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第6回 大人のひきこもり女子会 in 宝塚
いつもたくさんの方に見て頂き、ありがとうございます
宝塚発達心理ラボのラボ子です。
今日は素敵な記事を見つけたのでご紹介します。
Yahoo!ニュースからです。
現在の高齢ひきこもりである子の目標は、
就労ではなく
「安定して日常を過ごすこと」、
「親の遺族年金で食べていくこと」、
「親が安心できる身近なヘルパーに自分がなること」
なのだそうです。
そして親が頑張ることは
子どもを就労させることではなく
自分が長生きすることだそうです。
記事の最後には
日野原重明先生のように
105歳まで生きよう!とのことでした。
(以下、Yahoo!から引用)
高齢ひきこもりをもつ親御さん、目標は105歳~日野原重明先生、合掌
■「日野原重明氏、死去、105才」
今朝は別のテーマで書こうと思いパソコンを開けたのだが、開けた瞬間、「日野原重明氏、死去、105才」というニュースが目の前に浮かんだ(日野原重明さん死去 105歳 聖路加国際病院名誉院長)。
もちろん僕はお会いしたことはないものの、20代はじめに就職したり起業した医療系出版社では先生の名前はしょっちゅう聞いていたし、最近になってもそのポジティブな生き方をとりあげた記事を興味深く読んでいた。
また、ひきこもり支援者として、先生の生き方はずいぶん参考になった。それは、「高齢ひきこもり」という最新トピックに関しての、支援姿勢と直結する。
当欄でも何回か取り上げているように、ひきこもり当事者のコアである団塊ジュニアが次々と40代となり、国の若者の定義から外れている今、支援対象からも同時に外れつつある。
が、時間は容赦なく当事者たち(子と親)を襲い、いつまでたっても変わらない我が子の生活を嘆く親たちは日本中に数十万規模で存在する。
たとえばこの記事にあるように(ひきこもり30年44歳 小遣い6万の是非 70歳父 68歳母からの悲痛SOS)、高齢ひきこもりとなった我が子に対して対処方法がわからない高齢保護者は日本に山のように存在するだろう。
記事では、両親ともまだ後期高齢者になっていないから、記事後半で触れられるように、さまざまな社会資源を組み合わせて支援する段階だ。
ソーシャルワークとしては当たり前で、この記事は社労士というひきこもり支援者としては門外漢だが、社労士というある意味ソーシャルワークの専門家によって書かれているため、実は、日本のひきこもり支援の迷走を結果としてし示している。
つまりは、高齢ひきこもりの問題は、社労士ではなく専門のひきこもり支援者の担当なのだが、行政委託事業べったりの下請けと化した日本の若者支援NPOは、高齢ひきこもりへの支援の想像力が足りない。
■「自分が長生きすること」
高齢ひきこもりをもつ高齢保護者たちは、現在迷走している。迷走というか、自分が子どものために何をしたらいいのか、高齢者になった以降わからない。
65歳までであれば、上に書いたように、ひきこもり支援NPO自体は頼りにならないものの、社労士やケアマネージャーといった福祉や医療の専門家ルートを辿ってなんとかなる。いずれは、若者支援NPOにも頼れる支援者は現れるだろう。
が、子が50歳前後になり、自らも後期高齢者75歳前後になった時、親御さんにはいままでのようなパワーがない。
その時、「灯台」として親御さんたちに光を与えるのが、日野原重明先生の生き方なのだ。
どういうことかというと、75歳も過ぎてしまうと、保護者にはこれまでのように子どもの自立に対してなんとかしようという意思も行動も低下する。
当たり前だ。それが、年をとるということだから。
が、親御さんたちは、それでも今ままでのように、カウンセリングを受け、ひきこもり自立講座を受け、ひきこもり親の会に参加しようとする。
そのモチベーションは悪くない。けれども、それが一義的であった時代は過ぎた。
75歳になった親御さんがまずは意識することは、「自分が長生きすること」だ。具体的には、25歳で子を産んだとすれば90歳、30歳で子を産んだとすれば95歳だ(子の年金取得年齢65歳を基準)。
■ステーキを食べて、いいんです
多くの親たちは、平均寿命的には父は早く亡くなるから、これは母の後期高齢ライフについて述べている。僕はこのあたりについて、以前当欄でも書いた
(おかあさん、目標は「95才」ですよ!~ひきこもり高齢化とは「支援」ではなく「親の長寿」、95才母が亡くなったあと、65才高齢ひきこもりは、年金・貯金、生活保護へと移行できるか)。
それ以来、現実の保護者支援面談の中で75歳母親に対して、「これからはご自分が90あるいは95歳まで生きることを優先しましょうね」と語ってきた。
その語りは部外者の方からすると悲壮なものかもしれないが、面談室の中ではいたって明るいもので、
「先生、今日は公園で体操してきました! 先生、この前の日曜日はお友達とステーキをいただきました!」等、日々のポジティブな生活を報告してくれる場となっている。
その場は、僕にとっても心地よく、気持ちいい。人が、自分の日常生活を生ききる姿は美しいものだ。
でも時々親御さんは不安を述べる。こうやって日々を過ごしていても45歳を過ぎた子の生活は変わらない。こんなんでいいのだろうか、と。
いいんです、と僕は語る。はっきりいって、45歳や50歳になってから正社員や契約社員になどなかなかなれない。なれたとしても、仕事のストレスでいつまで続くかわからない。
いまの高齢ひきこもりである子の目標は、「安定して日常を過ごすこと」、そして「親の遺族年金で食べていくこと」、ゆくゆくは「親が安心できる身近なヘルパーに自分がなること」なのだ。親が鬼籍に入ったあとは、自分の年金+生活保護で食べていくことへと移行する。
■「105歳まで生きる」は、高齢ひきこもりをもつ親たちを勇気づける
やがて親は鬼籍に入り、その後子は年金と親の貯金の生活に移行し、親の貯金を使い果たしたあとは生活保護へと移行する。
その時は高齢者ひきこもり元・若者も70歳頃、立派な貧困老人だ。日本に40%存在する下流世帯の中の、その中核のひとつである高齢者単身世帯の一部にすぎない。
そんな人達が「元ひきこもり」であるかどうかなど、20~30年先の現役世代(いまゼロ~20代の人々)にはまったく関心ないだろう。
90年代以降の経済失政とグローバリゼーションの激動をなんとかうやむやにするためにも、高齢ひきこもり当事者とその保護者が無難に鬼籍に入り貧困老人化することが、時の権力層の望みだと想像する。
そのために、日野原重明先生の「105歳まで生きる」は、高齢ひきこもりをもつ親たちを勇気づける。日野原先生、ありがとうございました、合掌。★
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