1971年12月29日~31日 赤軍派メンバーが榛名ベースへ出発 |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

(坂東国男が新倉ベースに赤軍派メンバーを迎えに行った)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-赤軍派・新倉ベース


 今回は、新倉(あらくら)ベースの赤軍派メンバーの様子を掲載する。
 1971年12月 遠山・進藤・行方への総括要求(赤軍派・新倉ベース) の続きとなる。


 12月20日に森と坂東が榛名ベースへやってきた のは、新党結成の検討会議のためであったが、とんとん拍子で新党が結成 されてしまい、そのまま榛名ベースに留まることになった。


 そのため、新倉ベースに残っている赤軍派メンバーを迎えに行くことになったのである。坂東と寺岡が山本順一の運転する車で新倉ベースにやってきた。


■新倉ベースに残っている赤軍派メンバーの状況
(1軍)
青砥幹夫(森の秘書。合法部との連絡役。革左女性との関係を批判される)
植垣康博(爆弾作りなど実用技術に優れる。革左女性への痴漢で批判される)
山崎順(M作戦途中で坂東隊へ入隊。女性問題で批判される)
(2軍)
進藤隆三郎(M作戦に惹かれて坂東隊へ入隊。同棲女性の問題で批判される)
遠山美枝子(救援対策から新倉ベースへ。女を利用していると批判される)
行方正時(救援対策から新倉ベースへ。消極的態度が批判される)


 2軍に区分された3人は、森に厳しく批判され、銃の構え方の訓練ばかりやらされていた。女性問題が多いことに気づくが、別に女性とつき合ったからいけないというわけではない。それぞれの批判理由があった。


■「榛名ベースは、ここよりはるかに進んでいる」(坂東国男)

 12月29日の昼過ぎ、坂東氏と寺岡氏が知らない男と一緒に新倉ベースに来た。その人は山本順一氏だった。彼らは、威勢の良い態度で入って来ると、赤軍派と革命左派とが合体して新党が結成されたことを告げたが、私たちは、あまりにも急なことでとまどうばかりだった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 新倉ベースはすっかり雪につつまれ、道もわからないほどになっていました。ベースについてみると、遠山同志は髪も短く切り、それから顔も真黒でススけていました。(中略)


 私は遠山同志が批判されて以降、髪も切り、顔すら洗わず毎日頑張っていたのだなあと思いました。進藤同志は思いつめた表情であり、行方同志はなつかしげな顔をして私をみていました。


 不安を持ってきた分、そうした同志達の元気そうな様子から、なんとなく肩の荷が下りたように感じました。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)


 (坂東は)榛名ベースでの総括状況について、「榛名では、総括は、ここよりはるかに進んでいる。総括要求されているのにイチャついて総括しようとしなかった男と女2人に対して、総括を援助するために顔がふくれあがるほど殴り、そのあと縛って、垂れ流しのまま総括に集中させている」と語り、党建設のために、進藤氏たち3人だけでなく、全員がそれまでの自分の闘いを点検し、総括しなければならない」と述べた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 全同志が緊張した表情と同時に眼に不安の色が浮かぶのがわかりました。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)


 そして坂東は、「バロン、山崎、お前らも総括すべきことがあるやろう」といって、山崎は、支援者の女性と関係を持ったこと、植垣は、革命左派女性への痴漢行為 を指摘した。そして、「新党に結集して、全員で総括をかちとろう」といって同意を求めた。


 私たち6人は、重苦しく黙り込み、誰もすぐには何もいわなかった。新党結成に反対しなかったものの、積極的に賛成もしなかった。私自身、新党結成が正しいのかどうかあまりに急なことで判断しきれず、指導者が勝手に話を進めたことになんともすっきりしなかった。特に暴力による援助にはひっかかった。


 しかし、それに反対することは共産主義化の闘いに反対することになるかのように思われた。新党に結集しないことは自分に課せられている総括を放棄するものであるかのように感じられた。


 だから、きびしい総括要求を課されてあれこれ考えている余裕のなかった進藤氏、行方氏、遠山さんがまず新党への結集を同意した。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 続いて、青砥と植垣が、釈然としないまま同意したが、山崎だけは返事をしなかった。「このままでは3人を連れて行けない。責任を感じる」ということであった。そこで、坂東は進藤、行方、遠山の3人の総括を点検することにした。


■「3人とも総括できている」(坂東国男)

 3人の総括は、特に目新しいものではなく、これまでの総括に、植垣たちが押し付けたものを多少加えただけだったが、坂東は、「3人とも基本的に総括できている。あとは向こうで皆と一緒にやればよい」といって、3人の総括の点検を終えた。


