長男、24歳 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

今日、10月27日、長男が24歳になった。
 
毎年思うが、本当にあっという間。
 
今は日本で祖母にお世話になりながら、まだまだあまちゃんだが自分の人生を探し求めているようだ。イタリアの同い年の友人たちはまだ学生だったり社会人として働いているものは少ないが、日本であれば皆立派な社会人。
 
バイトだっていいじゃない?何がしたいかゆっくり考えれば。家庭を持ったらそんなこと言ってられない。
 
ただただ親として毎年思うのは下記の詩の思い。
 
『私が願うのは』 

私が願うのは 
危険から護られることではなく 
危険のさなかで恐れないことです 

哀しみのどん底 
心のはげしい痛みの中で 
慰めてもらうことではなく 
哀しみを克服し 
勝利をうたうことなのです  

逃げ場がなくなった時も 
勇気を失わさせないでください 
世間的にも大失敗し 
挫折の連続に遭っている時も 
その害が取り返しのつかないものだと 
考えない恵みをいただきたいのです  

あなたが来て私を救ってくださる……… 

これを私は願っていません 

私が願うのは 
のり超えてゆく力です  

あなたは私の荷を軽くしたり 
慰めてくださらないで結構です 

ただ 私が重荷を担う 
その力をお与えください  

喜びの日に 謙虚に頭を垂れ 
私はあなたを思い 
あなたの存在を認めます  

暗い悲しい夜 
失意以外、何もない夜にも 
ああ 決してあなたを 
疑うことがありませんように  (タゴール) 
 
さまざまな困難・試練は自分から、そして子供から避けてください、と願うようよりも、それらの試練に耐え、乗り越えてゆく力を願いたい。 

子育ては時として、本当につらい。想像以上につらい。始めからわかっていたら3人も持ったか?と笑う。

夜の授乳、夜泣き、ふらふらする体に鞭打って子供を抱きあげた。早く大きくなれ、早く大きくなれ・・・って『ジャックの豆の木』かい?!と思いつつ、思春期はぐっと忍耐の日々だった。
 

しかし、「母性愛は究極の自己犠牲」 だという。 

 
誰もが倒れても、間違っても、『ごめんなさい』といいながら、立ち上がっていく力が必要。私も回りも皆弱い人間。お互いに支えあっていかなくてはいけない。厳しさの中にも優しさをもち、謙虚に生きていけますように。 
 
上の画像は昨日長男が実家のアルバムから見つけて送ってきたもの。亡き祖父に抱かれている。「僕って可愛かったんだね。」自分で言うな!爆