龍馬と夢紀行

歴史が好きだから、歴史の仕事を手探りで始めてみた。


発端は、ただそれだけ。


でも不思議なもので、そんな瞬間から「趣味」が「仕事」になりました。

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2025年04月28日(月) 12時55分00秒

ほぞを固めることが求められる

テーマ:仕事

先週金曜日、広告代理店時代から付き合いがある会社の社長が来社し、一部上場会社との「包括的業務提携」を締結されたという報告を受け取りました。

 

起業されて33年間、血眼になって会社経営されていた姿を傍でみていましたが、その経営スピリットは半端なものではなく、私などはその足元にも及びません。

 

私よりも3歳ほど年長の経営者ですが、ビジネス年齢的には10歳以上もの開きがある感じで、先方と比較すれば、さしずめ私は乳臭い青二才といったところでしょう。

それもそのはずで、起業されたときから名古屋で有名な経営塾に入塾され、経営全般に精通したものを備えられていました。

 

後継者問題が今回の「包括的業務提携」の嚆矢になったようですが、そのほかに挙げられていた要因の一つには「判断力の鈍さ」を口にされていました。

 

「判断力」において最善の選択ができるのは、感覚と論理のバランスがとれているとき。

思い込みとか感情が強くなればなるほど理論は希薄となり、不合理な決断を下してしまうリスクにさらされます。

 

年を重ねていくとどうしても思い込みとか縛らみが強くなっていき、感覚と論理のバランスが崩れて、判断を見誤ること多々があります。

 

先輩経営者に向かっておこがましいことを書き記しましたが、私にとっても火急なことで、決して他人事ではありません。

 

さて、先週に折目正しい業務提携締結の報告をいただき、柄にもなく考えさせられることが多くありました。

 

勿論、一抹の寂しさというものも覚えましたが、それと同時に現実の厳しさと向かい合った時どのように対処すれば良いのか考えさせられました。

 

経年により色々なことに於いてたががゆるんできていることを自覚していますので、自分自身が凡庸であることを考え合わせれば、焼きが回る前に、ほぞを固めることが求められるように感じています。

 

少し気分を変えるべく、明日は福井あたりへふらりと出かけきます。

2025年04月27日(日) 12時55分00秒

はちきん

テーマ:オフ・ビジネス

昨日に引き続きNHK連続テレビ小説「あんぱん」がらみの話を少々。

今回の舞台は南国高知からスタートしていますので、当然のことながら土地柄の土佐弁が多用されています。

 

そんな中で、柳井嵩(やないたかし)の後に妻となる朝田のぶに対しては、「はちきん」という土佐特有の方言が用いられています。

「はちきん」とは「極端に男勝りの女性」という意味を持った高知県の女性をあらわす土佐言葉。

 

久しぶりにテレビ画面から「はちきん」という言葉聞いて、ふと脳裏に浮かんだ女性は「坂本乙女」その人でした。

 

乙女は土佐藩郷士・坂本八平の三女で、坂本龍馬の三歳年長の姉。

身長が五尺八寸(約175センチ)もあったといい、体重も三十貫(約113キロ)。

体躯的には当時の女性の標準どころか、並の男性をも大きく上回る堂々たる巨躯であったことから「坂本のお仁王様」と渾名されたほどです。

 

さらに剣術をはじめ馬術、弓術、和歌、琴、三味線、謡曲と、まさに文武両道を極めたような女性でしたので、早くに母親を亡くした龍馬は、姉の乙女に訓育されたといわれています。

まさに乙女は「はちきん」に相応しい感じがします。

 

さて、そんな土佐の女性の「はちきん」に対して、土佐の男性の代名詞はというと、「いごっそう」が巷間で知られています。

 

これは名利にとらわれず信念を貫く一徹者といった意味を持ち、「異骨相」という漢字が当てられています。

 

土佐というところは、四国を分断する峻険な四国山地が大きな壁となっていて、それゆえに南北朝時代までは流刑地とされていたところ。

 

そんな陸の孤島のような状況もあるのでしょうか、四国の他県にはみられない独自性が存在しているように感じます。

それが方言などにも表れているのかもしれません。

キャッチーで覚えやすいものが多いという印象があります。

2025年04月26日(土) 12時55分00秒

「あんぱん」と「あんパン」

テーマ:仕事

今週のはじめ弊社の幕末の監修をお願いしている霊山歴史館・学術アドバイザーの木村幸比古氏が来名。

 

そのおり、4月の新年度に入ったとのことなのでしょう。例年、新たな「高知県観光特使」の名刺が配布されているようで、私にも一枚お渡しいただきました。

 

この名刺の裏側には、高知県内の美術館や博物館などの23施設が明記され、これ自体が無料入場券を兼ねています。

23の施設の中には、高知県立歴史民俗資料館や坂本龍馬記念館をはじめとし、さらに今が旬の香美市にある「なせたかし記念館」も含まれています。

 

「やなせたかし記念館」といえば、付言するまでもなく〝やなせたかしとその妻・小松暢〟がモデルになっているNHK連続テレビ小説「あんぱん」が現在放送中。

普段、NHK連続テレビ小説などあまり観る方ではないのですが、今回の「あんぱん」に関しては今のところ全編視聴しています。

 

放送開始時から土佐に馴染んでいなかった〝あんパン〟が今回のキーワード。

 

ところで〝あんパン〟といえば、これが世に登場したのは明治7年(1874)で現在でも有名な木村屋が考案したものでした。

そして、その翌年の4月4日に明治天皇の侍従を務めていた「幕末の三舟」の一人である山岡鉄舟が、こっそりと明治天皇に〝あんパン〟を献上すると、明治天皇から「これは美味い」というお言葉を賜ったそうです。

 

