こんにちは。

今日もウキウキ更新いたします。



「クミさん編」が終わり、
閑話休題で、もとの「友人関係の例」に戻るところなのですが、

ちゃんとまとめるために、もう少し時間が必要なので、
今回はずーっと「やらなきゃ」と心に残り続けている記事を書きます。

恐ろしく前に書いた、「恋愛力テスト」への私なりの解答です。

問題はこちら

第一回・恋愛力テスト!<問題編>


そして、以下で3つ目まで回答しております。

第一回・恋愛力テスト!<解答編・1>

第一回・恋愛力テスト!<解答編・2>

第一回・恋愛力テスト!<解答編・3>


<解答編・3>のご挨拶では、


ひさしぶりすぎですが、忘れていませんでしたよ~☆

みなさんに答えさせるだけ答えさせておいて、
問題出しっぱなしはナシですよね♪


とありますが、今もまったく同じように思っております。

当時はまだ本も出す前で、恋愛研究者という名前で書いていた時代でした。

4年も経ってしまいましたが、ちゃんと完結させる気はあります!



3までは回答済みですので、本日は4を回答いたします。


4.今私が望んでいるように、
彼が私をめちゃくちゃ愛してくれて、
してほしいことを彼のほうからしてくれるようになって、
結婚して一緒に子育てできても、
今想像しているほど幸せになるわけではない。



恋愛研究者改め、ある的解答:○


これは、99%の場合、イエスだと思います。

ほとんどの場合、
実際にそうなれば、
今「幸せになれるだろう」と想像している気持ちとは、違う気持ちになる
ものです。


その理由は大きく分けて4つあります。


<1>実現したときの、リアルな感覚は、じつは地味で普通なものだから

基本的に、「今、起こっていないことの想像は、正確にはできない」

のです。

実際にそうなってみて、はじめて、わかります。


「あんなに結婚したかったのに、

結婚してみると、ただの生活ですし、

結婚したらしたで、今まではなかった苦労が出てきた」


という話もよく聞きますよね。


また、たとえば、

「この人とつきあったら、毎日が楽しくて幸せだろう」

と思っていても、

実際につきあってみれば、意外と平常心で、

不満も普通にあったりして、

毎秒が幸せに満ちた人生などではなかったりします。


「タワーマンションの高層階に住んだら、どんなに素晴らしい気分だろう」

と思っていても、

実際に住んでみれば、3日で慣れてしまって、

「実家のほうが落ち着くなあ」と思ったり、

寝て起きてパソコンをする、洗濯をして、仕事に行く、など、

どこにいようが同じで、別に素晴らしい気分になんてならなかったりします。


「この学校に入れれば、いきいきと輝くキャンパスライフが過ごせるだろう」

と思っていても、

実際に入ってみれば、学校の校舎なんてどこも変わらないし、

授業に出て、レポートに追われて、など、地味で普通な毎日だったりします。


特に、「こうなれば、幸せになれるだろう」という期待は、

そのように裏切られます。


あなたも、そうではありませんでしたか?


<2>幸せを「人まかせ」「環境や状況まかせ」にしているから

問題文にある、

彼が私をめちゃくちゃ愛してくれて、
してほしいことを彼のほうからしてくれるようになって、
結婚して一緒に子育てできて


この状態があれば、あなたは幸せなわけです。

ということは、

彼が私をあまり愛してくれなくて、
してほしいことをしてくれなくなって、
結婚しなくて、一緒に子育てできない


という状態になれば、

幸せではなくなるということではありませんか?


