「大辻清司の写真 出会いとコラボレーション」展を観る! | とんとん・にっき

「大辻清司の写真 出会いとコラボレーション」展を観る!


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渋谷区立松濤美術館で「大辻清司の写真 出会いとコラボレーション」展を観てきました。副題に「みる つくる 語る――写真というメディアをめぐって」とあります。大辻清司(1923~2001)は戦後間もない1949年から写真の発表をはじめ、「実験工房」「グラフィック集団」の活動に参加するなど、前衛美術と常に関わりながら、写真というメディアへの思考を深めた作家です。渋谷区に長く在住していたことから、松濤美術館で今回の「回顧展」が企画されたようです。



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大辻清司は、世代的には僕より一世代上に当たります。大辻清司は、名前ぐらいしか知らなくて、どのような写真家だったのか、そういう興味から見に行きました。行ってみると、観たことのある作品が数多くあり驚きました。名前は知らなくても、雑誌の表紙とか、さまざまな分野で同時代的に大辻の作品に接していたようです。なにしろ多面的な活動の成果を残しています。仕事の内容から「モダンな商業写真家」という印象を持ちました。時代的な背景を背負った「モダンデザイン」と通底している印象を持ちました。




これはちょっと伝えるのは難しいのですが、最近若い人と話していると、若い人たちの理解している「モダン」と、僕らの世代の理解している「モダン」が、別物のように思えて仕方がありませんでした。若い人たちは「モダン」をデザインのひとつの形、ファッションとして捉えています。それにしても大辻清司の「写真」は幅広い活動です。






僕が興味を持ったのは、自分の住む「上原」あたりのなにげない町の風景の連作でした。会場に大辻の本棚の原寸写真がありました。その中で、向かって左下に「篠原一男」という本がありました。会場には「別荘」の写真がありました。観たことのある建物の写真でした。そうか、篠原一男の設計した「上原通りの家」は大辻清司の家だったのか、突然思い出しました。篠原一男は石山修武によれば「最左翼の芸術派」と呼ばれています。まあ、前衛的な建築家です。その建築家に別荘と自宅、二つを頼んだ大辻清司。考えてみれば、大辻の仕事も時代の先端で、写真に何が可能かの実験を、生涯続けてきたのではないかと思いました。




渋谷区立松濤美術館

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