カズオ・イシグロの「日の名残り」を読んだ! | とんとん・にっき

カズオ・イシグロの「日の名残り」を読んだ!

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中央公論社から刊行されたカズオ・イシグロの「日の名残り」を読みました。原題は「The Remains of the Day」、この本、買った経緯がどうしても思い出せません。と思って、カバーをはがして裏表紙を見たら、ブックオフの105円のシールが貼ってありました。たぶん2、3年前にブックオフで105円で買って、カバーをかけて、そのまま積んでおいて、読まないまま過ぎてしまったんですね。先日、この本が読まないままにあることを知り、読んでみました。今思い出すと、「プロローグ」だけは読んだ記憶がありました。奥付を見ると、1990年7月7日初版発行、1990年8月1日再版発行となっています。今から18年も前の本なのですね。もちろんこの単行本、新品同様です。どうしてこの本が105円なのか?今思うと不思議でなりません。


実はたしか4、5年前に、テレビの深夜番組で偶然、映画「日の名残り」を観ました。今調べてみたら、1993年にジェームズ・アイヴォリー監督で映画化されたもので、主演はアンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンでした。僕は、どのような内容の映画なのかも知らないでテレビで観て、感動のあまり知人にその映画の「あらすじ」を熱を込めて話したことを、今思い出しました。まあ、それはそれとして、本の話。


本の帯の表には「カズオ・イシグロは明晰かつ端正な文体で名高いが、僕はかれの粘り強い知性に驚く。新しい大才というほかない。」と大江健三郎の「賛」があり、「英国最高の文学賞 ブッカー賞’89年受賞作」とあります。そして帯の裏には、「人生の終わりに近づいた謹厳な老執事が始めての一人旅で回想する古き良き時代のイギリス。執事であった父親の威厳にみちた姿、女中頭に抱いた淡い恋、献身的に仕えたダーリントン卿のこと。ノスタルジーと諦観が美しい田園風景に溶けこみ、静かな感動を呼びおこす。現代イギリスを代表する日系人作家の話題作」とあります。


イシグロは、ほとんど日本語を解さないという。「1954年、長崎で海洋学者の家庭に生まれ、5歳のとき両親とともに渡英して、以来30年間をイギリス社会に暮らしている。その間、一度も日本に帰ったことはなく、すべての学校教育をイギリスで受け、83年には国籍もイギリスに移し、その後イギリス人女性と結婚して、完全にイギリス人としての生活を送っている」と、この本の訳者、土屋政雄は「訳者あとがき」に書いています。従って、イシグロは「アイデンティティの危機は感じたことはない」とも語っています。ですから第二の母語として書かれた、例えば、イーユン・リーの「千年の祈り」や、最近芥川賞を受賞した楊逸の「時が滲む朝」とは、同列には比較できません。


そんなイシグロですが、第一作の「女たちの遠い夏」(1984年)や第二作の「浮世の画家」(1988年)では、「住み慣れたイギリスではなく、幼い頃の記憶しかないはずの日本に設定」してあるところが興味深い。満を持して、というか、第三作目で始めてその舞台を自国イギリスを選び、イギリス貴族の生活とそれを支える「執事」を主人公に据えています。古き良き時代の遺物である「執事」という職業、「時代錯誤」であることは言うまでもありませんが、「過去の、神話的なイギリスに対するノスタルジア」に浸り、楽しんで書いたとイシグロは言います。


第2次世界大戦が終わり数年経った1956年の「現在」、主人公のスティーブンスが1920年代から1930年代にかけての、ダーリントン卿に仕えていた時代を回顧することで進みます。現在は、ダーリントン卿の亡き後、ダーリントンホールを買い取ったアメリカ人の富豪ファラディ氏に仕えています。しかし、ファラディ氏に売り渡された際に、多くの有能なスタッフたちが辞めていき、ダーリントンホールは恒常的な人手不足を抱えていました。そんな時に、かつて共に働いていたベン婦人から手紙が届きます。手紙には現在の彼女の悩みと共に、昔を懐かしむ言葉が綴られていました。


もしも可能であれば彼女に職場に復帰してもらうために、スティーブンスはファラディ氏の勧めもあって、ファラディ氏の車を借りて、イギリス西岸のクリーヴトンへとベン婦人に会いに旅に出ます。ベン婦人とは、ダーリントン卿が健在な頃に、スティーブンスと屋敷を切り盛りしていた女中頭のミス・ケントンでした。旅の道すがら、スティーブンスが思い出すのは、敬愛する主人・ダーリントン卿が健在だった頃の、ダーリントンホールのことばかりでした。


「偉大な執事とは何か?」、スティーブンスは、自分の父親の執事生涯からのエピソードを例に出しながら「品格」を語ります。「品格の有無を決定するものは、自らの職業のあり方を貫き、それに堪える能力だと言えるのではありますまいか」と、持論を述べたりします。スティーブンスには、「名家に雇われて」35年の歳月をダーリントン卿に捧げたという自負があります。「執事はイギリスにしかおらず、ほかの国にいるのは、名称はどうであれ単なる召使いだ、とはよく言われることです。大陸の人々が執事になれないのは、人種的には、イギリス民族ほど感情の抑制がきかないからです」とも述べています。


ベルリン訪問の感想をスティーブンスが聞くと、ダーリントン卿は「敗れた敵をあんなふうに扱うのは、わが国にとって不名誉このうえない。わが国の伝統とは相容れないやり方だ」と答えます。ドイツに対する寛大な戦後処理を欧米各国に求めて飛び回り、ドイツ救済策が結実しますが、ダーリントン・ホールで開催された会議の席上、「このお屋敷の主人、たしかに紳士だ。上品で、正直で、善意に満ちている。だが、しょせんはアマチュアにすぎない」との発言がアメリカ代表からあります。「卿はアマチュアだ。そして、今日の国際問題は、もはやアマチュア紳士の手に負える問題ではなくなっている。・・・善意から発してはいるが、ナィーブなたわごとばかりだ。ヨーロッパがいま必要としているものは専門家なのです。大問題を手際よく処理してくれるプロこそが必要なのです」。時代は大きく変わっていきます。