それは、彼の一挙手一投足の奴隷になっているということです。

つまり「依存」です。

依存が悪いことだとは思いませんが、

依存しているものに振り回されるのは、

本人が不安定になってしまい、大変だと思います。

そして皮肉なことに、
人は、依存すればするほど、
依存している人を、壊してしまうことが多い
のです。

なぜなら、期待しすぎて、
自分の素で、自然に関われなくなるからです。

ひどい場合は、期待どおりでないと、許せなくなり、
自分を見失って罵ってしまったり、
暴力を振るったりしてしまいます。


また、

「結婚できたら幸せになれるはず」

「タワーマンションに住めたら幸せになれるはず」

「この学校に入れれば幸せになれるはず」


などと思い、実現して、仮に幸せを感じたとしても、

自分の幸せが自分が得ているものや状況に左右されるのであれば、

問題文にあるように、

今想像しているほど幸せになるわけではない。

と思います。

なぜなら、自分の土台から出てくる根本的な幸せではなくて、

自分の外から、一時的に、かつ表面的に満たしてもらっているだけの、

もろくはかない幸せ
だからです。


<3>固定した、完璧な幸せなどないから

この問題文からは、おそらく

「固定した幸せの状態が、どこかにある」と思っている

と推測できます。


なぜなら、

「彼に愛されて、結婚して、子供ができれば、きっと幸せ」

というのは、

「今、ここには幸せはない。でも、どこかに幸せはある!」

という発想ですよね。


こういう発想における「幸せ」というのは、

リアルな自分の感覚、時間の変化を無視した、

「現実から遊離した、妄想、空想の次元にしかない幸せ」だからです。


現実の人生というのは、諸行無常であります。


【諸行無常】

万物は常に変化して少しの間もとどまらないということ。

(広辞苑)


両思いになっても、結婚しても、子供ができても、

ゴールなどなく、常にすべてのものは変化し続けています。


それなのに、

「バラ色の幸せ」「幸せの世界がある!」という発想には、

この「時間」と「変化」の概念がありません。


こういう発想の人は、たとえば

「私と彼がいて、子どもと3人で食卓を囲んで笑っている」

という静止画をイメージしている
のです。


しかし、考えてみてください。

実際に、食事をするときに、一瞬でも静止するでしょうか?

現実で、静止画になる瞬間など、あるでしょうか?


・・・ありませんよね。

これが、空想、妄想にしかない「幸せ」なのです。


実際は、3人で笑っている次の瞬間には、

子供が食べ物を床にわざと落とし、子供を殴り倒したくなります。

話しかけているのに、夫は会社の同僚女性とのメールに夢中で、聞いてくれません。

夫は優しくても、姑が子育てにうるさく口を出してきます。

ママ友の態度がよそよそしく感じます。

子供は喘息持ちで、しょっちゅう病院に行き、

あなたは仕事を早退するたびに、上司の目が冷たいような気がします。


こういったことが待っているかもしれない。

それが、諸行無常の現実です。


どこかに、「幸せ」という、

ピンク色の、夢の世界があって、

そこにさえ行けば、すべてが満たされていて、何も悩みなんてなくなる・・・



私も、そう思っていました。


そのために、
あらゆる欲望を詰め込んだ、
モリモリ全部入りのアファメーション
とかもしていました。


人生を変えてくれる何かを求めて、

カウンセリングに行ったり、
外国に行ったり、
セミナーに行ったり、
自分を変える本や人生を変える本を読んだり、
あやしいクスリを試したり、
願いをかなえるペンダントを買ったり、
潜在意識に働きかけるテープを聞いたり、
出会いを求めて合コンやパーティに行ったり、
お水をやったりしました。

ダイエットも断食も食餌療法もヒプノセラピーも占いもしました。

私を愛し続けて、幸せにしてくれる男がいるはずだ、
それはこの男だ、と依存して、執着しました。


とにかく、

「ここから脱出して、幸せの国に行きたい!」

という思いだけで、行動し続けました。


しかし、どこへ行っても、

この、暗い、モヤモヤした、悶々とした、鬱々とした、

醜い、みっともない、惨めで、悲しい「自分」、という「地獄」は、

一瞬も離れることなく、私と一緒についてくる
のです。


「完璧な幸せの世界」を探せば探すほど、行こうと思えば思うほど、

このひどい、暗い、現実がいやになり、

眠り続け、現実から逃げ続けました。

お酒を飲んで、パチンコにハマって、男をおもちゃにして、

自分を紛らわしました。

小学生の頃からずっと自殺願望があり、未遂も自傷もしました。



あーーーー!

場所だけを変えても、

「自分という地獄」ごとその場所にくっついてくる
のだから、

どこへ行っても、なにをしても、意味がないじゃん!!!!!



