これまでのお話はこちらから。
「何だっけ あの雲の形 何て言うんだっけ」
さて、人と交わるのがへたくそな私。
「とりとめのない会話が苦手で逃げ出したくなる」弱点は50代後半になった今も全く克服していません。
職場は仕事をするところ。
ジムは体を鍛えるところ。
お稽古事は学ぶところ。
仲良しさんを見つけるところじゃない。
そう割り切ることで、自分が困らないようにしてきました。
着付け教室に通ったときも、生徒さんたちはこぞって帰りにお茶をしたり連絡先を交換してその後も交流したりしたようですが、そこに私が誘われることは決してありませんでした。
人間は、とりわけ女性は本当に敏感な生き物だとつくづく思います。
私が「人が苦手」と思えばそれは細かい波動となって相手に伝わる。
そうすると相手も「そんなあなたのことが私も苦手」となる。
そしてその波動をまた私が受け取ってしまうという悪循環を幾度となく経験しました。
しかし結局は自分の問題なのですから、周囲に理解を求めるのはお門違い。自分でどうにかコントロールするしかありません。
着物をはじめてから数年後、ありがたいことに着物好きのグループからたまたま声をかけていただき、今も時折ご一緒しています。
皆さんどの方も明るく優しい良い方です。
(着物が好きという共通点があるのだから、私のような人間でも交流できるかもしれない)
ただ、グループとはいえ、その中で特に仲良しの中心メンバーがいて、私はその外にいる。御三家と外様(とざま)大名のような感じです。
私は実はこれまでその距離感を正しく読めていないことがしばしばあって、
(久しぶりに仲間ができたんだから皆が喜ぶような企画を私も考えねば。皆のために汗をかかねば!フンガー)
と鼻息荒く張り切っていたこともありました。
皆さんにとっては随分迷惑なことだったろうと今は思います。
そんな外様(とざま)の私に、何回かに一度の割合で「〇〇に一緒に行かない?」と個別に声をかけてくださるのですが、
(気を使わせてしまってるんだなあ・・・なんとも申し訳ない)
と自己嫌悪に陥ったりするのでした。
そして相変わらずぎこちなさを払拭できない会食のおしゃべり。
着物が好きな者同士といっても、当然ながら話題はそればかりではありません。
親の介護の話、あの食材はどう調理するか、あそこの店は美味しい、新店がどこにオープンした・・・同年代女性らしい話題が続きます。
実に当たり前の光景です。
でも普通の人が自然にできる会話が、私には難しい。
実家の話はワケあり過ぎて重いからしたくない → スイッチOFF
どこのお店がランチがおいしいか?それは主観の問題だからなあ → スイッチOFF
糠漬けを何日漬けるか?各ご家庭で違ってて当然よ → スイッチOFF
こんな風に脳が「結論は出た。発展させるべき話題じゃない」と判断して回路を切るので、
「すみれさんちはどうなの?」と話をふられても「・・・えーっと」となり、その場の空気を壊さないための語る言葉が見つからず反応できなかったり、薄い返ししかできなかったり。
失礼にならないよう、相槌を打ちながら話を聞くものの、しばらくすると疲れてしまって長続きしない。
また、「あっ今の話ならなんとか自分でもコメント出せそう。会話に参加しなきゃ」と思い、「何て言おうかな、えーと」と頭の中で整理しているうちにもう話題の中心が違うものになり、大縄跳びにいつまでたっても入れない運動神経の悪いヒトみたいになります。
その結果、開始1時間も経つと脳がゲームオーバーを宣告してきます。
そんなときはもう無理をせず、皿の上の料理に目を落としたり、部屋の調度品をそれとなく眺めたりして間を持たせるのです。
時にはもう全く関係の無い考え事にふけることもあります。
(明日の夕食の献立どうしようかな)
(そうだ月曜日は朝のミーティングであの件伝えておかないと)
(それにしてもあっちのテーブルの女の人メイク濃いなあ)
(昔あんな感じの人が職場にいたんだけどな。いつだっけ、どこだったっけ)
そう。まさに「霞柱・時透無一郎」状態で会の後半を過ごすことになるのです。
( 注: 無一郎くんは肝心なときにちゃんと仕事します)
そして困ったことに最近この「無一郎」度が激しくなってきたのです。
皆が楽しくおしゃべりしている最中、チコちゃんがサジを投げるほどボーッと呆け顔の私。
「ねえ具合でも悪いの?」
「お酒飲み過ぎたんじゃない?」
と心配させてしまい、その都度「いや、大丈夫」とごまかします。
もしかしたら
「何なのこの人。そんなにつまらないなら来なきゃいいのに」と場を白けさせているかもしれません。
私が変わり者なばかりに、楽しかるべき空間をおかしな空気にしてしまっている。
そう直感する場面が多くなってきました。
ということで、このブログを読んでいる(かもしれない)グループメンバーの皆さまにはこの場を借りてお詫び申し上げます。
仲間に入れてくださってありがとう。皆さんと過ごした時間は私にいろんなことを教えてくれました。
しばらくは独りで着物を楽しんでみようと思います。
「独り」は長年私の唯一の友人でした。
その心境に再度立ち返ることが今の私に必要な気がしています。
自分を深く理解できるのは自分しかいない。
自分を理解できない限り、誰かを理解する余裕も生まれない。
またいつか、ひょんなことから同じ時間を共有しようと思えるその日まで。