社会主義国家の建設への動きと連動して大きく展開した。その特徴は、抽象性(非対象性・幾何学的形態)、革新性、象徴性等である。平面作品にとどまらず、立体的な作品が多いことも、特徴の1つである。1920年代後半には、スターリンの下でソ連政府が保守化し、社会主義リアリズムが重視されて、ロシア構成主義は衰退した。これに伴って、一部の作家がソ連から西欧へ逃れたこともあり、遅くとも1930年代には、ロシア構成主義は、国際的に広まった。この段階においては、「国際的構成主義」と呼ばれることもある。また、1930年代の抽象絵画に与えた影響も大きい。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


「ロシア構成主義のまなざし」展の、会場の構成は「作品リスト」をみると、以下の通りです。

・絵画

・グラフィック(線描画)

・建築

・空間構成

・デザイン

・演劇

・写真

・印刷物(本、ポスター、広告)


ロトチェンコ(1891-1956)とステパーノワ(1894-1958)は、1914年、ともに学んだカザンの美術学校で出会います。ロトチェンコは卒業後モスクワに出ますが、やがてステパーノワも卒業を待たずしてロトチェンを追ってモスクワに出ます。二人は共同生活を始め、絵画の革新に邁進します。ロトチェンコは理知的で禁欲的でしたが、ステパーノワはあかるく陽気で感覚的でした。1920年代に写した写真が残っていますが、それを見るとロトチェンコは活力に満ちて強い意志を感じますが、ステパーノワは優しげで自由な精神の持ち主に見えます。


革命後の激変する社会の中で、彼らはプロレタリアの生活向上のために何ができるのかを真剣に考えます。当初は共同で一つの作品に取り組むこともありましたが、次第にそれぞれの個性を活かして、得意な分野でそれぞれに作品を作り続けました。ロトチェンコは、建築、日用品のデザイン、装丁やポスター、写真など、ステパーノワは、服や布地、印刷物のデザインの分野でそれぞれ力を発揮しました。


それにしても今回展示された彼らの作品を観る時、絵画、グラフィック、建築、空間構成、デザイン、演劇、写真、印刷物など、生活のありとあらゆる分野の仕事にかかわり、作品として残したことは、見事というほかありません。しかも、当時の時代的な背景が如実に現れていることに驚かざるを得ません。たしかにいまから見れば「古くさい」と感じざるを得ないこともありますが。


それはさておき、例えばポスターですが、ロトチャンコの「レンギス(国立出版社レニングラード支部)あらゆる知についての書籍」1924年を観ると、女性が大きな口を開けてなにやら叫んでいます。漫画の吹き出しのように文字がだんだん大きくなるレイアウトで、メガホンのようにも見えます。こんなポスターを僕も小学生の頃、描かされた記憶があります。一つ一つタイトルを読むと、新しい社会の建設を目標にしていたことがよく分かります。「当社の株主でなければソ連国民とはいえません」、「労働者たちよ、物価高とネップ(新経済政策)を恐れるな」、「印刷は我らが武器」、「デパートは心と体、知性に必要な物すべてを人々に提供します」、等々、共産主義社会の明るい未来を謳っていることには、時代を感じさせます。


さすがに「建築」や「空間構成」はちょっと首を傾げざるを得ないものですが、インテリアや家具はいまでも十分通用するのではないでしょうか。圧巻だったのは「写真」でしょう。ゼラチン・シルバー・プリントで、見事なアングルで写された作品が、数多く出されていました。映画「戦艦ポチョムキン」のポスターの横に立つロトチャンコ(1926年)という作品も出ていました。いずれにせよ今回僕は、プーシキン美術館とロトチェンコ・ステパーノワ・アーカイヴ所蔵の作品約170点を観て、大いに刺激を受けたことはたしかでした。

















「ロトチェンコ+ステパーノワ ロシア構成主義のまなざし」展

20世紀初め、芸術革新の機運がヨーロッパのあちこちで起こります。ロシアも例外ではありません。1910年代半ばには、具体的な対象がまったく描かれない、いわゆる「無対象絵画」を制作したカジミール・マレーヴィチ(1878-1935)や、木や鉄やガラスなどの素材を組み合わせ、レリーフ状の作品を制作したウラジーミル・タトリン(1885-1953)の手で、西欧諸国以上に過激な作品が生まれてきます。1917年に勃発したロシア革命は、さらにこの動きに拍車をかけます。ボリシェヴィキによる革命は専制政治を打ち倒し、労働者と農民の手に権力を奪取し、新しい社会を作ろうとするもので、世界中に衝撃を与えました。芸術家たちもそうした時代に呼応するかのように、芸術の革命を目指し、突き進んでいったのです。かれらは絵画の革新を推し進める一方で、芸術の世界のみに閉じこもることなく、生産の現場とつながり、積極的に社会と関わり、日常生活のなかに芸術を持ち込もうとします。この新たな動向、「構成主義」を担った芸術家こそ、アレクサンドル・ロトチェンコ(1891-1956)とその妻であり、芸術上のパートナーであったワルワーラ・ステパーノワ(1894-1958)でした。かれらが何を見つめ、何を目指し、何を夢見たかを、ロシア国立プーシキン美術館とロトチェンコ・ステパーノワ・アーカイヴ所蔵のふたりの作品170点により紹介します。


「東京都庭園美術館」ホームページ


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