カズオ・イシグロの「浮世の画家」を読んだ! | とんとん・にっき

カズオ・イシグロの「浮世の画家」を読んだ!

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カズオ・イシグロの「浮世の画家」を読みました。僕はカズオ・イシグロの作品は、「日の名残り」「わたしを離さないで」に続いて、3冊目になります。「日の名残り」は、1989年、英国最大の文学賞であるブッカー賞を受賞して、カズオ・イシグロは一躍国際的作家となります。「わたしを離さないで」は、英米文学研究者の柴田元幸は、「個人的には、現時点でのイシグロの最高傑作だと思う」と語っています。「浮世の画家」は長編デビュー作「遠い山なみの光」に続いて、イシグロの長編2作目の作品です。つまりイシグロの代表作「日の名残り」の前作となります。


「浮世の画家」、本のカバーには、次のようにあります。

戦時中、日本精神を鼓舞する作風で名をなした画家の小野。多くの弟子に囲まれ、多いに尊敬を集める地位にあったが、終戦を迎えたとたん周囲の目は冷たくなった。弟子や斬りの息子からはそしりを受け、末娘の縁談は進まない。小野は引退し、屋敷に籠もりがちに。自分の画業のせいなのか・・・。老画家は過去を回想しながら、みずから貫いてきた信念と新しい価値観のはざまに揺れる。


「浮世の画家」とは、主人公・小野が、師匠であるモリさんに宣言する場面で出てきます。「先生、現在のように苦難の時代にあって藝術に携わる者は、夜明けの光と共にあえなく消えてしまうああいった享楽的なものよりも、もっと実体のあるものを尊重するよう頭を切り替えるべきだ、というのがぼくの信念です。画家が絶えずせせこましい退廃的な世界に閉じこもっている必要はないと思います。先生、ぼくの良心は、ぼくがいつまでも〈浮世の画家〉でいることを許さないのです」と。


イシグロの作品は読んだ後、文章にするのが凄く困難な作品ばかりです。「わたしを離さないで」の時には書き続けられないで、(続く)として、途中で止まってしまいました。全編、とりとめのない話が長々と続くからです。さすがにラストは、種明かしのように書き進められますが。「ハヤカワ文庫」から出ているので、「ミステリー」だと言い張るつもりはありませんが、それにしてもやたら思わせぶりで謎めいた書きっぷりで進んで行くのが、イシグロの作品の常です。



その辺りについて「わたしを離さないで」の解説で、柴田元幸は次のように述べています。

静かで端正な語り口とともにはじまって、いかにもありそうな人間関係が丹念に語らえるなか、作品の奇怪なありようが次第に見えてくる。そして、世界の奇怪さが見えてきたあとも、端正な語りから伝わってくる人間的切実さはますます募っていき、もはや他人事ではなくなっているその切実さが我々の胸を打ち、心を揺さぶる。決してあわてず、急がず、じわじわと物語の切迫感を募らせていくその抑制ぶりは本当に素晴らしい。


以上はあくまで「わたしを離さないで」についてであって、長編2作目の「浮世の画家」についてすべてが当てはまるわけではありませんが、基本的には同じことが言えるのではないでしょうか。また、この作品は全体的に饒舌だと指摘し、細かい箇所の欠点をあげつらう人も、もちろんいます。カズオ・イシグロは「浮世の画家」と「日の名残り」で、挫折を味わった老人の独善、自己呵責、その克服と、新しい前向きの人生の探究という、内面的葛藤のドラマを見事に描ききった。その底に流れる著者の温かい人間愛は感動的だ、と訳者・飛田茂雄は述べています。


飛田はまた、「日の名残り」が出るまで日本の批評家の多くは、イシグロの作品が評判になった理由として、作品の東洋的情緒をあげていたが、しかし権威ある文学賞の選考委員は、として、以下のように書いています。


それ以上に、普遍的で明確なテーマを、いわば現実の陰影だけで浮かび上がらせるというイシグロ独特の技法を高く買ったのだろう。私は特に、人間の独善性に対する厳しい批判と、年中自己正当化しなければ生きていけない弱い人間に対する深い同情という、一見矛盾するイシグロの精神的志向に注目する。同じような失敗を繰り返しながらも、ある信念を持って前進できる人々に共通しているものは、厳しい父親的な原理と、寛容な母親的な原理との微妙なバランスであろう。



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