カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」を読んだ! | とんとん・にっき

カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」を読んだ!

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カズオ・イシグロの長編第1作、「遠い山なみの光」(ハヤカワepi文庫、2001年9月15日発行 2008年6月15日二刷、定価:本体700円+税)を読みました。長編第5作目の「わたしたちが孤児だったころ」を読んだ時に、以下のように書きました。


今まで僕が読んだカズオ・イシグロの作品は、「関連記事」に挙げた通り、長編第3作の「日の名残り」、第6作の「私を離さないで」、第2作の「浮世の画家」、そして最新刊の短編集「夜想曲集」の4冊です。これでまだ読んでいないものは1982年デビュー作の「遠い山なみの光」と、1995年第4作の「充たされざる者」の2冊を残すだけになりました。この2冊は随分前に買ってはあるのですが、なにしろ「充たされざる者」は940ページもある分厚い文庫本なので、読み始めるのに怖じ気づいています。


従って、今回「遠い山なみの光」を読んだので、カズオ・イシグロの作品で読んでいないのは、第4作目の「充たされざる者」だけとなりました。ただこれは940ページもあり、いつになったら読めることやら、今のところ見当が付きません。カズオ・イシグロがイギリスで作家として認められたのは、「遠い山なみの光」が王立文学協会賞を受賞した時であると、小野寺健は巻末の「訳者あとがき」で述べています。2作目の「浮世の画家」では、ブッカー賞に次ぐウィットブレット賞を受賞、3作目の「日の名残り」では英国最高の賞であるブッカー賞を受賞し、カズオ・イシグロはとんとん拍子に作家の道を歩んできた、というわけです。


「遠い山なみの光」「浮世の画家」「日の名残り」の3作の共通したテーマを小野寺は、「価値観の転換期に遭遇した人物が、心の中で自分の過去をどう精算すればよいかに悩むもの」と述べています。「浮世の画家」は、第二次世界大戦中は軍に協力して大家の地位にあったのに、敗戦と共に没落した老画家の苦悩を描いています。「日の名残り」は、戦時中にナチに協力したことが、戦後には売国奴と罵られ、失意の内に死んでいく貴族に仕えた老執事の物語です。


本の裏表紙には、以下のようにあります。

故国を去り英国に住む悦子は、娘の自殺に直面し、喪失感のなかで自らの来し方に想いを馳せる。戦後まもない長崎で、悦子はある母親に出会った。あてにならぬ男に未来を託そうとする母親と、不気味な幻影に怯える娘は、悦子の不安をかきたてた。だが、あの頃は誰もが傷つき、何とか立ち上がろうと懸命だったのだ。淡く微かな光を求めて生きる人々の姿を端正に描くデビュー作。王立文学協会賞受賞作。「女たちの遠い夏」改題。


「遠い山なみの光」のばあいは、語り手でヒロインでもある悦子の生涯は、もっと大きな時代環境の変化を背景に、長女景子の自殺という犠牲も払った後、英国人の夫との娘ニキによってほぼ完成する女性の自立というテーマが、全体を貫く一本の強い線となって作品を纏めているが、緒方さんと佐知子母娘という価値観の変化による典型的な犠牲者のテーマも含んでいて、その点では次の2作のテーマにもつながっている。(訳者あとがきより)


長編デビュー作ということで、テーマが後の2作に比べてかなり欲張っていると、小野寺は言います。つまりは「処女作には作家のその後のすべてが詰まっている?」というわけです。舞台の一方は過去、敗戦後の長崎、もう一方は現在、イギリスです。イギリスの悦子と長崎の悦子の内的な会話がこの話の骨格であると、池澤夏樹は述べています。カズオ・イシグロの小説では、いつも主人公の過去が大事な要素であり、主人公はしばしば過去の自分と今の自分を重ね合わせてものを考えると、続けています。


この話の中心に位置するのは悦子と佐和子の仲です。イギリスに渡って数十年を経て景子を失った悦子は、その景子を身ごもっていた長崎時代にたまたま知り合った佐和子という女の当時の思いにようやく共感できるようになります。かつては奔放で危なっかしくて不道徳にさえ見えた佐和子の生き方に、今は自分を重ねることができるようになります。


長崎における悦子と佐和子の会話は共感的には運びません。生活も夫との仲も安定している妊娠中の悦子と、娘を抱えて浮気なアメリカ人の愛人に未来を託している佐和子では立場が違います。2人の会話は実は会話になっていません。それぞれに自分の社会的なポジションを確認するために、相手に向かって言葉を発するばかりであると、池澤夏樹は述べています。


「子どもとくだらない夫に縛られて、惨めな人生を送っている女が多すぎるわ」とニキは言います。「それでいて、勇気を出して何とかすることができない。そのまま一生を終わっちゃうのよ」と。そして「どうせお母さまには、わたしの言ってることなんかわかりゃしないんだから」と言い放ちます。娘たち2人は、そろってかんしゃくもちで、執着心が強い子どもでした。それなのに、一人は明るく自信のある女になり、一人はどこまでも不幸になっていったあげく、自ら命を絶ったのでした。


「なぜ結婚しなくちゃならないの。バカげてるわよ。お母さま」とニキは言います。「女はもっと目をさまさなきゃだめよ。みんな、人生はただダ結婚してうじゃうじゃ子どもを生むものだと思っているけど」とニキは続けます。「お母さま、今でもよく日本のこと考える?」とニキが言うので、「そうね、いくつか思い出はあるわ」と悦子は長崎の港の風景を思いながらニキに答えます。


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