篠原一男氏が死去 東京工大記念館の建築家 | とんとん・にっき

篠原一男氏が死去 東京工大記念館の建築家

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「東京工業大学百年記念館」などを手掛け、住宅設計の第一人者として知られる建築家で東京工大名誉教授の篠原一男(しのはら・かずお)氏が15日午後1時13分、川崎市の病院で死去した。81歳。静岡県出身。東京工大建築学科で清家清氏に学び、1970年、同大教授に。「久我山の家」「から傘の家」「白の家」「ハウス・イン・ヨコハマ」など、伝統的な民家が持つ趣と幾何学的に計算された機能美を大胆に融合した作品を発表した。逆ピラミッド形でガラス張りの「熊本北警察署」や、日本浮世絵博物館(長野県松本市)も手掛けた。
共同通信:7月15日

篠原一男は、1925年生まれ。東北大学数学科卒業後、東京工業大学へ入学、清家清に学びます。1953年卒業後、東京工業大学の助手となり、1967年に「日本建築の空間構成の研究」で工学博士、1970年に東京工業大学の教授となります。受賞歴は、1972年日本建築学会賞、1989年芸術選奨文部大臣賞、1990年紫綬褒章、1997年毎日芸術賞特別賞、2000年旭日中綬章、です。いわゆる「篠原スクール」として、伊東豊雄、長谷川逸子や、坂本一成、高橋寛・晶子、を育てました。篠原一男の生涯は、一貫して「前衛」であり、「アバンギャルド」であったといえます。



昭和45年に出版された篠原一男の著作集、「住宅論」(SD選書49)の中に納められている「住宅は芸術である」という論文には、当時の建築関係者は総じて驚かされました。「住宅は建築といわれている領土から離れて独立することを、それは意味している。国籍は絵画や彫刻、あるいは文学等々と同じく芸術という共同体に移されなければならない。」という書き出しで始まります。また「住宅は美しくなければいけない。空間には響きがなければいけない」とも言いました。昭和50年には「続住宅論」(SD選書96)も出版されました。


篠原一男は、師の清家清とは異なった形の「住宅作家」でした。「からかさの家」(1962年)、「白の家」(1966年)、「山城さんの家」(1967年)、「鈴庄さんの家」(1967年)、「篠さんの家」(1970年)、「未完の家」(1970年)、発表するものすべて、人々の注目を集めました。「谷川さんの住宅」(1974年)の床は土の斜面です。「空の矩形」や「直方体の森」、「同相の谷」など、ますます単純な立体になり、「東玉川の住宅」や「成城の住宅」、そして「ハウス・イン・ヨコハマ」へと至りました。

住宅以外の作品としては、「日本浮世絵博物館」(1982年)、「東京工業大学100年記念館」(1987年)、「熊本北警察署」(1990年)、などがあります。