スティーブンスは、ダーリントン卿の名親であり、婚約中の23歳のレジナルドに「生命の神秘」を教える仕事を頼まれたりもします。滞在する客人のことを考えて、「ダーリントン・ホールには、ユダヤ人の召使いを置かないことにする」というダーリントン卿の発言があり、スティーブンスは自分の本心にかかわらず、ミス・ケントンに向かって、ユダヤ人の女中を二人解雇するように言いつけます。そのことでミス・ケントンから猛反発を受けます。1年以上も過ぎてからダーリントン卿から「あれは間違っていた」と言われるのですが。ミス・ケントンにそのことを伝えると、「ミスター・スティーブンス?なぜ、あなたはいつもそんなに取り澄ましていなければならないのです?」と言われたりもします。


「この電球は、あなたが読書なさるのには暗すぎますわ」と、自由時間を楽しんでいるスティーブンスの部屋に入ってきて、ミス・ケントンは言います。何を読んでいるのか教えてくれとも言います。読んでいる本が「おセンチな恋愛小説」だとも言われてしまいます。この小さな出来事以来、「ミス・ケントンと私の関係が、いまや――とうてい適切とは呼べないものになったということ、そして私がそれに気づいたことです」。ミス・ケントンの休暇の取り方が変わり、込み入った話をしても、ミス・ケントンからは気のない相づちしか返ってこなくなります。夜の打ち合わせ会、ココア会議もすることがなくなります。いま思い返すと、「二人の関係は長い間に変わっていただろう」と、何かにつけて考えたりもします。「あのとき私が折れていたら、二人の関係はどうなっていたでしょうか」と思うようになります。


ミスター・スペンサーとのやりとり「さて、執事殿、君に尋ねたいことがある」と言われますが、私に期待されているのは、明らかに、この質問に当惑して見せることに違いないと考えたスティーブンスは、「この問題につきましては、お役に立つことはかなわぬかと存じます」と返事をします。何度も執拗に同じことを言われ、その都度スティーブンスは同じように答えます。「それなのに、われわれは国の意志決定を、この執事や、その数百万のお仲間に委ねようと言い張っている」、この発言に大きな笑い声が起こります。


これに対して「執事の任務は、ご主人様によいサービスを提供することであって、国家の大問題に首を突っ込むことではありません。・・・大問題を理解できない私どもが、それでもこの世に自分の足跡を残そうとしたらどうすればよいか?自分の領分に属する事柄に全力を集中することです。文明の将来をその双肩に担っておられる偉大な紳士淑女に、全力でご奉仕することこそ、その答えかと存じます」と、スティーブンスは思います。


リトル・コンプトンのローズガーデン・ホテルで、スティーブンスとミス・ケントンは再会し、二人はたちまち昔を思い出しながらあれこれ話し合い、笑い合うまでになります。しかしミス・ケントンは、別れ際にスティーブンスに「結局、時計をあともどりさせることはできませんものね。架空のことをいつまでも考え続けるわけにはいきません」と言います。ミス・ケントン、いやミセス・ベンのこの言葉に、スティーブンスの心は張り裂けんばかりに痛んでいました。


スティーブンスが桟橋のベンチに座ってミス・ケントンとの再会の想い出にふけっていると、横に座った男が話し始めます。つい身分を明かして、過去の良き時代の執事だったことを話し始めるスティーブンス。「ダーリントン卿は・・・人生で一つの道を選ばれました。私は選ばずに、卿の懸命な判断を信じました。自分の意志で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょうか?」と、自己否定の言葉を発します。男は「わしに言わせれば、あんたの態度は間違っとるよ。いいかい、いつも後ろをばかり向いてるから気が滅入るんだよ」、そして「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。夕日がいちばんいい。わしはそう思う」。男が立ち去ってから、まわりを見渡すと楽しげに笑い合っています。次々に冗談を言い合っています。


男の忠告に真実が含まれてると、スティーブンスは思います。「私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力をつくそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうあれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚える十分な理由となりましょう」と思うに至ります。スティーブンスが現在仕えているのはアメリカ人の富豪・ジョン・ファラディです。「本腰を入れて、ジョークを研究すべき時期にきているのかもしれません。人間どうしを温かさで結びつける鍵がジョークの中にあるとするなら、これは決して愚かしい行為とは言えますまい」と思うようになります。そして「明日ダーリントン・ホールに帰り着きましたら、私は決意を新たにしてジョークの練習に取り組んでみることにいたしましょう」と、心を新に決心します。


「日の名残り」、1994年には「中公文庫」から、2001年には「ハヤカワepi文庫」から出ているんですね。「ハヤカワepi文庫」で検索すると、売れてる順番から出てきますが、断然この本がトップです。この文庫本に、丸谷才一が解説を書いていると、読んだことを思い出しました。文庫本は解説も魅力の一つですが、そうなると、文庫本も買わないといけないのか?単行本は中央公論社、文庫は中公文庫、ハヤカワepi文庫、どうしてハヤカワが文庫化したのかは不明です。文庫は書き下ろしもありますが、ほとんどは単行本の文庫化、単行本と違って桁違いの部数が出ることは間違いなしです。ですから各社、あの手この手で文庫の出版には力を入れています。文庫化のピッチも早くなっています。「ハヤカワepi文庫」からは最近、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」という新刊が出たようです。