 しかし、私は移動の前日、森同志から進藤同志には注意しろと言われていたのを思い出し、一応、逃げないように植垣同志達に注意して欲しいと指示しました。私は、殺害するような事態になることを一番恐れていたからです。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)


 1軍メンバーの、青砥、植垣、山崎の3人も気が重かった。


 私の気が重かったのは、殴られた男(加藤能敬)の問題のなかに痴漢行為もあったからであるが、その気持ちをいっそう重くさせていたことに、大槻さんの問題 があった。新党結成によって大槻さんと一緒に活動できるのはうれしかったものの、その反面、大槻さんから糾弾されるのではないかと思ったのである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■「俺は死を考えてしまう」(進藤隆三郎) 「森さんならやりかねない」(植垣康博)

 12月30日の朝、遠山さんがハサミを持って来て、私に、「髪を切って」といった。私は、遠山さんは総括していると思い、喜んで髪を切った。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 夜、植垣は進藤と風呂に入った。


 進藤氏は、「俺はどうしても死というものを考えてしまい、不安を感じるんだ」といった。


 これに対し、私は、「俺も、どう総括していいかわからんから、それは俺にもある。森さんならやりかねないからなあ」と答えたあと、「しかし、俺は、やはりこれから逃げてはだめだと思っているんだ。総括に全力で当たっていかない限り、革命を担えなくなってしまうのではないか。それに、かえってひるんだりしないほうがいいぞ。お前、向こうに行ったら、こっちにいた時と同じ調子でいるなよ。慎重にしていろよ」といった。


 進藤氏は、「わかっている。俺は、今こそ飛躍を問われているんだ」と答えた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■「私を信用して欲しい。山から逃げないから」(進藤隆三郎)
12月31日の朝、坂東は進藤が思いつめていることに気づいていた。


 進藤同志が前日の夜、一睡もできなかったことを私は知っていました。なぜなら、フトンの乱れが全くなく、考え事でもしていなければそんな風にはならないからです。私がそのことをいうと、「私を信用して欲しい。山から逃げないから」といっていました。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)


 「山から逃げないから」といったことは、あとで問題になる。


 朝食後、坂東、進藤、行方、遠山、山本は、車で榛名ベースへ向かった。青砥と寺岡は任務で東京へ向かい、植垣と山崎は残って、小屋の片づけと指紋ふきを行い、あとから電車で榛名ベースへ向かうことになった。


 植垣と山崎は、片づけをしながら自分たちの問題を話し合ったが、不安はぬぐえず、死を意識せざるを得なかった。


 それにしても、なぜ赤軍派メンバーは、加藤と小嶋への暴力的総括の話だけで、ここまで死を意識することになったのだろうか。このとき、坂東や寺岡でさえ、榛名ベースで尾崎への総括がいっそう苛酷になったことをまだ知らなかったのである。


 私たちがお互いに死を覚悟したのは、「山を降りる者は殺す」 といった森氏の厳しい態度から、死刑にゆきつくであろうと強く予感したからである。


 山崎氏が、死刑に至る追求の際に、新倉から榛名へ行く途中で離脱を考えたことを告白したのは、そのことの現れに他ならなかった。


 死を覚悟したことは、暴力的総括要求に自ら武装解除することであったが、私たちはそれを共産主義化のための試練と受け止めたのである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■「本当にやっていけるかしら。総括できたといえる?」(遠山美枝子)

 遠山同志は、私に、「本当にやっていけるかしら。総括できたといえる」と不安そうに車の中で聞いてきました。私は、「ススで真黒になっても頑張っていたことなどがわかれば、森同志達にもわかるはずだ」と答えました。(中略)


 遠山同志は人なつっこい笑顔を一瞬みせました。そして、これから榛名ベースで待ち受けている「共産主義化」の闘いに想いをはせるように、車の外を見ていました。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)


■死の予感と不安は現実のものとなる
 12月27日に、坂東は森から、次のような指示を受けていた。


・加藤や小嶋を殴ったことをすべてそのまま話すこと
・進藤、行方、遠山が総括できているか見極めること
・総括できていなければ、逃亡を警戒せよ(特に進藤には注意せよ)
・逃げ出したら、断固とした対応をとれ(処刑せよ)
・共産主義化による党建設を支持させること


 坂東は森に指示された任務を忠実に実行し、メンバーの訴えた不安に正面から向き合うことなくやり過ごした。


 そして、それぞれが不安を胸に新倉ベースを出発した。


 彼らは、榛名ベースの小屋に入ったとたん、仰天する光景を目にすることになる。赤軍派メンバーが感じていた死の予感と不安は現実のものとなるのである。