恋する日本語 ~偶さか~垂り雪~転た~夕轟~
「恋する日本語」はNHK総合、
木曜24時15分からの30分番組です。
原作はこれなどでお馴染みの
小山薫堂さん、
というか元ネタといったほうがいいかもしれません。
レギュラーは余貴美子さん、
そして窪塚正孝さんです。
(この窪塚さんは大原小也なる大作家の書生という役柄なんですけれど…
これは中原中也から持ってきた名前でしょうか?)
以前、「番組たまご」として見た時には、
北乃きいさんが出ておられましたが、
今週は谷村美月さんがご出演でした。
そんな感じで、毎回ゲスト出演者が登場します。
来週は佐藤江梨子さんです。
「彼女」が見つけた看板、
そして、
恋スル日本語アリマス
と。
その看板につられて入ったその店が、
アンティークショップ「ことのは」。
今では使われなくなった言葉を集めているという女主人がいました。
恋する気持ちの数だけ、日本語は磨かれ、豊かな文化を紡ぎだしてきた…
そう語るマダムのもとには、
様々な恋の悩みを抱える客が訪れて、
美しい「恋する日本語」に触れる素敵な時間を過ごす―――。
偶さか
たまさか。
広辞苑では、
(1)思いがけないさま。たまたま。偶然。
(2)機会がまれであるさま。「─(に)帰国することもある」
と説明されています。
元々は「偶然であるさま」として奈良時代に存在していたらしく、
そして、平安時代には「まれであるさま」が加わり、
この「たまさか」はとても女性的な言葉なのかもしれないという話でした。
類語に「たまたま」があります。
源氏物語に頻出している「たまさか」。
澪標、薄雲、橋姫、総角、朝顔の台詞などとして登場していますが、
「たまたま」が登場するのは、ただの一度だけ。
それは光源氏の台詞でした。
「たまさか」を使用しているのは女性ばかり。
「たまたま」は男性の光源氏のみ。
「たまさか」は女性語だったんですね。
しかし、現代で生き残っているのは、
ほとんど「たまたま」のみなのは残念です。
垂り雪
しずりゆき。
同じく広辞苑では、
木の枝などから落ちる雪。しずり。
とあります。
これも死語ですけれど、美しい響きで、
文字も綺麗ですよね。
どこかで使いたくなります。
転た
うたた。
〔副〕(「うたて」と同源)
(1)ある状態がずんずん進行して一層はなはだしくなるさま。いよいよ。ますます。和漢朗詠集「飛泉―声を倍(ま)す」
(2)程度がはなはだしく進んで、常とちがうさま。はなはだしく。ひどく。異常に。「―あり」の形では、いやだ、気に染まないの意になることが多い。源氏物語(手習)「―あるまで世をうらみ侍るめれば」。古今和歌集(雑体)「花と見て折らむとすれば女郎花―あるさまの名にこそありけれ」
(3)程度が進んでかわりやすいさま。また、なんとなく心動くさま。そぞろに。日葡辞書「ウタタゴコロ」。「―今昔の感に堪えない」
広辞苑で紹介されている日葡辞書の「転た心」なんて、
味がありますよね。
「うたた寝」は「転た寝」と書きます(転寝)。
うたたねに 恋しき人をみてしより
ゆめてふ物はたのみそめてき
古今和歌集にある小野小町の歌です。
うたた寝するうちに恋しい人の夢を見てからは
夢を頼りにするようになってしまいました。
この頃のうたた寝の多くは、
恋する物思いのためにするものだった、
とか言われているらしいです。
加えてお書きしますと、昔の夢の解釈では、
その人が夢に出てくるのは、
その人の自分への好意の顕れとも考えられていたみたいです。
それで、こういう歌が詠まれているという訳ですね。
夕轟
ゆうとどろき。
(1)恋情などのために暮れがた胸のさわぐこと。堀河百首(恋)「慕ひくる恋のやつこの旅にても身のくせなれや―は」
(2)夕方、どことなく物音の騒がしく聞こえること。また、その物音。新撰六帖(1)「市に出でて―の民の声かな」
広辞苑には「~き」の送り仮名があります。
この広辞苑の(1)、いいですよねえ。
夕刻に限定した言葉というのも美しいです。
番組では、原作にあるストーリーもご紹介。
ご興味がございましたら、ご覧下さいませ。
木曜24時15分からの30分番組です。
原作はこれなどでお馴染みの
小山薫堂さん、
というか元ネタといったほうがいいかもしれません。
レギュラーは余貴美子さん、
そして窪塚正孝さんです。
(この窪塚さんは大原小也なる大作家の書生という役柄なんですけれど…
これは中原中也から持ってきた名前でしょうか?)
