松濤美術館で「大正の鬼才 河野通勢」展を観る! | とんとん・にっき

松濤美術館で「大正の鬼才 河野通勢」展を観る!



渋谷区立松濤美術館、設計は白井晟一(1905-1983)です。誰が見ても一風変わっている建築です。なにしろまともな日本での建築教育は受けていません。かえってそれがよかったのかもしれません。ドイツのハイデルベルグ大学で実存主義の哲学者カール・ヤスパースに哲学を学び、その後ベルリン大学へ入学しました。この経歴からもわかるように、白井晟一は「異端の建築家」と呼ばれました。風貌からして「哲学者」です。そして創るものはというと、例えば「松濤美術館」、これを見てもおわかりの通り、そんじょそこらの建築とはわけが違います。まさに建築界の「鬼才」としか言いようがありません。



渋谷区立松濤美術館で開催されている「大正の鬼才 河野通勢(1895-1950)」展へ行ってきました。まさに「大正の鬼才」、「建築界の鬼才」の設計した空間に展示するのがよく似合っています。副題には「新発見作品を中心に」とあります。近年になって、河野通勢の作品群が、震災や戦火に被災することなく、そっくり保管されているのが発見されたという稀なケースです。


とはいえ、僕は河野通勢という名前は、今回松濤美術館で初めて知りました。なにしろ渋谷へ行ったついでに散歩がてら松濤美術館へ行ってみたら、「大正の鬼才 河野通勢」展をやっていたのに、偶然出くわしたというわけです。そこで作品や資料、合わせて約350点が展示されていたからオドロキです。これだけの規模は、まさに大回顧展です。





さて、河野通勢の仕事の対象が幅広いのにはこれまたオドロキです。。スケッチ類、油彩、銅版画、しかもテーマが初期の風景画から聖書を題材とした宗教画まで、西洋画あり日本画あり、そして本の挿し絵や装幀、等々。そして、褌姿のじいさんが歩いている日本の風景に、猪突に「アダムとイブ」など、あるいは「マグダラのマリヤ」や「キリスト誕生」、そして中国の「項羽と劉邦」まで、なんでもあれです。


また、岸田劉生とは相思相愛だったとか、その出会いは岸田劉生が代々木の切り通しを描いている頃、長野から出てきた河野通勢の作品を見て驚いたことからだという。通勢の「自画像」、今回何枚か出ていましたが、似てる似てる、劉生の自画像にそっくりのものがありました。まあ、それはいいとして、夭折の画家関根正二に通勢はかなり影響を与えているとのこと、調べてみたら関根の「死を思う日」の樹木は通勢の樹木に似ているといえば似ていますね。樹木は糸杉の描き方は、やはりゴッホですね。レオナルド・ダ・ヴィンチなどルネサンス絵画の影響は別にして、デューラーの影響を指摘している人が目につきましたが、やはり樹木でしょうか、それともチラシの表紙になっている「聖ヨハネ」でしょうか?いずれにせよ、「聖ヨハネ」や「キリスト誕生礼拝の図」は、日本人ではなかなか描くことは難しいのではないでしょうか。







父河野次郎は高橋由一に学んだといわれ、長野師範学校の初代の美術教師であり、長野市南県町で写真館を営んでいたという。その父親に絵画を学び、また父親の影響で、通勢もハリスト正教の信者だったとか。先日、函館のハリスト教会を訪ねてきましたが、ハリスト教会といえば「イコン」ですね。イコン画家といえば、笠間出身の山下りん(1857-1939)がいますね。時代的にはどうだったんでしょう。やはり山下りんの方が早いですね。奥さんの妹、好子をモデルにした「好子像」、ダ・ヴィンチの「モナリザ」を意識していることは間違いなさそうです。「和服を着たモナリザ」ですね。



過去の関連記事:

松濤美術館で「上海・近代の美術」展を観る!

松濤美術館で「ミネアポリス美術館浮世絵コレクション展」を観る!
「大辻清司の写真 出会いとコラボレーション」展を観る!
白井晟一の「旧秋ノ宮村役場」の記事が!

白井晟一の「渋谷区立松涛美術館」を体感する!