それ以降、〝あんパン〟は日本独自の菓子パンとして全国津々浦々まで広まっていきました。

よって4月4日が「あんぱんの日」と制定された由縁だそうです。

 

今回、二人の話題の中心は「あんぱん」と「やなせたかし」となっていました。

2025年04月25日(金) 12時55分00秒

突然の報告に戸惑う

テーマ:オフ・ビジネス

今週はじめに取引関係にある旧知の経営者から「挨拶に伺いたい」との連絡があり、今朝、約束の時間に来社されました。

 

広告代理店時代からの付き合いで、現在もアライアンス関係を構築し業務協力を敷いてもらっています。

 

少し改まったような物言いでアポイントを求められましたが、先方の関係先の倒産による原材料確保の問題が顕在化してきている現況を踏まえて、てっきりその後の進捗を含めた報告であると私は高を括っていました。

 

案の定、その件に関して今後の業務への支障が一応排除されたとの報告を受け、一安心と思いきや、そこから予想だにしない展開が待ち受けていました。

 

向かい合った状態で既述の業務報告を受けると、先方は少し背筋を伸ばさる仕草をされ一気に改まった雰囲気がそこかしこに漂いました。

「実は、、、」との口上から先方の社長が話されたことは、一部上場会社との「包括的業務提携」。

昨日、両社間で正式に締結されたとのことで、それを以って今朝一番で報告のため来社が本来の目的であったようです。私のとって思いもよらぬものでした。

 

確に先方の社長には娘さんがお一人で、後継者問題が囁かれていました。

パートを含め数十人を束ねていくにはそれなりの経営力量が求められますので、おいそれと簡単にバトンタッチができない背景があったと思われます。

それゆえに早めの経営的決断をされたのでしょう。

 

「包括的業務提携」の公言を憚れていたとのことで、幹部社員に伝えられたのも2日前だったようです。

おそらく社員の方々にとっても青天の霹靂のごとき衝撃を受けたことでしょう。

容易に想像がつきます。

 

具体的には年内いっぱい代表取締役を務められ、その後は相談役、さらに1年後に会社から離れられるとのこと。

 

一部上場会社の傘下になることで、社員の待遇なども改善され、今以上に働きやすい会社にいなることが社員への恩返しと捉えてみえました。

苦楽を共有してきた間柄ですので、互いに33年前の出会いを懐かしみ、心の中にぽっかりと穴が空いたような感覚に苛まれました。

 

でも、起業してから33年間走ってこられた一人の経営者の決断を尊重しなければなりません。

 

「包括的業務提携」の案内状が午後から届くであろうことを想定され、その前に私に直接自分の口から伝えたかったとのことで今日の午前に来社されたようです。

 

いつか、そんなに遠くない日に私にも同じ状況が訪れることになるのでしょう。

それまではしっかりと仕事を続けようと思います。

2025年04月24日(木) 12時55分00秒

超有名バンドを知らない人

テーマ:オフ・ビジネス

昨日、掛川から浜松、そして愛知県に入り新城で仕事を終えると、新東名高速での帰路上にあたる岡崎に在住する旧知の一人に電話を入れました。

 

数年前に名古屋の事務所を引き払い、現在は地元の岡崎でクリエーティブな仕事に就いている。

元々はコピーライターからスタートしているが、今では企画・デザインを中核としたクリエイティブ・プロデューサーといったほうが良いだろうか。

 

私よりも4つほど年嵩があるが、名古屋の広告業界では少しばかり膾炙している存在だった。

 

私自身は広告業界からきれいさっぱりと足を洗って20年が経過、現状の広告世界の話を聞くと、昨日もそうなのですが、まるで浦島太郎状態。

 

ただでさえ20年間という期間は長いものですが、その間の広告業界はネットの出現によって基幹構造が大きく崩れてしまいました。

それゆえに時代に取り残されたような感覚に苛まれ流ことが多いのです。

 

クリエーターというのは、物事の見方とか思考が他の人と違って斬新で、「物事の捉え方が面白い」と思わせることなど日常茶飯事。だから一頭地抜けることがあるのだろう。

たまに胡乱ぽいことを言って、頭を擡げることもあるけれども、あけすけしていて恨めない人柄がかんばしい。

 

そうやら彼は地元でも相当な顔役でもあるようで、近々、かの法蔵寺でシンセサイザーの演奏会を催すと話していた。

法蔵寺というのは、幼少の家康が手習いや学問に励んだと伝えられる寺で、幕末期には京都三条大橋西に晒された近藤勇の首を同志が持ち出し、運ばれたとされる近藤の首塚がある。

新選組ファンならご存知の方も多い寺院です。

無論、私が歴史業務をしていることを承知の上での話の振りです。

 

彼は大学卒業後、ミュージックシーンでメジャーデビューを予定していたのですが、やんごとなき理由でデビュー直前で断念した過去を持っています。

その悔しさから音楽との関わりを一切断ち、以降は生活の中で音楽を聴くことすら拒んでいたようです。

 

少し前の話だそうですが、彼が知人の音楽プロデューサーが経営する東京都内のバーで飲んでいたら、その音楽プロデューサーが担当する超有名なバンドの二人が来店したそうです。

この二人は、昨年の紅白で「LOVE PHANTOM」と「ultra soul」を歌った超有名なバンド。

 

そのバンド名すら知らなかったことで、音楽プロデューサーから「おーい、松本くん、稲葉くん!君たちのことを知らない日本人がここに居るぞ!」となり、大盛り上がりになったらしい。その場で、超有名なバンドの二人と対面したとのこと。

 

なんだかんだと語り合ってあっという間に1時間半。

まだ話が尽きない状況でしたが、またの機会に譲り私は帰宅の途についたのです。

すると今朝も先方から電話があり、また近いうちに会うことになりました。

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