すっかり忘れていたが、今晩、夜中に冬時間に突入する。
日中、空手の稽古で日本人学校へ出かけていたのだが、普段は稽古中、時計をちらちら見ては、時間配分に気を使ったりするのだが、今日は余裕だなあと思っていた。しかし、あまりにも時間が進んでいない?と思ったら、既に1時間送らされていたのだ。あちゃ~、実は押せ押せだった?!爆
余裕余裕と思っていたが、帰宅し昼食が終わったら4時を回っていた。あれれ、なんでこんなにゆっくりしちゃってた?!
なぜか時間の感覚がずれまくり。
ところで、シッター先の子供たちが全員、保育園、幼稚園に通い始め、日中かなり暇になった。来月から午後からのシフトに変更するが、今月は子供たちの体調管理の様子見やらいきなり契約も変更できないとのことで、1時間ずらしての勤務となった。ただし、空手の稽古のある日だけ今までの通りの9時6時のシフトであったので、勤務が10時からになる日は、朝がゆっくりできて余裕であったが、その分帰宅してからの時間がすべて1時間遅くなるわけで、たかが1時間、されど1時間。やること一杯で、どうも慌ただしい月となってしまった。
結局冬時間になっても同じことなのだが、なぜか初日は1時間ゆっくり眠ることが出来る!それだけで嬉しい。
時間といえば、感じられる時間の長さが異なる、というのは、自分に起きる出来事の多さが関係しているという。つまり、一定の期間内に断続的に記憶に残る出来事が起きると、その時間は振り返ったときに長く感じる傾向にあるのだそうだ。
とはいえ、ルーテインワークが多すぎて、積み重なっている日々は、記憶に残らない分、早く過ぎてしまうという。
最近、自分の時間をゆっくり進めたい、とよく思う。
また、時間の感じ方は、「代謝」と大きな関係があるのだそうだ。 1日の中で身体の代謝は変動していて、朝方低調な状態からだんだんと夕方にかけて上がっていき、17時頃にピークを迎えるという。
それと対応し、代謝が落ちている時は心的時計はゆっくりになり、それとは裏腹に、物理的時間があっという間に進むように感じられるという。
それと対応し、代謝が落ちている時は心的時計はゆっくりになり、それとは裏腹に、物理的時間があっという間に進むように感じられるという。
逆に、代謝が激しい時は心的時計も速くなるので、そうすると物理的な時間はゆっくり進むような感じがするというわけ。
「時間とは日々の生活であり、その人自身である」つまり、時間は人生そのものと言ってもいいかもしれない。
人生の折り返し地点を過ぎ、時間の過ごし方を思い返す。
久々にエンデの「モモ」でも読み返してみようか。