ウチ的まちづくりの日
12月6日は、父の誕生日。
もうこの世の人ではなくなったけど。
一人娘の私よりも好きなんじゃないかと思うくらい、
主人のことが大好きだった父。
まちづくりプランナーとして半世紀近く活動してきた父は、
違う世代とアプローチで同じ分野にいる主人と話すのが、
とにかく好きだった。
だから、父のお誕生日に、
主人が「まちづくり」の特別講義をするというのも、
なにかの巡り合わせだろうと思い、
すでに免許返納し完璧な交通弱者になった母を乗っけて、
富山大学(芸文キャンパス)まで行ってきた。
父は、工学部建築学科。
主人は、美大のプロダクトデザイン専攻、
私は、文学部の英米文学専攻。
大学で学んだことが全然違うのに、
同じような分野にいて、
でも、同じ分野のなかでも特技や思考が違うからか、
役割は不思議と被らない。
でも、父と主人と3人で話すと、
向いてる方向が同じだなといつも感じていた。
娘の私がいうのもなんだけど、
博識で哲学的な父は、
よく「予言」めいたことを話していた。
新しいこととか、わからないこととかがあると、
真っ先に意見を聞いてみたい人のひとりだった。
読書量は父の足もとにも及ばない主人だけど、
逆境と経験値はそれなりに積んでいるよなと、
改めて思った講義だった。
絵かいて工作して、
秘密基地ばっかりつくってた主人が、
プロダクトデザインやりたくて入った大学で
「社会システムデザイン」という考え方を知り、
パペルブルグというカフェでバイトしたのが、
彼の「まちづくり」の入り口だった。
父は、1964年の東京オリンピックで、
まちがどんどんできて行くのがエキサイティングで、
都市計画に興味を持った。
それが父の「まちづくり」の入り口。
入り口違うけど、
どういう道のりがあったかとか、
その間にどんなことを体得したかということを聞いて、
父は開口一番何て言っただろうか?
多分、私よりもいっぱい感動しながら
格別に喜んで聞いてくれてたはずだろう。
おめでとう、お父さん。
12月6日は、
ウチ的「まちづくり」の日にしよう。
ここ最近は、このひらがな5文字も、
すっかり市民権を得た感じだけど、
私がこの分野に関わった20年くらい前は、
マニアックな専門家の方が、
調査報告書作ってるような分野だったから、
博士や技術士みたいな人でもない限り、
なかなか語れる余地がなかった。
今はずいぶんと裾野が広がったなと思う。
…というか、
もともと「まちづくり」って、
専門でやるとかいうものじゃなくて、
「半農半X」みたいに、
なにかのミッションと並行してやるもんなんだと思う。
だから、
「まちづくり」を目的にしているものが
頼りなくてうすら寒いと感じるのだと思う。
ちなみに、私の「まちづくり」の入り口は、
開かれました。
卒業があやしくなったので、
内定をけって、学業に集中。
(ってその前にさんざん遊んでいたのが
よくないのですが)
おかげで無事大学を卒業するのに必死で、
卒業したら無職だった、という。
で、父が方々手を回して、
まちづくり会社に縁故採用されたという…。
父が敷いたレールっすね。
そういうのもあって、
「まちづくり」という言葉を使うのもすごく嫌だった。
今も「まちづくろい」の方が
私にはしっくりくるんだけど、
父や主人や、
たくさんの諸先輩方が耕してこられたこの分野に、
敬意を表して、
12月6日は、
ウチ的「まちづくり」の日にします。
しつこいけど。
忘れそうだからここに父のブログのリンクを貼っておきます。
まちづくりプランナーの視点と題して、
少しずつ書いていこうとしてたみたいだけど、
あんまり読んで楽しい書きかたもしていない。
でも、やっぱりこういうベースのもとに
自分が出来上がっているのを感じます。