以前、「番組たまご」として見た時には、
北乃きいさんが出ておられましたが、
今週は谷村美月さんがご出演でした。
そんな感じで、毎回ゲスト出演者が登場します。
来週は佐藤江梨子さんです。
「彼女」が見つけた看板、
そして、
恋スル日本語アリマス
と。
その看板につられて入ったその店が、
アンティークショップ「ことのは」。
今では使われなくなった言葉を集めているという女主人がいました。
恋する気持ちの数だけ、日本語は磨かれ、豊かな文化を紡ぎだしてきた…
そう語るマダムのもとには、
様々な恋の悩みを抱える客が訪れて、
美しい「恋する日本語」に触れる素敵な時間を過ごす―――。
偶さか
たまさか。
広辞苑では、
(1)思いがけないさま。たまたま。偶然。
(2)機会がまれであるさま。「─(に)帰国することもある」
と説明されています。
元々は「偶然であるさま」として奈良時代に存在していたらしく、
そして、平安時代には「まれであるさま」が加わり、
この「たまさか」はとても女性的な言葉なのかもしれないという話でした。
類語に「たまたま」があります。
源氏物語に頻出している「たまさか」。
澪標、薄雲、橋姫、総角、朝顔の台詞などとして登場していますが、
「たまたま」が登場するのは、ただの一度だけ。
それは光源氏の台詞でした。
「たまさか」を使用しているのは女性ばかり。
「たまたま」は男性の光源氏のみ。
「たまさか」は女性語だったんですね。
しかし、現代で生き残っているのは、
ほとんど「たまたま」のみなのは残念です。
垂り雪
しずりゆき。
同じく広辞苑では、
木の枝などから落ちる雪。しずり。
とあります。
これも死語ですけれど、美しい響きで、
文字も綺麗ですよね。
どこかで使いたくなります。
転た
うたた。
〔副〕(「うたて」と同源)
(1)ある状態がずんずん進行して一層はなはだしくなるさま。いよいよ。ますます。和漢朗詠集「飛泉―声を倍(ま)す」
(2)程度がはなはだしく進んで、常とちがうさま。はなはだしく。ひどく。異常に。「―あり」の形では、いやだ、気に染まないの意になることが多い。源氏物語(手習)「―あるまで世をうらみ侍るめれば」。古今和歌集(雑体)「花と見て折らむとすれば女郎花―あるさまの名にこそありけれ」
(3)程度が進んでかわりやすいさま。また、なんとなく心動くさま。そぞろに。日葡辞書「ウタタゴコロ」。「―今昔の感に堪えない」
広辞苑で紹介されている日葡辞書の「転た心」なんて、
味がありますよね。
「うたた寝」は「転た寝」と書きます(転寝)。
うたたねに 恋しき人をみてしより
ゆめてふ物はたのみそめてき
古今和歌集にある小野小町の歌です。
うたた寝するうちに恋しい人の夢を見てからは
夢を頼りにするようになってしまいました。
この頃のうたた寝の多くは、
恋する物思いのためにするものだった、
とか言われているらしいです。
加えてお書きしますと、昔の夢の解釈では、
その人が夢に出てくるのは、
その人の自分への好意の顕れとも考えられていたみたいです。
それで、こういう歌が詠まれているという訳ですね。
夕轟
ゆうとどろき。
(1)恋情などのために暮れがた胸のさわぐこと。堀河百首(恋)「慕ひくる恋のやつこの旅にても身のくせなれや―は」
(2)夕方、どことなく物音の騒がしく聞こえること。また、その物音。新撰六帖(1)「市に出でて―の民の声かな」
広辞苑には「~き」の送り仮名があります。
この広辞苑の(1)、いいですよねえ。
夕刻に限定した言葉というのも美しいです。
番組では、原作にあるストーリーもご紹介。
ご興味がございましたら、ご覧下さいませ。
恋する日本語 各ページは以下からどうぞ
あえか~涵養~洒々落々~恋水~忘れ種(パイロット版)
偶さか~垂り雪~転た~夕轟
喃喃~気宇~玉響~相生
刹那~揺蕩う~時雨心地~番い
泥む~僥倖~那由他~紐帯
焔~一曲~心掟~如意
阿伽陀~恋風~遠近
赤心~浹洽~客愁~帰趨
終夜~邂逅~滝枕
あえか~涵養~洒々落々~恋水~忘れ種(パイロット版)
偶さか~垂り雪~転た~夕轟
喃喃~気宇~玉響~相生
刹那~揺蕩う~時雨心地~番い
泥む~僥倖~那由他~紐帯
焔~一曲~心掟~如意
阿伽陀~恋風~遠近
赤心~浹洽~客愁~帰趨
終夜~邂逅~滝枕
対カタール、不利が重なる中、見事な逆転勝ち!