と、絶望半分、

同時に、今までのやり方は無駄なんだ、という気づき半分になりました。


日々、もがき苦しみながら、じょじょに、

固定した幸せの世界とか、固定した幸せの状態なんてない

と気づいてきて、

それから初めて、

ポーンと異世界に飛ぶのではなくて、

確実に、自分の足元から一つ一つ、幸せになっていく
ことができました。


<4>幸せを感じるのは結局本人であるから


今冷たい彼が、優しくなってくれる、自分を求めてくれる、

ひんぱんに連絡もしてほしい、

誕生日は花束のプレゼントや、サプライズ企画もしてほしい、

もちろん彼からプロポーズしてくれて、

子供も産んで、

二人でニコニコと笑いながら育てたい。


この状態さえ実現すれば!


私は!


私は・・・!


かならず幸せになれるはずーーーー!!!!!!



・・・・・いえ、幸せになれません。



なぜなら、この考えでは、

「自分の中には幸せや満足がない」のです。


私も、4年間ハマって自殺未遂もした男性と結婚できれば、
この暗闇の世界から、天国に連れ出してもらえると思っていました。

しかし、今なら断言できます。

変わらないか、あるいはもっと苦しくなっていたでしょう。


なぜなら、

幸せを感じるのは、私自身だからです。

つまり、起こったことから幸せを感じる器は、私自身なのです。


だけど私は「苦しくて悲しくて惨めで救われたい私」のままです。

私という器は、「ザル」なので、望む状況、恵まれた状況になっても、

幸せを受け止めることはできない
のです。


もし彼が愛してくれても、

「こんな私を愛するなんて、信じられない」

「もっと連絡してほしい」

「もっと言葉がほしい」

「もっと証明してほしい」

「私なんて、きっとそのうちに浮気されるはず」

「私を好きな男なんて、見る目がないだけだろう」

「私なんかと結婚して、この人はかわいそう」

「同僚であっても女性と話さないでほしい」

「じゅうぶんに愛されていないような気がする」

「結婚しているのに、なぜかずっとさびしい」


という気持ちだったろうと思います。


(・・・あ、もっとすごいことを思いついた。

そういう私だから、彼は余計選ぶわけがないんだ・・・。


(ちなみに、2年前に久しぶりにこの人に会って、

改めて心の底から実感したのですが、

まったく価値観が合わない人でした。

とち狂ってプロポーズとかしてくれなくて、本当によかった。笑)


幸せを感じるのが私自身である以上、

彼が何を言ってくれても、何をしてくれても、

どんなに素敵な国に行っても、どんなに美味しいものを食べても、

かりに瞬間的にはどんなに嬉しくても、感動しても、

私は「私という地獄」を連れて歩いている以上、

ずっと地獄にいるのです。



問題文に戻ります。

幸せを感じるのは自分自身である以上、

彼が私をめちゃくちゃ愛してくれて、
してほしいことを彼のほうからしてくれるようになって、
結婚して一緒に子育てできて


という状態になっても、

自分自身が地獄であり、ザルしか持っていないならば、

彼の愛も、言葉も、プレゼントも、妻の座も、子供も、

自分を地獄から連れ出してはくれない
かもしれません。


そして、「こうなれば、幸せになれる」という発想を持っているということは、

おそらく心にザルを持っている人であるのでしょう。



世の中にはものすごく幸せで、

ラブラブなカップル、夫婦もいますよね。


彼らがどうしてそういう状態でいられるかというと、

彼らは

「完璧に満たしてくれる人やモノなんてない」

「固定した完璧な幸せという状態なんてない」

「幸せとは、与えられるものではなく、自分でなるものである」

「幸せの土台は自分にある」


ということをわかっているからではないでしょうか。


だから、少しのことがとても嬉しいし、感謝できるのです。

ゆえに、幸せなのです。

彼ら自身が天国だから。

誰が何をしてくれた、ということが基準ではありません。

天国を連れて歩いているから、どこに行っても、なにがあっても、天国なのです。


未来は、過大な期待をするものでも、突然「ジャンプ」をするものでもなく、

「今の自分」のベストを尽くした一歩一歩によって、

「目の前の今」から、のびていくもの
ではないでしょうか。

その結果、想像もできなかったような満足と充実感が、

たしかに得られているものだと思います。


以上です。

解答の回答になっているかな?

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ニーチェの「アンチクリスト(反キリスト者)」では、

キリストは本当は、「死んだら天国に行かれる」と言ったのではなく、

「本当は、この世が天国であり、自分の心が天国である。

今この瞬間から天国に行かれるのだ」


と教えていたとあり、ウヮオ!となりましたよ。


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